• ベストアンサー

命の大切さを教えるには?

最近、少年犯罪が多発する傾向にあるからか、学校で「命の大切さを教える授業をする」という課題が出ました。 自分が教師になって小学校6年生を対象とした難易度で説明することが条件なのですが、どうもいい考えが思いつきません。 どうか、皆様の明晰な頭脳を貸して下さい。お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.8

一点、疑問が提示されたようなので、またしつこく登場致します。 じつは、憲法に書いてある「人間らしく生きる為の最低限度の生活」の所は、「最低限度の生活」だけを切り放して考えてはいけないというのが、憲法を研究する人たちの共通認識のようです。「人間らしく生きる」ための「最低限度」であって、単純に「最低限度」ではないということです。 そして、この「人間らしく生きるための最低限度」というのは、実は確定していないという状況のようです。これをめぐっては、幾多の裁判が争われ、有名なものでは「人間裁判」といわれた、生活保護受給をめぐる、朝日訴訟といわれる裁判がありましたが、最高裁判決前に被告が死去したので、最高裁は判断をしませんでした。(これについては、「朝日訴訟」で検索すれば資料が得られるでしょう) 現状では、そういう、いわば社会の最底辺の人たちの生活の向上を求める各種の沢山の団体の運動と、現在の行政の「財政難」による支出削減との間の綱引き状態になっており、運動の強い地域では少しはましな条件が得られ、運動の弱い地域では過酷な条件におかれているという現状です。その憲法のいっている「最低限」とは、何か、おそらくはこれからの日本を担うみなさんがご自分の頭で考える問題だろうと思います。残念ながら私たちの世代は、それらの仕事をサボってきたのかもしれません。もし、欲しい資料などがあれば、手の届く範囲で提供致します。

giggs11
質問者

お礼

何度もご返答をして頂き本当にありがとうございました。 命を授業の質問から法律の認識まで、幅広く勉強させていた頂きました。 明日の発表に大いに参考にすることが出来ました。 またいつの日か、質問者として現れるかも知れませんが、その時はまたよろしくお願いしますね。

その他の回答 (7)

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.7

これは失礼しました。てっきり小学校の先生が・・・と早合点してしまいました。m(_)m それでしたら・・・二つほどテーマを差し上げましょう。お気に召したものがあればお使いください。 命の大切さというのは、すなわち、命を粗雑に扱ってきた歴史の裏返しだと思います。その最たるものは戦争でしょう。また、経済かもしれません。戦争の方はわかりやすいでしょうが、経済はわかりにくいと思いますのでちょっと補足すると、今、発展途上国では貧困に苦しみ、毎日沢山の子供たちが飢えや病気で死んでいます。日本円で10円にも満たない薬と数百ccの水で(具体的にはポカリスエットなどの中身と同じです)子供一人の命が助かるのです。しかし先進国にはこんな状態はないですよね。これを南北問題といい、国連が何をしても解決できない大問題なのです。そしてこの経済格差による貧困問題と戦争は実は密接にかかわりあっています。ある意味で南北問題は経済大国同士の戦争の結果なのです。このテーマはこのくらいヒントをあげればもう自分で調べるのに苦労しないと思います。 もうひとつのテーマは、「生きるってどうすることなのか」というものです。 日本の憲法にもありますよね?「日本国民は人間らしく生きるための最低限度の生活を保障する」生きるってだけなら、死んでなければ生きてます。 多分、たぶんですよ、この答えは私自身も持ってないですから。生きるためには目的が必要なのではないでしょうか?何のために生きているのか。生まれてくるのにはそんなものはないです。親の性行為の結果、私たちは生まれます。 しかし、この世に生まれ、自分が人間であると認識したとき、生きる目的が必要になるのだと思います。そして、その目的をはっきり持った人(一生の目的でなくても、当面の目的でも)は、輝いて生活できるし、人生に喜びを感じると思います。でも、その目的を無くした、あるいは見失ったとき、人はどうするでしょう・・・こんなテーマはいかがでしょう。 お気に召して、情報がほしい時は補足要求いただければと思います。

giggs11
質問者

お礼

ご解答有難うございます。 テーマ2の「生きるってどうすることなのか」に興味をそそられました。 やっぱり「命」の問題は、論理的なものより、ある程度、感覚的に話したほうが解り易いのではという考えが出てきました。 あんまり関係ないかもしれませんが、憲法の「最低限度の生活を・・・」ってやつを以前勉強しましたが「最低限度」って微妙な表現だと思いません?誰を基準とした「最低限度」なのか、ちょっと疑問です。 早速、明日にでも同じ班に人に「生きる目的」について議論してみようと思います。

回答No.6

あっ、高校生さんですか。 でも面白い授業ですね。 できればgiggs11さんがどんなときに「命の大切さ」を感じたのかお聞かせ願いたかったのですが、他の方へのお返事をみてもあまりハッキリしてなかったので、わたしなりの考えを述べることにします(補足要求しておきながら書き逃げするのもなんですし) 他の方のご意見を見るとやはり「人の命」を題材にお話なさっている方が多いですね。 当然と言えば当然ですが、わたしはちょっと違う方向から話をします。 ちょうど小学生くらいのときって、虫とかカエルとかを殺したりいたぶったりしますよね? でもこれって悪意があってやるんじゃなくて、小さいものの命とかに無関心なのと、そういうものへの純粋な興味からですよね でも、だんだんに普通の子はそういうことしなくなっていきます。 これには「命は大切なんだから生き物を殺しちゃダメですよ」って親、学校に教わることによって自制するかたちでやめるのと、自分で「生き物を殺すことは残酷な行為だ」ってわかってやめるのと両方だとおもいます。 カエルを殺せば嫌な臭いがして、お腹から卵のもとになるような組織が出てくるし、ザリガニを殺せば黄色い体液がでて、体を二つに千切ってもしばらくは意味もなく動いてる。釣った瞬間は背中が鮮やかなエメラルドグリーンに輝いているブリでも、すぐに青く色あせて体がしぼんで硬くなる。どんな生き物でも死ねばそのうち腐臭がしてくるし、殺した手にはヤな臭いがこびりつきます。 そんな体験をすれば、だれから教わるでなく、生き物から命が失われていく過程は、疑いなく残酷だといいきれるようになるし、なにより生き物の死は後味が悪いって自然に気づきますよ。 このくらいの歳の子って、人の生き死にで命のこと考えるよりは、身近な生物の命(上に書いたような遊びで殺しちゃった生き物とか、飼ってて死んだペットとか)を見て「命がなくなっていくのって残酷だ」って感じるんじゃないですか。 その延長で「人の命・命の大切さ」があるとおもうし、自分の体験として「命の失われる残酷さ」を感じていれば、そういうところに道徳とか倫理とか宗教とかっていう論理ではなく、感覚で敏感になれれるし、「なんで人を殺してはいけないか」なんて疑問をもつモンスターも出てこないと個人的には信じます。 なんか繰り返しになってしましましたが、授業の進め方としては、皆に身近で命が失われた体験を話し合ってもらって(自分で殺したのも、ペットの死も含めて)、そのとき個人個人で感じた「残酷さ」を、集団(クラス)での認識にしていく。ってのがベターかとおもいます。

giggs11
質問者

お礼

ご解答有難うございます。 論理ではなく、感覚。解りやすさを追求するなら言葉を複雑に組み立てていくより、「見て嫌だ」と本能的に感じさせる、ということを説明すべきかな、という感じで少し骨組を固めていこうと思います。

  • rosepink
  • ベストアンサー率14% (33/233)
回答No.5

すごく難しいですね。自信なしです。 例えば、自分がどうやって生まれて、今までどのように育ってきたのかというところから説明する方法もあるでしょう。 母親がどんなに苦労して自分を生んだか、自分達を養うために、父親がどれほど仕事を頑張ってきたか、具合が悪くなった時は病院に連れて行き、寝ずに看病してくれたのは誰だったか・・・など 人は一人で勝手に育ってきたのではなく、何人もの人々に世話になり、大事にされて成長するのだということが判れば、少なくとも自ら命を絶つようなことはしないと思います。 ちょっと荒療治でも構わないのであれば テレビなどで殺人事件が報道されない日はありませんが、そのニュースを例に挙げて、「例えばこれが自分だったらどうだろう?突然自分の大切な人が誰かに殺されてしまった。犯人に対してどんな感情を持つだろう?」というところから始めるという方法もあります。 但し、「犯人を殺してやりたい」などという生徒が絶対出てくると思いますし、一歩間違えると周囲から「問題だ」とも言われかねませんので、周りの人と相談のうえ、慎重に対応して下さい。 意外と簡単なことで命は奪われてしまうものですが、突然命を奪われた者の無念さや、その家族・知人の苦しみ、悲しみは一生癒えることはないのだということを理解させて欲しいと思います。 そして、そのように誰かを悲しませたり、辛い思いをさせる権利など誰にもないのだということを上手く説明できると良いかも知れません。

giggs11
質問者

お礼

ご返答有難うございます。 確かに小6の難易度ならば、身近な人間を引き合いに出せば解り易いかもしれませんね。 それに「殺された者の無念さ、周りの人の悲しみと、そんな思いをさせる権利は無い」というのは良い考えだと思います。 あと、ご親切に忠告して下さって恐縮ですが「問題だ!」って言われないと思いますよ。前回の課題は「どうして人を殺すのか」という難問を14歳編・17歳編・大人編と3度に渡って事細かく意見を出し合う授業を行いましたし、「少6が対象」と言いましたが、聞いているのは高3のクラスメイトです。その辺は説明不足で申し訳ありませんでした。 それにしても、命の授業って難しいですね。

  • hira3
  • ベストアンサー率40% (6/15)
回答No.4

 非常にさめた考えですが、なぜ命が大切かといえば、自分が死にたくないからです。人や動物を自由に殺してもいいという社会では、自分の身が危ないから、みんなで「そういう事はやめましょうよ」という決まりをつくっているのです。戦争はイカンというのは、自分が戦争で死にたくないからなのです。今の社会では、人間は生きるために豚や牛の肉を食べることを許されていますが、殺人を犯すことは禁じられています。これが、将来他の動物が絶滅し、人間だけになったとき、生きるために他人を殺すことを咎める人がいるでしょうか?人間の動物としての「気に入らないものを排除する、生きるために他を殺す」という本能に対して、「それはいけない事だよ」と教えるのは非常に難しいことです。この「動物としての本能」と、「平穏な社会を造る」ということをよく理解したうえで、子供たちに教育してください。回答になっていませんでしたが、ここに参考となる本を紹介します。 「なぜ人を殺してはいけないのか」小浜逸郎著 洋泉社発行 680円 難しい本ですが、読んでみてください。

giggs11
質問者

お礼

お返答有難うございます。 確かに、死にたくないと思うのは当然ですよね。 「自分が死にたくないから、他を殺す」。矛盾と言うか人間本位と言うか・・・ でも、やっぱり命の指導って難しいですね。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.3

命の大切さということですが、この世の全ては突き詰めて言えば命に行き当たることでしょう。ですから、例え経済の話や工場で物を作る技術の話や、数学の難しい理論だって、その目指すところは、人間の生活を豊かにする事、そしてそれはとりもなおさず、生命としての人間はどうあるべきかというところに行き着きます。(ちょっと乱暴な展開ではありますけど) また、特にこのテーマでは、確固たる自信を持って主張し、理論だけでなく経験などの裏付けもないと、特に好奇心旺盛な子供に対して説得力をもちません。 ですから、ご自身で体験された事で印象深く残っていることを深く追求し、今、週末医療で言われているQOL(生命の質とか生活の質と訳されます)みたいな話に展開してはいかがでしょう。 私がやるならいくらかの素材はありますが、giggs11 さんがその素材に対して十分な経験と知識をもっているかどうかは不明なのでもう少し具体的に、こんなテーマが・・・というのがあれば、また書き込みたいと思います。

giggs11
質問者

補足

説明不足で申し訳ありません。 医療と言われましても、たんなる高校3年生なので・・・ もう1つ重大な事を知らせ忘れました。 「小6を対象」と書きましたが、クラス内での授業の一環に過ぎませんので聞いているのはクラスメイトの高3の人たちです。 「具体的に」の答えが想像もつきません。ごめんなさい。

回答No.2

回答にはなってませんが・・。 どういう所からこの課題をだされたのかわかりませんが、giggs11さんを教員養成過程の講義をとってらっしゃる大学生ではないかと推測し話をします。 「命の大切さを教える」とのことですが、この課題をこなす上でも、もし実際にこのような講義をおこなうとしても、既に意識されているとはおもいますが、giggs11さんが今までどのようなことによって「命の大切さ」を学んだかが重要になってくるはずです。 gigg21さんが自分が経験していない視点からでの、この課題の解決を意識していらっしゃるのでしたら見当違いな補足要求ですが、もう少しそこらへんを詳しく掲示してみてはどうでしょうか。

giggs11
質問者

お礼

ご返答を有難うございます。 申し遅れましたが、僕は高校3年です。 聞く人もクラスメイトです。ただ内容的に小6の子供に解る範囲ってことです。 「商業法規」という民法を中心とした授業ですが、冠婚葬祭のマナーなど範囲の広い授業です。 ですから、かいつまんで教えてくだされば光栄です。

  • tabio
  • ベストアンサー率29% (5/17)
回答No.1

的外れの内容になるかもしれませんが……。 広島に原爆が落とされた日、広島で公の式典が開かれますよね。 正式名称は忘れてしまいましたが、何年前だったでしょうか、 その式典で、中学生の女の子が素晴しいことを言っていたのを 覚えています。 「原爆が落とされた日、私たちのおじいちゃん、おばあちゃんが 亡くなりました。そして、私たちの同級生も一緒になくなりました」 うろ覚えで、私なりに記憶操作をしているのかもしれませんが、 原爆投下の日、あまりに多くの人が亡くなりましたよね。 身籠もっていた人もいれば、結婚を控えていた人も、多く亡くなったはずです。 たとえばもし、原爆が投下されていなかったら、身籠もっていた人は子を産み 母となり、その子もやがて子を産み母となり、生まれたその子は私たちの同級 生になっていたかもしれません。ひょっとしたら、仲良しの友達になっていた かもしれません。 つまり、原爆が落とされたことによって、瞬間に多くの人が亡くなっただけで なく、つながりつないでいく生が強制的に断ち切られ、消えたことによって、 本来いたはずの同級生や先輩、後輩たちまでもいなくなってしまったわけです。 女子中学生の話を、こちらが勝手に拡大解釈、または違訳しているのかもしれ ませんが、これは戦争に限らないはずです。 命、それを単体として、あるいはひとつのものとして、その大切さを考えるの ではなく、それは過去からの長きわたってつながってきたもので、未来へとつ ないでいかなければならないもの、というふうに考えてみてはどうでしょうか。 今、ひとつの命を断つということは、すなわち、未来において存在するはずの 多くの命をも断ってしまうことになる、というふうに。 でも、あまりに難しいですよね。 命の大切さを教えるということは、なぜ命は大切なのか、ということから始め なければならないのでしょうからね。 もし、純粋な気持ちから「なぜ、命は大切なの?」と、子供が問うてきたら、 それに解を与えることができる人なんて、この世に存在するのでしょうか。 仏陀さんでも相当悩まれると思います。 しかし、それほどまで重要なことを、学校で教えなければならないとは……。 本来、これは親がなすべきことなのではないでしょうか。 そうであっても教えなければならないとすれば、giggs11さんは、解を与える ための例題を他に求めるのではなく、自身が経験なさったこと、気付かれたこ とによってしか、子供たちに説明してはならないのかもしれません。 あるいは、気付きの助けを他に求めることはよいでしょうが、これは人間の根 幹をなす、あまりに大きな問題ですから、ご自身を振り返りながら、あなたな りに「そうだ。だから命は大切なんだ」という答えを出し、それを信じてから でしか、子供たちに説明しなければならないのだと思います。 モデル的解答を求め、それを安直に子供に話したところで、子供は見抜きます。 「先生はこうだと信じているんだ!」的なものでしか、子供は理解しないでし ょうから。いや、理解させるのではないんですね。理解に至るまでの手助けに はならないのでしょうから。

giggs11
質問者

お礼

長文のご意見ありがとうございました。 確かに、戦争は人の命の尊さを知るために大事ですよね。

関連するQ&A

  • 家畜を通して命の大切を説いた話し

    こんばんは。小学校の高学年か、中学校の国語の授業で読んだ話しを探しています。読んだのはもう10年ぐらい前なのですが(汗)。 舞台はドイツ(?)で、10歳ぐらいの子どもたちが学校の クラス単位で農場見学に出かける話しでした。 そこで命の大切さを教えるために教師あるいは農夫が 生徒に、食肉処理(殺した)直後の豚の体に触らせる という内容だったと思います。 最初は皆、怖がって触らないのですが、一人の少女が 豚の傷口に手を突っ込み、その感触を「あたたかい」 と言い教師が「これが命なんだよ」と言います。 それをきっかけに他の生徒も豚に触り始めて、命の大切さを学んだ、という感じで印象に残っています。 記憶が曖昧なのでドイツというのは間違いかも しれません。が、アメリカかヨーロッパかと 言われたらヨーロッパかも知れません。 農場の風景描写などなんとなく寂れた感じでした。 上記以外に印象に残っているのは農夫の人物描写で ネルシャツにツナギを着ていた、とかそんな描写 があったと思います。 長編の一部なのか、短編なのかもわかりません。 宜しければどなたか教えてください。

  • 学校ではゴキブリ・ハエの命も守りましょうと教える?

    現在の小学校では授業中とかにゴキブリが出たら教師は殺すのでしょうか? それとも 「ゴキブリも一つの昆虫,命が有るのでそっと逃がしてあげましょうね」 と児童に教えているのでしょうか? 益虫と害虫の違いを教えて 殺していい生物(ドブネズミ,ゴキブリ,ハエ,蚊,etc)とか具体例も挙げたりして児童に教えているのでしょうか?

  • 命の重さはなぜ平等なのか?

    大人になっても理解できないままでいます。 よく災害時とか弱者(子供、女性、老人)を優先的に保護しようという意見が出ますよね。 これって「命の重さが平等」という観点では矛盾しています。 実際、私は命の重さの差はあると思っています。 例:認知症で身体障害がある介護が必要な高齢者 と 幼い子供。  ⇒子供の命が優先されるべきだと思います。 例:週6日で1日12時間働くお医者さんと、働く気が全くない毎日が日曜日なニート。 ⇒明らかにお医者さんの命が優先されるべきだと思います。 理想郷を作り上げようとした社会主義が崩壊したように、「平等」も理想論だし、「無理」があると 思うのです。 旧世代のような「血」で人を差別するのは間違っていると思いますが、 生き方によって「差別」されるのは当然と私は思っています。 私は平等論というのが究極の理想論に思っています。 敬意を払える人にはいくらでも尊敬の念を感じるし、また私より身分が上であっても何の不満も ありませんが、そうでない人間(敬意を全く払えない人間)が私と同じ社会で暮らしているのが 納得できません。どうして同じ土俵で発言ができるのか!? どうして同じ土俵で生きていられるのか? 私にはやはり疑問です。 多分、この考え方は10年、20年先も変わらないと思います。 何の罪もない認知症のお年寄りは可哀そうだと思いますが、やはり天秤にかけたら 「若い子供」の命の方がはるかに重いと思っています。 また少年法で保護されているが故に極刑にならないケースも強い違和感を覚えます。 結局、凶悪犯罪(殺人レベル)をする人間は年齢に関係なく、社会から駆除されるべきだと思います。 私はそんな人間の為に命を奉げる気も寛容になる気もありません。 自分の子供がそんな被害(殺されたら)を受けたら、自ら犯罪者になってでも復讐するでしょう。 そういう風に考える私はおかしいのでしょうか? 医者とニートの場合も歴然とした差があります。 自分の大切な時間(人生)を使って人の命や健康を救う医者と 誰にも貢献しない、保護者に迷惑をかけ続けるだけのニートと 命の重さが平等という考えはおかしいと思います。 よく犯罪者(殺人者)が極刑にされない理由の1つとして、更生し社会に貢献する余地があるといった意見も見られますが、 それこそ理想の極致ではないでしょうか? 命の重さが真に平等であるなら、その命を奪った人は、命でしか償えないはずです。 「命の重さは平等」の理想論をあげる一方で、こういう矛盾も多々存在します。 やったもん勝ちというか、生きたもの勝ちというか・・・。 更に「命の重さは平等」だと言うならば、世界的に見てみれば酷い境遇に遭ってる人達はかなりおります。 社会的な利益を優先した場合、犯罪者の更生を期待するよりも駆除した方が有意義だと思います。 同様に弱者である(なぜ、無条件で弱者となるのか疑問だが)お年寄りよりも、バリバリに働いている 現役世代を優遇した方が社会的には意義があると思います。 日本は超高齢者社会になっていますが、今後さらに加速します。 お年寄りを過保護に優遇した挙句、日本の未来を担う子供を育てる現役世代が貧困に喘ぎ日本が更に傾斜していくならば、切り捨てもやむ負えなしと思います。 冷たい考えかもしれませんが、現役引退してから20年30年(8、90歳)と長生きしても社会(利益) 的には何の貢献もしません。「豊かな老後」は理想論だと思います。 私が年寄りの立場なら貯蓄が尽きたり、認知症、重大な介護が必要になった時点で安楽死を希望します。 国は各家庭の問題として避けていますが、介護疲れで両親を殺害し逮捕されるケースは今後さらに 増えるでしょう。 あなたは命の重さについてどのように考えていますか? 確かに現実の社会で私は老人を切り捨てろ!なんて事は口を裂けても言いません。 ですが、直面する現実を考えたら長生きすることが必ずしも本人にとって幸せでないばかりか 家族、社会にとっても大きな負担になることは間違えないと感じています。

  • 小論文 看護 添削お願いします!

    課題文で、少年少女の犯罪について 筆者の主著はおおまかに、 少年少女の犯罪に共通するのは命の軽視 日本の現状が関係している 社会が彼らに死を教えてこなかった 家族形態が変わり、他者への関心が薄れている 今後の対策について 児童、生徒を守るすべとして防御は必要 しかし問題の根幹である命の大切さを教えようとする姿勢がない という感じです 問 筆者が、少年少女による凶悪犯罪に共通するのは何で、その原因はどこにあると考えているかを述べ、さらに筆者の考えをふまえながら、あなたの意見を述べなさい。 筆者は、少年少女による凶悪犯罪に共通するものはきわだった命の軽視であると考えている。その原因は、大人が子どもたちに命の大切さを教えることができていないからだと考えている。 筆者の考えは、現実の死から遠ざかっている子どもと、その現状に向き合えていない社会を危惧していると読み取ることができる。この点で私は筆者の考えに共感する。現在、核家族化が進んだことも影響して、私たちは出産や死などを家の中で経験しないことが当たり前になっている。また、子どもたちの使うゲームにはリセット機能がある。これでは、命の重さを実感する機会がないのだ。家族や社会との関係を上手く保つことができない子どもも増えている。他者と向き合うことができない子どもが、その他者の命を思いやることができないことは当然のように感じる。 このように、現在の子どもは死から遠ざかり、家族や社会からも遠ざかることで命の大切さを感じることができなくなっている。私は、実際に死を経験することがなかったとしても、人の言葉で伝えて行くべきだと考える。家族内に限らず周りの大人が、死とはどういうものなのか、周りの人にどのような影響を与えるのかを伝える。また、人はゲームのリセット機能のように生き返ることはできないことも伝える。このように、子どもの頃に死と向き合う機会を与えることで、命の重さに気づくことができるだろう。

  • 学校安全について

    犯罪総数が減少するなかで,学校における犯罪が増加する傾向にあると聞きます。確かに,学校内への不審者の立ち入りも増えており,また子どもを狙った悪質な犯罪が多発しています。そこで,お聞きしたいのは,学校が犯罪場所に選ばれる理由はどんなところにあるのでしょう。物理的な問題よりも,犯人の考え方のようなものを知りたいのです。 学校犯罪は,どこに社会的な食い違いがあって起こるのでしょうか?

  • 性犯罪多発化の原因と具体的な傾向

    私は法律ゼミで性犯罪について勉強しているのですが、性犯罪多発化の原因(未成年を対象にした犯行が多いのか)、性犯罪者の動機・心理、具体的な統計で表した傾向、社会のどんな所に問題があるのかを教えて下さい。宜しくお願い致します。返答して頂ける方の考え方も聞かせて下さい。宜しくお願い致します

  • 学校は遊び放題なんですか

    学校に通学する少年は恐喝や強要などを遊びのつもりだった と弁解している ようですが 犯罪を遊び感覚で 罪の意識が持てない人なのでしょうか 道徳などで悪いことなどは,教えてもらえるはずだと思っていました そうではないのでしょうか 教師などは学校内で犯罪が行われていても 気が付かなかったといえば 安泰なのでしょうか。問題があっても 気が 付かないふりをしていれば 事なかれ主義で優秀な教師として高く評価 されるのでしょうか。 宜しくお願いします。

  • 「嫌いな先生ベスト3だから」女性教師殴る

    「嫌いな先生ベスト3だから」女性教師殴る 中2少年を逮捕  神奈川県警旭署は17日、傷害の疑いで横浜市の中学2年の少年(14)を逮捕した。  逮捕容疑は、5月13日午後3時20分ごろ、横浜市の市立中学校内で、女性教師(58)の右腕を殴りけがを負わせたとしている。少年は「嫌いな先生ベスト3だった。注意されて腹が立ったから殴った」と容疑を認めている。  同署によると、少年は6時限目の学級活動の授業中に他のクラスに遊びに行き、止めた女性教師の右腕を殴った。10分後、校長に報告に行った女性教師と廊下で会うと、再び右腕を殴ったという。少年は普段から同級生や教師とトラブルを起こしており、事件当日に同校が同署に相談していた。 ===================================================== この事件どう思いますか? 間違えなく将来の犯罪者予備軍だと思うのですが、少年法で守られている彼らはそのまま社会へと溶け込んでいきます。  子供が大人を殴るのも異常な光景なのに、少年法が輪を掛けて彼らを擁護する。  何か間違ってませんか?

  • 少年犯罪とアニメなどの影響

    ゼミのグループ課題に「少年犯罪」を取り上げることになり、メディアに関する内容を担当することになり、対象として、アニメ・漫画・ゲームを取り上げようと思っています。 アニメなどの架空創造・創作物と犯罪との関係、影響の有無にかかわらず、こうした問題に関した、参考になりそうなサイト・書籍がありましたら、教えていただけないでしょうか?

  • 虐待について

    少年犯罪も多いですが、乳児や幼児に対して暴力を振るい、小さな命を馬鹿な親に奪われているとか、けがをして意識不明とかひどい事件が多いと思うのですが、そんな罪を犯した親に対しては何か重い刑というのはないのでしょうか?あるいはその傾向は? ただでさえ少子化、出生した赤ちゃんの数が死亡した人口を下回っているというのに、何とかならないものでしょうか?