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jyabの回答

  • jyab
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回答No.10

補足です。 宗教 オスマン=トルコの宗教政策は、君主によって差はあるものの比較的寛容です。一部キリスト教徒やユダヤ人は厚遇されました。その反作用で、同地域でのモザイク状態が生まれたともいえますが'''。 パルチザン クロアチアは、ナチス側です。大戦中、セルビア人を多数殺害しています。もっとも、ナチス崩壊後、セルビア側は報復しているんですけど'''。 またトルコは、ナチスに好意的でしたから、その影響力の強い地域では同様です。 どうゆう風にディスカションを進めるのかわかりませんが、 西欧の勃興による、イスラムの相対的地位低下と国民国家概念の流行を押さえる必要があります。 ユーゴからはなれすぎちゃうかなぁ。

tsutomu629
質問者

お礼

宗教に関しては、自分でもある程度調べることができました。 パルチザンに付いては、まだまだですね 本当奥が深いです。この国は・・・。 またいい案がありましたら、アドバイスお願いします。

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