• 締切済み

ピアカウンセラーになるためには

みなさんはピアカウンセラーはご存知ですか? ピアカウンセラーというのは障害者が同じ障害を持った方や家族の相談を受け、それを一緒に解決していく人のことです。 お気づきでしょうが、わたしも障害者です。 今、このピアカウンセラーになりたいと思っています。 ピアカウンセラーになって障害というハンデがあっても平気ということを多くの障害者に知ってほしいのです。 でも、どうやったらなれるのかが、わかりません。 どうか、ピアカウンセラーについて知っていることがありましたら、何でもいいので教えてください。

みんなの回答

  • binba
  • ベストアンサー率47% (513/1090)
回答No.1
love36
質問者

お礼

ありがとうございます!! とても助かります!!

関連するQ&A

  • 「ハンデのある人の方が○○だよ」(うまいことを言いたい)

    マイノリティ(障害)を抱えている人を元気付けるために 「ハンデのある人の方が○○だよ!!」 と、うまいこと・元気付けれる一言を言いたいのですが 何かいい言葉ないでしょうか? (障害=ハンデについての意見はこの場ではご遠慮ください) よろしくお願いします。

  • 努力・精神力に個人差はないと思いますか?

    今、テレビで24時間テレビで出ていた盲目の立木早絵さんが出演してました。 あの方は、すごいチャレンジャーで「すごい」としか言いようがないのですが、、、。 乙武洋匡さんもすごいと思いますが、 テレビ局側はそういう方を出演させることで何を伝えようとしてるのでしょうか? 言いたいことはなんとなくわかりますよ。 でもこれは逆に言えば、障害もハンデも無い人が、目標を達成できなかったり 頑張れないのは、「怠惰」、「努力が足らない」、「精神力が弱い」とも捉える事ができます。 つまり、誰でも「やる気」さえあれば達成できるかもしれないことを一般人の多くは躊躇し恐れる臆病者と言いたいのでしょうか。 当然のことながら多くの障害者は、あのような真似はできません。 いや周囲から、テレビに出てるような人と比較されても辛いだけと思います。 前置きが長くなりすぎました。 すべての人間は多少のハンデに関係なく、「やる気」さえあれば何事も成就できる能力が 備わっていると考えますか?(世界記録を目指すという例は除いて) それともそういう個人の人間性(魂というか)の能力によって差があると考えますか? ・・・例えて言えば血筋とか家系とか→それすらも個人の意志と環境によって超えられるものなのでしょうか? わかりにくい質問すみません。 ふと思ったものでした質問してみました。

  • 障がい者のズレてる反応

    よろしくお願いします。 障がいを持った方(子どもから大人まで)で、ほぼ健常者と同じように通学したり、 働いたり、生活している場合ありますが。 ※ イメージとして、先天的なハンデです。 これまで見てきて、その方たちで親友がパートナーが健常者の人というのがいませんでした。 そして、周囲の人がどのように関わるかというと、”より親切にする”みたいな接し方です。 周囲に気を遣わせている感は否めません。 健常者の仲の良い人がいないのは、何故でしょうか? 私は、その人のハンデ部分が直接的に原因になってなく、上手く言えませんが、 一般の人とノリが違うような、何かについての反応が違う(変わってる)点にあるんではないかと思いました。(仮説段階) なんか、会話の流れから、急に妙なことを言ったり、奇妙なリアクションをしたり、 何のための間か分からない空白があったり。 つきつめれば、その反応はハンデによるものかもしれませんが、なんとなくノリが違うことが健常者の仲のいい人がいない理由ではないかと思えてしまいます。 ハンデが原因ではなく、二次的なものが原因というか。 で、健常者と同じように過ごす障がい者であれば、そのギャップは周囲のフォローで埋められそうな気もします。 でも周囲は、その人を障がい者として見てるので、ただ、”より親切にしよう”みたいな表面上の繕いでしかフォローしません。 だから、健常者の中にはいるけど、悪い気分にさせちゃいけないという対処でしかなく、 結果、浮いたままになってるんじゃないかと。 障がいを持った人と上手く付き合える人って、知ってる事例は少ないけど、こういう人ではないかと思います。↓ 障がいについて詳しいとか、理解を示す人ではなく、 あまり、深いこと知らないけど、そういえば、その人はちょっとトロイ、時々変なことを言う。 程度にしか感じない、”相手の特徴に無頓着な人”ではないかと。 実に自然に付き合います。 話を戻しますが、障がい者が浮いた感じになるのは、ハンデの部分ではなく、ズレた反応するためではないでしょうか? その構造を育んでいるのは、”より親切にする”という対処をする周囲。 奇妙な反応したら、「は?」と少し引いた方が人間関係を学ぶんじゃないでしょうか? ※ 繰り返しますが、あくまで健常者と同じ場で過ごす障がい者の事です。

  • 摂食障害を抱えていたら、友達はできない?

    私は摂食障害で、人と一緒に食事ができません。家族とも一緒に食事をしません。(家族の問題など色々あり、親の離婚など) 例えば、友達と遊ぶ時など、一緒にゴハンを食べたり、お茶をしたりしますよね?それができなくて…。 みなさんは摂食障害の人と普通に友達になれますか?一緒に遊べますか?食事の時はどうしますか? 職場でも昼休みにみんなでゴハンとかありますよね。忘新年会など。そういうときに、やはり私は食べれなくて。 摂食障害なら、友達はできないんでしょうか?

  • 「気づき」なるものが自分の中で起こる瞬間

    まず私は宗教信者ではありません。(通っていた学校は宗教学校でしたが) 私には、多分一般でいう「気づき」というものが、ふとした瞬間に起こる事があります。 今まで、大学生の頃1回、ここ1年くらいでは3回ほど「気づき」の瞬間を体験しています。 あるものごとに対して、ある瞬間に、自分の中で、「ぱっ」と解決方法が理解出来るというか、 「あっ、そうだったのか!!」って、言葉では上手く言い表せないのですが、 とにかく気づくことがあるのです。 ある教授の、普通の人にはなんてことのない一言で、 子供の頃のトラウマなようなものが「そうだったのか」って 瞬時に解決?実感?出来て、自分の中に吸収されていくような瞬間を 体験したのがはじめての「気づき」でした。 その瞬間は大学の講義中だったのですが、涙があふれてきて、 とにかく訳もわからず一人で感動しました。 その時は、その現象が何なのか分からなかったのですが、 一ヶ月後頃に大学の講義の中で「気づき」のワークというものをやった際に、 自分に起こった現象がその「気づき」であるということが判明しました。 ここ一年では、特に「気づき」というものが起こるようになっています。 会社内での問題や解決策とかを、日々どこかでなんとなく自分の中で考えていて、 ある人の一言とか、インターネット上でたまたま見かけた情報、今までの過程が一本の糸のように結びついて、 瞬間的に解決策が自分の中に流れ込んできて、理解と感動と解決方法をもたらしてくれます。 また、ある時は、ある知人から自分自身の「気づき」をもたらされた数日後、 友人自身の悩み相談を受けていたところ、 直感的に私にも出来るかもしれないと思い、 実際に、その友人にまで「気づき」をもたらし、 びっくりさせたこともありました。 起こるときは夜寝る前、布団の中でふと起こる事が多く、 大学の時のように講義中や仕事中にも起こったりします。 起こった瞬間はアドレナリンがドバーっと溢れ出てすごく興奮する感じです。 想像力は仕事柄もかなり豊かな方なのではないかと思います。 ただ、一般的に「気づき」というものが概念的にあるということは 現在でも理解出来ているのですが、その正体がよく理解出来ずにいます。。 今まで数人にしかこの事を話した事はありませんが、 周りの人にはそのようなことが起こるといった人は聞かないので 自分って宗教信者でもないし、特殊能力(笑)?なのか、 何かおかしいんじゃないのかなあとかと思ったりもします。 「気づき」の体験をされた方、もしくは「気づき」とはなんなのか。 うまく説明して下さる方はいらっしゃいませんでしょうか?? 宜しくお願い致します。

  • 障害者への虐待と差別

    私は心身に障害がありますが、パート職員で一応働いています。 ご近所の方から外を歩いているだけで、歩いてるとジロジロ見られ 一緒に住んでいる家族からも、虐待を受けています。 周りの人皆見て見ぬ振りで誰も助けてくれません。 毎日毎日自殺したいです。 一体どうしたら自分の心を癒す事が出来るでしょうか? 役所の保健福祉課に、相談してみようかと思っているのですが。 家族からの虐待は警察に相談した方がよいのでしょうか? 悩んでしまって、夜も眠れません。 ご回答の方、よろしくお願い致します。

  • 立てない人はがん検診を受けれませんと言われましたが

    名古屋市では胃がん検診を実施しています。 そして私は立てないハンディキャッパーです。 ところが古くからある名古屋市立の病院で「立てない人は胃がん検診を受診できません。」「これは医師の判断です。」と言われました。 そうするとこの市立病院では設立当初の昔から立てないハンディキャッパーの胃がん検診を拒否し続けてきたことになります。 市役所に苦情申し立てをしたところ、「ハンディキャッパーに多くのスタッフをわりふれない。」「たくさんの人が受診するところだから、身体障害者に多くの時間を割り振ることはできない。」と言われました。 社会がこのような発言をしていたのは数十年前のことと考えられます。 これは身体障害者差別ではないでしょうか?国際障害者年で「障害者の完全参加と平等」がうたわれたはずですが、まったく平等でもなければ、完全参加などできるはずもありません。 このような時の解決機関をご存知の方お教えください。 なお、弁護士とかはお金がかかるので解決機関になりません。 無料法律相談も立てないハンディキャッパーがヘルパーさんの準備をして行列に並ぶのは不可能なので、解決機関になりません。

  • 死んだ方が良いでのは 思う自分は変ですか?

    例えは、 ・ 植物状態で回復の見込みのない方 ・ 重度な障がいがあってベットの上一生を過ごすような方 ・ その人が生きていく為に、多くの人が苦労するような人 ・ 国民の義務が全く果たせないような人 などは亡くなった方が良いのでは?と平気で思っています。 安楽死制度や死刑制度も賛成です。 そんな考えは誤っていますでしょうか? 人としてどうなんでしょうか? 実際、父がなくなったときは、寝たきりにならなくて良かったと思いました。 亡くなったその日のうちに思いました。 だって、昨日まで健康で畑を耕していた人が、 ベットの上で介護を受けながら荒れていく畑を見たら・・・。 父が死ぬまで、毎日介護に追われるようになったら、 自分や家族は、死ぬのを望むようになるでしょう 既に、父が亡くなって何年も経ちますが、 今でも父が頭から離れませんので、 愛情といった感情が薄いわけではないと思います。 皆さんは、どう思われますか?

  • 病気のことをオープンにしようか悩んでいます

    私は三十代の脳性まひの障害を持つ者です。 仕事でつまづいてしまって退職し、主治医からは適応障害だと言われました。 最近だいぶ体調が良くなってきたのでリハビリを始めたのですが、そろそろ少しずつ就職活動も始めようかと考えています。 しかし支援センターの人に相談したら、 「適応障害のことをオープンにするかクローズにするか、じっくり考えてみたら」 と言われ、ちょっと戸惑っています。 私は文章を書くのは比較的得意なのですが、しゃべることになるとやや苦手で、もともとある足のハンデについてや脳性まひのことも、自分の言葉で説明しにくいところがあります。 それに適応障害はうつ病とかに比べるとまだまだ認知度が低いから、どこまで理解されるのかという不安もありまして。 最近は病気があっても自分で体調管理できれば採用OKという会社も増えてきているようですが、病気をオープンにしただけで面接すらだめという厳しい会社もまだあるようなので、ダブルハンデを背負った今脳性まひと適応障害を両方オープンにして仕事探しをしたほうがいいのか迷っています。 自分の自立のためにも大切なことなのであとで後悔する決断はしたくありません。ただ大事なことだから皆さんの意見を参考にしてみたいと思い初投稿させていただきました。 皆様いい知恵を貸して下さい。お願いします。

  • サラッと乗り越えられるワケ

    仕事って、お給料がもらえるうれしい面だけではなく、働いてたらいろいろ嫌なこともありますよね。 ですが、けっこう多くの人が、しんどい日々を平気そうにサラッと乗り越えているように見受けられます。  自分なんかは結構ヘコたれるほうなので、そんなタフな人を見ると、すごいなぁと思います。 タフな人たちは、なぜそんなふうにタフでいられるのでしょうか? 家族を思うとがんばれるから? 仕事ってそんなもん、と割り切っているから? 元気になれる趣味があるからでしょうか?

専門家に質問してみよう