解決済みの質問
第一次世界大戦後の1921年11月~翌年2月までのワシントン会議でアジア・太平洋の植民地体制の維持、中国の門戸解放等をきめました。
第一次世界大戦後、アジア太平洋からのドイツの撤退、日本が山東(シャントン)半島の利権獲得などの情勢の中、日本の中国・アジアへの進出を抑制しようとのねらい、中国への進出をしたいとの欧米列強のねらいがありました。こうして第一次世界大戦後の体制を決め、1920年代の極東・国際秩序を決めたことをいいます。中国の門戸開放を決め、中国への列強各国の進出のきっかけをつくった九か条条約、日英同盟破棄がワシントン体制によって決まります。
ワシントン会議には英・米・日・イタリア・仏・中国・オランダ・ポルトガル・ベルギーなどが参加。こうした情勢から中国国内でこうした各国の中国への進出(植民地化)に対する民族運動が高まり、五・三〇事件が起こっていき、一方、中国に進出しようとする日本と欧米列強とのきしみが生まれていきます。
投稿日時 - 2002-06-24 19:53:32
お礼
ありがとうございました。
大変よくわかりました。
歴史って難しいですね。
投稿日時 - 2002-06-24 20:13:41
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ベストアンサー以外の回答(3件中 1~3件目)
下のURLなんかは、わかりやすいと思うのですが、
とどのつまり、アメリカが第一次世界大戦後、日本が軍国化するのと反比例でイギリスの弱体化が始ったことへの「日英同盟」の力関係に危機感を抱いて、アメリカやフランスを加えて、ワシントンで会議を開き、加盟国として当初の4カ国のほかに、各案件ごとに中国やポルトガルなども加わり最大9ヶ国で作った、一つの同盟です。
参考URL:http://www.iuj.ac.jp/faculty/tshinoda/IV.html
投稿日時 - 2002-06-24 19:25:23
お礼
ありがとうございました。
参考になりました。
これからは、自分で理解できるようがんばりますね。
投稿日時 - 2002-06-24 20:12:09