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封建制(日本欧)においての「武」

日本で言うと武家社会の終わり、西欧で言えば封建貴族王政の終わりまで、その上に立つ立場の人たちと言うのは、どういう「存在」として認識されていたのでしょうか。 私なりにわかった事は、部分的ですが、どちらも「武」というものを最終的な容認手段にしているのではないかと言う事です。日本の武士は、太平の世にほとんど武器を手にする事は亡くなったとしても、依然として帯刀を続け、「切腹」「無礼御免」「敵討ち」という「名誉」の特権を与えられていました。西欧では貴族がやはり「決闘」という「名誉」のための習慣を持っていました。これらは「武」の精神に通じるものです。つまりは戦争の象徴です。 結局上に立つものというのは、戦争において真っ先に戦うものという認識で認められていたのでしょうか。それだから、武士が暇をもてあまし、王侯貴族が遊蕩にふけっていても、世間は一応それを容認したという事情もあるのでしょうか。

noname#32495
noname#32495
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noname#24488
noname#24488
回答No.1

 西洋の騎士については知りませんので、日本の武士についての感想を一言。  戦国時代にはおおせのような容認の仕方、すなわち治安の維持や外敵から庶民を守る庇護者ということで、武士も庶民も共通の認識があったかな、という感じはします。  江戸時代に入ると、武士も軍人や警察官の役割よりも行政官の比重が増してきました。ところが登城しても勤務時間が少なく、おおせのようなヒマを持て余す状態になりました。余った時間は軍人として武芸に励まないといけないのにです。  これではならじと考えたのかどうかはよく知りませんが、武士道という考え方が出てきて、無為徒食特権と名誉特権が命の軽さと抱き合わせで、武士のアイデンティティーの拠りどころとされるようになってきました。  さて江戸時代の庶民が武士というものを、外敵からの庇護者として真っ先に命を投げ出して自分達を守ってくれるんだから、無為徒食特権を容認していたかというと、そこまではという感じがします。  西部劇の保安官ですと市民がお金を出し合って雇ったわけですから、市民はその役割を十分認識していたと思いますが、江戸時代の武士は支配者としての歴史が長く、大方の庶民は、武士というものは上に立つもんだという単純な認識だったんじゃないでしょうか。  武士側の心ある人は、無為徒食特権と名誉特権は、庶民の庇護者として、軍人として、命を投げ出すということのためにあるという認識はしていたと思いますが。

noname#32495
質問者

お礼

武士道って新しい概念なのですね。余計なものなのか必要なのか。いずれにしても武器を取らなくなった侍の存在価値というものが揺らいでいることは確かです。役人としてのやややっかみなきもちであったんでしょうね。

その他の回答 (1)

noname#26663
noname#26663
回答No.2

封建制の要素は君主と農民です。 法外な税金を納めさせる為に「侍」はいました。 戦後の進駐軍のような物です。 逆らえば殺されます。 武士は上に経つ人間としてのプライド「名誉」を持って生きていましたが、実際の生活は苦しく、商人の力は増していました。 しかし、特権階級と言う支配者の側の人間です。 日本では華族と言う封建制は残ります。 朝廷と言う君主もそのままです。 もう少し他の方面(経済面)からも研究なさって下さい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AF%E3%82%B8%E3%83%BC

noname#32495
質問者

お礼

ブルジョアと言うものをどう考えるかですね。やはり武士が形骸化して言った過程と言うことなんでしょうね。

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