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「ゆとり」教育論

cse_riの回答

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.10

個人的には「ゆとり教育」賛成ですね。 ただし、運用が非常に難しいと思います。 優秀な教師が行えば大きな成果を挙げられるでしょうが、能力に乏しい教師が 行えば、ただの「授業時間削減」にしかならないでしょう。 tiger-ryujiさんは、 >「ゆったり」と時間を過ごすのは大人にも子供にも大切なものではないでしょうか と述べていますが、子供に時間を与えたところで塾に通う時間が増えるだけです。 現在、既にそうなっているでしょう。 私が「ゆとり教育」に賛成なのは、画一教育の弊害を減らす効果が期待できるから です。人間には個性があり、異なった才能を持っています。それを無視して、同じ 教育内容を教えるやり方には、限界があると考えています。 「ゆとり教育」で教師の裁量範囲を広げることで、地域・あるいは個人に即した 教育をすることが可能になると考えていました。 しかし、ここで教師の能力が大きく問われます。現在「ゆとり教育」に批判の声が 高まっているのは、結局は現場の教師が「ゆとり教育」のメリットを引き出せなく て、授業内容が削減されるデメリットばかりが目立っているからだと思います。 戦後の教育は、平均的な能力を持つ人を大量に育成するためのシステムです。 ですので教育内容は画一的です。優秀な人を伸ばせるようになってなく、また その反面、落ちこぼれ(よくない表現ですが)を救済せず、基本的に切り捨てる 仕組みになっています。 日本が「追いつき追い越せ」の時代は、それでも何とかなったんですね。 最先端の学問・技術は欧米から学べば済んだため、既存の知識を暗記すること に重点が置かれました。 しかし戦後数十年たって経済大国になった時、日本はいつのまにかトップグループ の一員になっていました。他の国に引っ張ってもらうのではなく、自分の力で 走らなければならなくなりました。 そういう時代に、既存の知識を詰め込むだけの「暗記教育」は弊害が多いと思い ます。むしろ自分で何かを考える、創造性を伸ばす教育が必要です。 実のところ「ゆとり教育」をうまく運用すると、この「自分で考える」教育を していくことができるんですよ。ただし子供の創造性を伸ばすというのは、 教師の才能が問われます。暗記重視の教育と違い、マニュアルなど役に立ちません。 >小学校の徒競争で、トップで走って来た生徒がゴール前立ち止まり後ろを振り >返って、全員が手を繋いでゴールするという授業があります。 >皆が一斉に批判するこの授業ですが、僕にはこれが羨ましいのです。 tiger-ryujiさんは「結果の平等」を重視していますね。 しかし、これは子供の才能を確実にツブします。 子供に限りませんが、才能を伸ばすには「ほめる」ことが大事なんですよ。 しかし、どんなにがんばっても「結果は同じ」であれば、子供はやる気を確実に 失います。 かけっこで一等になった子供を褒めれば、その子は次にもがんばろうとします。 テストで100点になった子を褒めれば、次のテストに備えてしっかり勉強します。 そして、子供の能力を評価する場をどんどん増やせばいいのです。 人間、一つくらいは取柄があるものです。勉強が得意な子、運動が得意な子、 勉強や運動がダメでも絵がうまく画けたり、楽器を上手に弾けたりする子もいます。 結局は「機会の平等」が重要だと思うのです。 子供一人一人の能力を発揮する場を設けることで、子供の才能を引き出せるように なるでしょう。自分の才能が評価されれば、子供は自分に自信を持てるようになり ます。結果として、教育現場に活気が戻り、次世代を担う将来が有望な子供が多く 社会に出てくるのではないでしょうか。

noname#1753
質問者

お礼

こんばんは。 「結果の平等」より「機会の平等」が重要であるのは当然です。 その「機会の平等」を生み出す事こそが、マニュアルのない創造力の領域に入っているという事です。 教育改革に踏み込むのは、日本が世界の先陣を切る事になります。 「順位をつけない徒競争」自体は別に意味のある授業ではなく、まあちょと外に出て運動しようかという程度のものです。 そんな暇があるなら英単語の一つでも覚えるべきだと思う大人達がこの授業を批判する訳です。 しかし「機会の平等」を創造するためには、それを考える「ゆとり」の時間を必要とします。 大人達だけではなく、子供を含めて皆が一丸となって考えて見る価値があるのではないでしょうか。 「順位を就けない徒競争」の授業は、「機会の平等を考える社会科」の授業を生み出すステップとなるでしょう。

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