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数学的に、将棋と碁の手数はどちらが多いですか?

starfloraの回答

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  • starflora
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回答No.8

    囲碁は正確なルールを知らないのですが、囲碁でも「千日手」があるとなると、計算はどうなるか面倒になります。     将棋も囲碁も、名人あるいは相応に熟達した人が勝負すると、考えている時間はともかく、有限の回数で勝負が決まるはずです。また、それはかなり初心者の場合でも同様だと思います。何故なら、「勝負するため」に行うゲームなので、無意味に金を前に動かし後ろに下げというようなことを、無限回数繰り返すというようなことを、人間が勝負する場合は行わないからです。     人間が勝負するという前提で、有意味な勝負をするとすると、将棋の場合が、エントロピーが低いはずです。つまり、秩序性が大きいのです。最初の陣配置が決まっていて、ここから陣形をまず整えつつ、相手に攻めて行くのが将棋です。相手の陣形が崩れ、こちらも崩れ、王将・玉将が、互いに相手の陣地にいるというような倒錯したパターンに勝負が展開することもありえますが、もう一度、それが反転してということは、ほとんどあり得ないでしょう。     将棋の場合、「詰め将棋」があるように、或る配置の時に、有効な手というのが、秩序的に決まって来ます。自己の陣形を固めて相手に攻撃を加え、これで勝敗が決まらない時は、陣地が色々な場所に移動しますが、そういう移動は二回か三回までのはずです。人間が勝負している限り、まったくルールを知らない人は、何をするか分かりませんが、少しルールを知っていれば、有限の手数内で、勝負が決まり、そのパターンは相当に秩序があります。つまり、秩序パターンからのヴァリエーションが、将棋の複雑さになります。     囲碁の場合、どこが自分の陣だとか、そういうものもない訳で、局所的な「詰め囲碁」はやはり定型があっても、升目の数が将棋よりも格段に多いこと、秩序性が、決まっていないというか、考え方では、無数にあるとも言え、同じ勝負を、90度づつの回転で、四通りに分けても、別の勝負パターンだと勘定できるので、(将棋の場合、陣が完全に反対に入れ替わるとかの場合でも、こんなことはありえません)、局所的な勝負でも、同じ回転のパターンがあり、(将棋では、相手と自分の二つの方向があって、これは結局、一つの方向しかないことになり、盤面が狭いので、或るパターンを、平行移動させてできる勝負パターンは、せいぜい、三つか四つで、平方しても、9か16,……それに対し囲碁は、局所勝負が四つ回転でできる以外に、平行移動で、10以上の可能性があり、その平方だと、100のヴァリエーションがあります(まったく同じ局所局面を縦横の平行移動で、100以上造れるのです。回転も加えると400です)。     一見、将棋の方が複雑に見えますが、将棋は、秩序性が高いため(駒の機能秩序も高いですし、盤面の目が少ないので、熱力学的な要素の拡散のエントロピーも小さくなります)、実は、有意味な手のパターンは、限られているということになります。限られたパターンからのヴァリエーションなので、これも限られていることになります。囲碁は、エントロピーが非常に高いです。個々の玉の機能に何の秩序性もありません。     将棋の場合、乱暴な話で、自陣は、9・2・9で、20の駒を使います。これが、前進して一歩前へ平行移動し、その時、すべての駒が位置を交換し合うとすると、「空き」も駒にとりあえず考えると、1前進の平行移動で、30の駒が新しい30の位置にランダムに入ると、30!です。相手の陣まで、6ステップなので、6X30!、相手もこういう可能性で動くので、(6X30!)^2 この程度で、勝負か決まるはずです。30!=2.6X10^32 です。(6X30!)^2=2.4X10^66 です。概算ですから、どこか間違っているかもしれませんが、この程度のオーダーです。ありえない駒の配置を数えているので、実際はもっと少ないです。     駒がなるとか、色々ヴァリエーションがあるように一見思えますが、勝負を人間が行っている限り、「有意味な手」しか打ちませんから、有意味な手のなかでのヴァリエーションということになり、盤面が小さいので、ヴァリエーションはそんなに多くありません。     囲碁の場合は計算原理が、いま少し分かりませんが、人間が勝負する場合、囲碁の場合は、開始から終了まで、長くて、50時間か60時間ぐらいだと思えます。将棋はもう少し短く、長くて10時間か20時間でしょう。現実には、一手に10分だとしても、200手でつみなら、2000分、つまり33時間です。10分もかけませんから、10時間から20時間というのは、人間の勝負時間に合っていることになります。     囲碁は、升目の数をほぼ埋め尽くすと勝負が決まります。ほぼ、というのは、まだ相当開いていても、勝敗は決まるからです(人間が勝負している場合)。しかし、そうとしても、升目が半分もうまらないうちに勝負が決まるのは珍しいというべきでしょう。     囲碁の碁盤は、19路あるようなので、19X19=361で、ランダムに、この半数を埋めて行く可能性の数は、361!/180!……これは、将棋の30!どころの比でありません。この可能性の数は、無意味なパターンも多数含まれているとしても、局所的選択の可能性から言うと、200!ぐらいのパターンはありそうです。到底将棋のパターンは比較になりません。      以上の非常に原始的な考察からして、囲碁が圧倒的に、「手数」が大きいです。ただし、人間が勝負する場合です。その理由は、将棋は盤面が小さく、エントロピーが小さく、駒の機能も決まっていて、秩序性が高く、陣形も最初は決まっていて、でたらめな陣形はなかなかないということから秩序性が高く、勝負のエントロピーが小さいのに対し、囲碁は、盤面が広く、玉に機能区別がなく、エントロピーが非常に大きいので、こうなります。      コンピュータとか、「無意味な手」を打つ場合は、どちらも、無限回まで勝負が延長できるので、この無限は、「可算無限」で、囲碁と将棋は、コンピュータとか、ランダムに駒を打つような勝負者が勝負した場合は、可算無限までの限界が考えられ、「手数」は同じまたは、同じに近づく、ということになります。      本当にどうか、シミュレーション計算でも行わないと分かりませんが、以上の理論的仮説が、どのぐらい説得力があるかないかの問題です。(誰か、シミュレーション計算のアルゴリズムから、手数の具体的見込みの値は分からないが、しかし、将棋の方が手数が亜圧倒的に多いか、同じぐらいかという証明のない場合、以上の仮説考察は、かなり有効な仮説近似だと思います)。   

kenji24715
質問者

お礼

うーん、詳しい理論的な解説、ありがとうございます。 有意味な手という点では、囲碁が圧倒的に多いということですね。 > 将棋の場合、「詰め将棋」があるように、或る配置の時に、有効な手というのが、秩序的に決まって来ます。 これは経験的にわかります。たとえば、初手は飛車先か角道の歩を突くかのどちらかしか有効な手はないというようなことですね。序盤、終盤の寄せなどはそういうパターン化の傾向がかなりありますね。

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