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論理数学

論理記号「ならば、→」は、前提が偽であるとき、結論が真あるいは偽にかかわらず含意命題が真と定義される。 の理由がわかりません。わかりやすく教えていただけないでしょうか。

  • 746
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回答No.3

これは記号論理学的には、単に他の論理結合子との重複を避けるためだと大学の教授から聞きました。 (以下、「T」は「真」、「F」は「偽」の略です。) 例えば「P⇔Q」と言う命題は(P,Q)が(T,T)のときT,(T,F)のときF,(F,T)のときF,(F,F)のときTとなります。「P→Q」と言う命題は(T,T)のときT,(T,F)のときF,(F,F)のときTとなるのは直感的に解ると思いますが、ここで(F,T)のときFとすると「⇔」と「→」は同じ論理結合子になってしまいますよね。 ですから重複を避けるために(F,T)のときTとするようです。

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  • mis_take
  • ベストアンサー率35% (27/76)
回答No.5

P→Q に真か偽どちらかの値を定めなくてはいけないとすると,どちらが合理的かと考えます。 x<3 → x<5 はすべての実数について正しいと考えるのが妥当でしょう。ですから 1<3 → 1<5 ・・・ 真→真 4<3 → 4<5 ・・・ 偽→真 7<7 → 7<5 ・・・ 偽→偽 はすべて真と定めます。 日常会話で,「P ならば Q」と言った時,P でない場合は don't care で真でも偽でもないと思っていることが多いと思います。 直観論理とか多値論理とかではそういうことも考慮しています。

  • killer_7
  • ベストアンサー率57% (58/101)
回答No.4

746さんがお書きのように,   Pが偽のとき,「P => Q」は真 ・・・(1) は,やはり「定義」です. 定義するのに,「そう定義して差し支えない,うまくいく」以外の積極的な理由はないでしょう. ただ,(1)とせずに,   Pが偽のとき,「P => Q」は偽 ・・・(2) や,   Pが偽のとき,「P => Q」は真でも偽でもない ・・・(3) などとすると,われわれが感覚的に理解してきたいくつかの事柄が,感覚的な理解を許さない事柄になってしまうかもしれません. その例をいくつか挙げましょう. 集合A, Bに対して,包含関係を,感覚的に   「AがBの部分集合である(A⊆B)」<=>「任意のxに対して,「x∈Aならばx∈B」が真」 ・・・(4) と定義しましょう.また,空集合をφであらわすことにし,その定義を   「任意のxについて,xはφに属さない」 が成り立つ集合φ ・・・(5) と定義しましょう(空集合の公理). (1)と決めておけば,この2つの定義から,われわれのよく知る   空集合は任意の集合の部分集合である ・・・(6) という性質が,集合論的にまったく厳密でないですが(そもそも定義がまともでない)「示せる」ことになります.やってみましょう. まず,定義(5)から,任意のxに対して,命題   x∈φ は偽です.このとき,もし(1)のように決めておけば,命題   x∈φならばx∈A は,任意の集合Aについて真です(仮定が偽だから).したがって,定義(4)から,任意の集合Aに対して,   φ⊆A は真であり,これで性質(6)が示せました. さて,もし,(3)のように決めていたとしたらどうでしょう.このときは, 定義(4), (5)だけでは,よく知っていたはずの性質(6)がいえません. ましてや,(2)とすると,「空集合を部分集合にもたない集合が存在する」ことになってしまいます. いずれにせよ,(4)や(5)のような感覚的な理解では不十分あるいは不適切である,ということになります. # ただし,(4)や(5)のようないい加減な定義でなく,別の形できちんと定義すれば, # (2)や(3)のもとでも(6)がいえるかもしれませんし, # そもそも(6)が成り立たなくたって,有益な理論体系がつくれればそれでよいのです. # したがって,このことだけで(1)が「正しく」(2)や(3)が「間違いである」と思わないでください. # ただ単に「(1)とすれば都合が良いよね」と丸め込んでいるに過ぎません. このことに関連して,つぎに,集合の包含関係と命題の真偽の関係を例としてあげましょう. 命題「P => Q」があるとき,なんらかの意味で,Pをあらわす集合P'と,Qをあらわす集合Q'とを考え,   「P => Q」が真 <=> 「P'⊆Q'」 ・・・(7) と考えるのがいかにももっともらしいことだ,と多くの人は思っています (たとえば,命題「整数ならば実数である」は,整数全体の集合が,実数全体の集合に含まれるために真である,など). ここで,仮定Pが偽であるときを考えましょう. この場合,P'は空集合にとるのが,またまた感覚的には自然でしょう.このとき,先ほどの例とは逆に,「空集合は任意の集合の部分集合である」を既知としましょう.すると,Qの真偽にかかわらず,すなわち,Q'がどのような集合であるかにかかわらず,P'⊆Q'です. したがって,(7)のような理解のもとで,「P => Q」は真です.(1)が自然なように思えます. このように,(1)と定義するのが自然であるような, いかにももっともらしい,ある意味で同情を誘うような例をいくつも挙げることができますが, 何度も繰り返すようにこれらはすべて「感覚的に(1)とすれば楽だよね」ということであって, (2)や(3)のような定義を捨て去る積極的な理由にはなりません. もし(2)や(3)のように定義して,矛盾がなく,(1)と定義したときと比べて遜色ないくらい有益な体系がつくれるならば, (2)や(3)と定義することからはじめても大いに結構なのです. ただ,今われわれがもっている直感にいちばんしっくりくるのはやはり(1)だよね,というだけです ((1)と定義することから論理をはじめたのだと思えば,これも詭弁ですが). 厳密には私の書いたことは何もいえていませんが, こんなふうに言われるとけっこう丸め込まれてしまいそうでしょう?

  • inayou
  • ベストアンサー率30% (7/23)
回答No.2

そもそも前提が間違っているのだから 結論は真でも偽でも変ではない ということから命題は真となる。 という風に理解しています。 例えば、 "電話がなった" → "受話器をとる" というのであれば、別に電話が鳴らなくたって 受話器を取ったって変なことではない。 電話を掃除しています、とでもいっておけば変ではなくなる。

  • koko_u
  • ベストアンサー率12% (14/116)
回答No.1

「おまえが数学の天才だとするなら、日本人すべてが大数学者だ。」 みたいな言い回しはよく使われると思う。

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