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どうして西欧には強い土着信仰はないの?

noname#118466の回答

noname#118466
noname#118466
回答No.2

ローマ軍は自国がキリスト教化される前からスペインに進出していましたが、当時の古代ヨーロッパには多神教の民族が多数住んでいました。ケルト、イベリア、ゲルマン、スラブ民族はその一部です。ローマがキリスト教化された時、これらの地域にローマ軍と共に或いは間接的にキリスト教が伝わったわけですが、キリスト教は広大な地域に住む多数の異教徒をキリスト教化するためには、一切の原始宗教を禁止せざるをえなかったと思われます。しかし、辺境に住む異民族すべての日常生活(習慣)を完全に払拭することは出来ないので、多神教時代の習慣が生き残り、後に姿を変えてキリスト教徒の間に生き残ったものがあり、クリスマスや樅の木、 ハロウイーンはその代表格といえます。他にもスペイン、北欧、イタリア、アイルランドなどにはいろいろな習慣が残っていると思われます。又貴族の紋章に描かれる動物や植物にも多神教時代の名残が見られます。 カトリック教会は16世紀以降、布教をたやすくする為に現地の習慣(多神教の)をある程度認めるように政策を変更したために、中南米や北米南西部の先住民はキリスト教徒でありながら、多神教の習慣を伝統として引き継いでいます。その点、我が国も非常に似かよった環境にあります。仏教徒であっても日常生活上は、神道 や縄文時代から続くと思われる習慣の中で暮らしているわけです。 キリスト教の習慣と思われている中に、ユダヤ、アラブ、ケルト、ゲルマン、北欧の痕跡を見出すことは欧米人であればそんなに困難なことではないと思います。

tabio
質問者

お礼

ありがとうございます。 貴族の紋章にもその名残があるんですね。 たとえば湖のある領土は、その湖に棲むドラゴンをかたどった紋章をつくり、 「この地の神であり、湖に棲むドラゴンより、わが先祖はこの地を治めよとの 命を受けた。従って、民よ、われに従え」というようなことでしょうか。 てことは、普遍的だと思われているキリスト教と同じような考え方になるのか な。 キリストさんの意図は知らないけれども、「神は人間のみに理性を与え、地球 の管理者(支配者)としての命を与えた」というのがキリスト教の原理だから。 もちろん、これは私の勝手な解釈ですが。 すると、キリスト教は仏教とは違い、経典のある巨大な土着信仰ということに なりますよね。支配者と被支配者に分かれるわけですから。 巨大な土着信仰が他の弱小土着信仰を滅していった。日本に限らず、神話とい うのは、ほとんどすべてがその戦記ですからね。それなら、痕跡がわずかにし か残っていないのも理解できます。他を破壊し尽くすのが、戦いでしょうから。

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