• ベストアンサー

太宰治『人間失格』の擬人法

太宰治『人間失格』に「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」という箇所があります。ここで換喩が使われているのはどうしてなんでしょうか?また、どうしてソラマメに擬人法を使っているのでしょうか?

noname#42839
noname#42839

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

おそらくこういうことを聞いておられるのではないのだろうと思いながら、回答します。 ご質問が典拠があるものでしたら、それを明示してください。 手元にある佐藤信夫『レトリック感覚』を見てみると、換喩に関しては、アンリ・モリエの『詩学とレトリックの辞典』から引用されています。 ---p.144からの引用--- 換喩とは、「あるひとつの現実Xをあらわす語のかわりに、別の現実Yをあらわす語で代用することばのあやであり、その代用法は、事実上または思考内でYとXを結びつけている近隣性、共存性、相互依存性のきずなにもとづくものである」 ----- つまりものごとのあいだに類似関係を認めたものが「隠喩」であるのに対し、隣接関係を認めたものに対して働く比喩が「換喩」ということです。 この『人間失格』の場合、脈絡は 「腹がへったなあ」という堀木に対し、主人公は「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている」と答えます。ふたりは議論し、やがて腹がへった堀木がそら豆を取りに行く。 そこから堀木の「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」という表現が生まれてくる。 つまり「そら豆を煮ているかと思ったら、とんでもないことになっていたぞ」という意味がこの言葉にあらわれているわけです。 ここにおける換喩は、まず「そら豆」という一語で「そら豆を煮ている」という行為全体を現わしている、というものがあるでしょう。 さらにここではもうひとつ、換喩には「原因と結果の隣接性」という関係を見て取ることができるでしょう。 「そら豆を取りに行った」→「とんでもない光景を見てしまった」 これは「そら豆」と「とんでもない光景」の類似による隠喩的な関係ではなく、原因と結果という隣接的関係である換喩のはたらきと見ることができます。 また「擬人法」(活喩)というのは、換喩の系列に属するものではなく、隠喩の系列に属するものとされます。 ・「村は寝静まっていた」 という表現は、換喩ですが、ここでは「村」を擬人化しているわけではなく、その村の家々とそこに住む人々を指しているわけです。それを「村」という一語で示すことによって、村全体がしずまりかえった様をあらわしている。その表現と ・「ラジオが語りかけた」 のように、「ラジオ」を擬人化している表現のちがいがおわかりでしょうか。 ここでの「そら豆」は、「そら豆」を人間に喩えているわけではないと思うのですが。 もし回答がずれていたら、補足要求で。 その際、この箇所が擬人法であるというなら、その典拠をお願いします。

関連するQ&A

  • 太宰治「人間失格」

    太宰治「人間失格」 はじめて読みました。 あまり本など読んだことがないのですが、文章の持つ雰囲気、特徴的な言い回しなど、 うまく表現できませんが、はまってしまいました。 何度でも読みかえしたい衝動に駆られています。 こんな雰囲気を感じられる他の本も読んでみたいです。 皆さんのお勧めを教えて下さい。 太宰治でなくても結構です。 ちなみに太宰治の他の作品も読んだことがありません。

  • 太宰治 人間失格について

    先日、太宰治の人間失格を読んでなんとも言えぬ感情を味わいました。 しかし巻末の年表を見て本編以上の衝撃を受けました。 予備知識まったく無く読んだもので太宰作品も教科書で走れメロス、富岳百景の二作しか読んだ事がありませんでした。 議員の父、人妻との自殺未遂、麻薬中毒。この小説は太宰治の自伝なのだと始めてわかりました。 そしてこの小説を書いた直後に太宰治は人妻と心中しています。 そこで質問があります。もちろん皆様自身の考えで結構です。 なぜ太宰治は人生の最後に自分の自伝的な小説を書いたのでしょうか? また人間失格で主人公は幸せとはいかなくても人生に絶望したり未来が見えないと言った終わり方ではありませんでした。 ではなぜ太宰治は死を選んだのでしょうか? それとこれも心中の直前に書いた桜桃という小説についても意見をお願いします。 自分は太宰治を数作しか読んでなく、こんな質問をする資格はないかもしれないですがどうか教えてください。

  • 太宰治 人間失格

    人間失格を読みました 太宰治の小説のオチが俺は好きなんですが この小説のオチは腑に落ちません なぜ父親が悪いのか なぜ葉蔵は神様のような子なのか その他この人間失格の伝えたいことなど あなたの感想をお聞かせください

  • 太宰治 人間失格について

     太宰治の人間失格についてある本に、堀木とヒラメは永遠の悪人として造形された。というようなことが書かれていたのですが、堀木はともかく、ヒラメはどうして悪人なのかよくわかりません。私の読解力不足ですが、よろしければどなたか、見解をお願いします。

  • 太宰治の人間失格の感想を教えて頂きたいです。

    太宰治の「人間失格」を今日初めて読みました。 恥ずかしながら外国人に勧められて読んだんですが、正直に言って1回だけではこの本の内容が解らず表面上しか読んでない気がします。 また読みたいと思いますが、読む前に皆さんの感想などを伺っておくと、また違った見方が出来ると思いますので質問させてもらいました。 人間失格を読んでどう感じましたか。そして出来ればどの部分がどのように感じたのか詳しく教えて頂けたらと思います。 よろしくお願いします。

  • 人間失格 太宰治 内容

    感想文を書くために先日、太宰治さんの人間失格を読みました。 最後まではよんだんですけれで難しすぎてなにがなんだかわけわからなくなりましたなので ・登場人物 ・どうゆう内容 かをわかりやすく詳しくおしえていただけないでしょうか。 それと可能であれば感想もいただきたいです

  • 太宰が「人間失格」をとおして主張したいことは?

    読書歴が未だ短い男性です。 太宰治の「人間失格」についてご教示お願いします。 1.太宰は自叙伝とも言われている「人間失格」をとおして、どのようなことを主張したかったのでしょうか? 2.また、「人間失格」を読んだ方は読書後、どのようなことを感じましたか? 以上、よろしくお願いします。

  • 太宰治の人間失格について

    人間失格にすごい興味がありますが、この作品について議論するのは面と向かってはてれて真面目に出来ないし(人間失格の議論をするテレビを以前見たのですが、その、無理に芸術的にしようとするその様がなんだか、全く太宰がイイタイコトと矛盾しているようにしか見えないのは芸術的雰囲気を殺すために道化について語っているのにそれこそ、「パトスを噴出するがごとく」語っているのでそれじゃあもう堀木に近いような人があれこれ太宰についていっているようなもので何の役にも立ちませんでした。)、それこそ道化になってしまいそうなので、かといって、1元的な読み方はあまり多くのものを得ないし、真理にはまったく程遠いものになってしまいます。そこで、仮面をかぶりながら真面目に議論したいと思ったところにパソコンという最適のものがあるのに気が付き、多元的に人間失格を知りたいということで、「太宰のイイタイコトはなんだったのか?」ということを皆さんに問いたいと思います。

  • 人間失格について

    人間失格なにがおもしろい? 太宰治の人間失格は何がおもしろいのでしょうか?

  • 「人間失格」という太宰治の小説に付いて質問です

    これから本屋に行って、太宰治の「人間失格」を買おうと思っているのですが、 友人には「影響されるから読まない方がいい!」と言われたり、 他の友人には「一度は読んだ方がいいかも」と言われたりして、迷っています。 確かに不気味な題名ですが、 どんな文学作品なのでしょうか?