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人はなぜ特徴ある年や日付に感慨を持つ?記念物を残そうとする?

21世紀の幕が開きました。宇宙の進行・運行から見れば、なんの変哲もない新年(宇宙には 「新年」すらない)にすぎませんが、人々(私も)は1000年に一度の世紀越えに特別の感慨を もちます。また、たとえば「平成11年11月11日」の日付入りの切符とかはがきがコレクションの 対象になったりしますね。 どうして人間は特徴ある年や日付に特別の感慨を持つのでしょうか。記念に何か残したいと思うの でしょうか。 けっこう深い意味や理由があるように思うのですが。

質問者が選んだベストアンサー

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  • vw411
  • ベストアンサー率41% (12/29)
回答No.6

こんにちは、vw411です。 ちょっと興味深い質問で、(私が回答するなどちょっとおこがましいと思い)動静を見ていたのですが、すいませんしゃしゃり出ることにしました。見当違いでしたら御免なさい。 まず、質問文の”人はなぜ、、、 と言うよりも、私の考えでは日本人はなぜ、と言った方が正確ではないかと思うわけです。それというのは、私はアメリカに住んでいるのですが、はっきり言ってこちらでは新年は、ほとんど祝いません。(クリスマスは、もちろん最大のイベントですが)新年は、かろうじて元日のみ祝日ですが、2日から全く何事もなかったかのように仕事を始めます。それに新年の挨拶「A Happy New Year」すら実は、ほとんど交わされません。よってキリスト教に踊らされてではないと思います。それに英語では(たぶんドイツやフランス語も)”忘年会”とか”一年の計は元旦にあり”とかの表現はないと思います。さて問題のなぜ、、ですが、これはおそらく”時間”というものの考え方というか捉え方が深く関わっていると思います。西洋人のそれは、時間は矢のように一定方向に走っていて、決してやり直しがきくものではない。 しかし我々にとっては、時間は螺旋のようにめぐり、循環しており、現在から未来への時間は、過去の時間の出直し、新しい繰り返しである。つまり我々にとって時間は、新たに始めること(リセット)ができるものなのです。 新たに出直すためには、忘年会をして去りゆく年を忘れる必要がある、そしてはじめて、気持ちを一新して元旦に一年の計をたてることが出来ます。 というわけで長くなりましたが、答えは、(日本人は)特徴のある日付にそれを起点として新たな時間を始めたがるからです。ども。

mori0309
質問者

お礼

vw411さん、回答ありがとうございます。 > 私が回答するなどちょっとおこがましいと思い そんなことおっしゃらないでくださいよぉ~ 私のほうこそ他の欄でエラそうなことを言って失礼しました。 > 時間”というものの考え方というか捉え方が深く関わっていると思います。西洋人のそれは、時間は > 矢のように一定方向に走っていて、決してやり直しがきくものではない。 > しかし我々にとっては、時間は螺旋のようにめぐり、循環しており、現在から未来への時間は、過去の > 時間の出直し、新しい繰り返しである。つまり我々にとって時間は、新たに始めること(リセット)が > できるものなのです。 > 新たに出直すためには、忘年会をして去りゆく年を忘れる必要がある、そしてはじめて、気持ちを一新 > して元旦に一年の計をたてることが出来ます。 う~む。なるほど。これはスゴイ指摘ですね。(味わうために長文引用をしてしまいました) 西洋と東洋の文化の違いなどと簡単に片付けられないですね。民族史・気候風土・死生観・東洋哲学、、、 また仕事が上の空になりそうです。

その他の回答 (5)

回答No.5

うぅ~ん。 今年はまた一段と大晦日から~年明けにかけてにぎやかだったね。 いつにかわりなく日付かが変わっただけなのに・・・ 20世紀~21世紀へ、一つの時代が幕を閉じ新たな時代の幕開けといったところかなぁ~ 物事に意味をもたすことで、なんでもなく過ごしてしまう時間をなんでもなく思わないようにさせてるんだろうね。 『光陰矢のごとし・・・』 生きていることを実感したいという思いがそうさせるのかもね? 記念に何かを残したいのも、何かにこだわることで生きていることの証にしているのかも? いろいろつきつめると『生きる』っていうのが根底にあるように思えるんだけどねぇ~

mori0309
質問者

お礼

littlekissさん、回答ありがとうございます。 > 物事に意味をもたすことで、なんでもなく過ごしてしまう時間をなんでもなく思わないように > させてるんだろうね。 う~む。なるほど。意味や価値は、人間が自ら創るものなのですね。 > いろいろつきつめると『生きる』っていうのが根底にあるように思えるんだけどねぇ~ 生きているということの無意味化を防ごうとしているのでしょうか。

  • robo89
  • ベストアンサー率16% (2/12)
回答No.4

要は、人間というものは楽しみが欲しいのですよ 唯一、理性、文化をもった動物ですからその欲求は計り知れません その生きてる間に一つでも多く良い思いがしたい それだけですよ。 それが項をそうして、地球だけでは飽き足らず月までも資源にし、そこからさらに 火星を視野に入れてきているわけですから 好奇心とは欲望の固まりな訳です。 このことからして、人間がいかに欲深い生き物かということが分かります。 だから身の回りの簡単なことから楽しめる要因を作り出し そこに自分を当てはめていくわけです。

mori0309
質問者

お礼

robo89さん、回答ありがとうございます。 > 人間がいかに欲深い生き物かということが分かります。 そうですね。そのとおりだと思います。でもそれが生きていく原動力なのでしょうね。

  • nonkun
  • ベストアンサー率27% (98/357)
回答No.3

コレクションについてはそれが珍しいから。 人は珍しいものというよりは誰も持っていないものを所有することにかなりの興味を示しますから。それによって自尊心が満たされるのでしょう。(自慢、優越感等) また、将来価値が出ることを願っての人もいるでしょう。 また、節目は大切ですよ。そこで気持ちを新たにするよい機会ですからね。そういうのがなければ人はだらだらと時を過ごしてしまいますよ。そのため新年の抱負なんてのもありますし。また、21世紀の到来は人類の歴史を振り返って感慨にふけるのでは?(言葉にすると大げさだけど。。。) また、pco1633さんのおっしゃている、 > そうでなくては成り立たない日本経済の業界戦略の「刷り込み」もあるのではないでしょうか? の意味ですが、正月だ、バレンタインだ、クリスマスだ、お中元だ、お歳暮だ、スイートテンダイヤだ、といって消費者の財布の紐を緩めさせる戦略のことでしょう。また、「そうでなくては成り立たない」というのはそういうイベントの収入がなければやっていけないデパート・百貨店が存在するからです。

mori0309
質問者

お礼

nonkunさん、いつも回答ありがとうございます。 > 節目は大切ですよ。そこで気持ちを新たにするよい機会ですからね。 そうですね。生活にアクセントがついて、マンネリや虚無から、救われるのでしょうね。 『日本経済の業界戦略の「刷り込み」』の意味は理解できました。

  • pco1633
  • ベストアンサー率21% (199/925)
回答No.2

>ただ、21世紀がどうとかこうとかいうのは、キリスト教に躍らされてるだけなんですけどね……。 すいません、ちょっと反論・・古来日本にも「ハレの日」と「ケの日」があって、新年を迎えるにあったって「ハレの日」と解釈し行事事を企画するのは日本の方が熱心です。むしろ宗教の問題でしょうか?? >記念物を残そうとする 限りある人生のなかで「節目」って物を認識することで「生きている実感」「時間の感覚」を得ようとするのではないでしょうか?特徴ある日付・・つまり覚えやすい数字の羅列の組み合わせを気にする事により、そのときの自分の状態・出来事を鮮明に記憶にとどめる。(思い出作り?) また、そうでなくては成り立たない日本経済の業界戦略の「刷り込み」もあるのではないでしょうか? おかげ様で年末年始休みなしでした(^^;;

mori0309
質問者

お礼

pco1633さん、回答ありがとうございます。 どうも人間は『自分で作り出した概念を尺度にして世界や宇宙を計り、それを眺めて自分自ら 感動する』というような面があるような気がしてきました。「時間」も「数」も「距離」もみんな そうなのではないでしょうか。 そして「今の時間と位置のかけがえなさ」を知り「自分が生きていることの実感」が得られる ということなのですね。 『日本経済の業界戦略の「刷り込み」』というのはちょっと理解が及ばないのですが。

  • tuduki
  • ベストアンサー率29% (40/136)
回答No.1

やはり、人間いつか死ぬものなので。自分の足跡を残したいのではないでしょうか。なので、何か特別なことがあると記念にしてみたりして。後々、昔は……って思い返すための布石、とか。 連番の切符とかは、単にレアだから、という理由で持っている人も多いと思いますが。 あとは、節目節目が好きな日本人だから、とか……。 ただ、21世紀がどうとかこうとかいうのは、キリスト教に躍らされてるだけなんですけどね……。 結果。 やはり特徴あるものは珍しいもの。珍しいものはあまり普段ないものだから執着してみる。 皆が騒ぐからそれにつられてるだけじゃないでしょうか? なんか、騙されてる気がする・・・・・・。

mori0309
質問者

補足

tudukiさん、ありがとうございます。 珍しいから、めったにないから、何か記念になることをしたくなるのでしょうか? 「二度と経験できない」「まれにしか経験できない」ということが、人間のこころに何か 特別な気持ちを起こさせますよね。それが何なのか、どうしてなのかを知りたいのですが。

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