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「すみ分け理論」って本当にすごい学説なのですか

Isaisaの回答

  • Isaisa
  • ベストアンサー率15% (5/32)
回答No.5

「自然・・」には「喧嘩」「闘争」等含みます。 しかし「すみ・・」には「生物自身の取引がある訳です。」 「自然・・」は「生き残った」的解釈がありますよね。 「すみ・・」は「生き残ろう」とする協力があります。 「個体」ではなく「全体」から見直さなくてはならなくなったからです。

noname#74
質問者

お礼

ずいぶん昔に出したもので、すっかり忘れてましたが、どうも、ありがとうございます。 「生き残ろう」とする意思を生物に考えることはできないでしょうから、結果的にそのような行動をとったものが生き残り、その行動に擬人的な解釈を施したもの、と思われます。 ところで、個体でなく全体として生物の行動を見直すことには妥当性があるのでしょうか。利己的な遺伝子などの仮説によると個体どころか1個の遺伝子レベルで考えるようになっていますが。

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