• ベストアンサー

時間の物理について

starfloraの回答

  • ベストアンサー
  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.2

    「時間」については、すでに多くの話があり、質問検索されると、複数の人が、時間について質問していることが分かります。     それらの参考文章を読んでいただくとして、ここでは簡単に述べさせて戴きます。基本的に「時間」は、意識の主観時間、意識の経験する内的な「経験時間」というものがあります。このような「意識の経験時間」について考察したのはベルグソンです。ベルグソンは、「純粋持続」であるこの「意識の時間」以外の時間は、「時間の空間表現」であると言いました。時間を空間の広がりで比喩的に把握しようとしたということで、実は、非常に精緻に思える物理学の時間も、この「空間的に把握され、表現された時間」の一種です。     「現段階の時間の把握」と言っても、時間論は、率直に感じている処を述べますと、ベルグソンの洞察以降、さほど変化も進展もしていないというのが実状です。時間についての哲学的考察や物理学的考察は多数ありますが、結局、時間とは何か、掴みきれないです。「掴みきれない」というのは、それ以前に考えられた「時間の概念」以上の概念を展開できなかったという意味です。物理学の新しい理論や現象を元に、新しく時間の概念を考察しようとしても、言葉だけ新しく、本質的な部分では、例えば、アウグスティヌスの時間論やニュートンの時間概念、ベルグソンの時間論、また仏教哲学やヒンドゥー思想のなかの、「刹那」という時間の最小単位概念や、「刹那と刹那のあいだには何があるか?」などの問題で考え抜かれた結論を追い抜くような概念、考え方は「ない」ということです。     以下の質問のなかで、「神の時間」のような言葉が出てきますが、こういう「神の視点の絶対時間」というのは、わたしも考えていますし、アウグスティヌスの時間は、このような「永遠的時間」でもあったのです。「永遠的時間=絶対時間」のなかで、現象の時間が流れる、あるいは展開しているというイメージになります。「意識の主観時間」は、「生きている時間」であって、哲学的には、これは、「永遠時間」に繋がっているという考えがあります。   >No.228574 質問:永久に会えない星たち   >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=228574     物理学の時間は、ニュートンの時間は、丁度空間と同じで、均等に同質的に流れて行く時間です。こういう時間の背景に、神の絶対時間というものが考えられていたのです。神の絶対時間の展開のなかで、運動や時間の経過や現象は生起する、という考え方です。時間と空間の枠組みは、神が絶対的に定めたもので、そうであればこそ、「物理学の運動の法則」が、あのように美しい数式で表現されるのである。これがニュートンの時間です。     相対性理論は、時間と空間の概念を大改変したと言われますが、ニュートンの時間の背後にあった「絶対時間」の概念からすれば、実は、それほど、大きな変化ではなかったとも云えます。「ニュートンの絶対時間・絶対空間」は「絶対ではない」というのが、相対性理論です。それは、運動によって、時間が延びたり縮んだり、空間も延びたり縮んだりするのですが、一体、時間や空間が延びたり縮むとは何のことかです。     アインシュタインの理論は、時間と空間が、互いに重なっているというようなイメージを提示したのです。時間が縮んだ分、空間が延び、空間が縮んだ分、時間が延びるというように、時間と空間の流れや計量は、独立したものではなく、相互連関したものであり、それ故、それは「時空」という新しい概念になりました。しかし、時間と空間は独立している訳ではないという考えは、古代ギリシアにも、インドの思想や仏教の思想にもあったのです。アインシュタインの変革は、時間と空間を独立変数とした、ニュートンの「時空」に対し、この絶対性を覆したという意味なのです。     時間は、物理学では、「変数」として表現されており、それは、とりあえず、連続変数で、実数線と対応するものと考えられています。実は、こういうヴィジョンがニュートンの時間であったのですが。物理学の様々な法則で、公式の時間変数を、マイナスにしても、理論が成立するように思える場合が多くあります。これは、「時間反転」と言い、時間を反転させても、物理公式が、同じように成立する場合、法則または公式は、「時間対称」だとも言います。しかし、熱力学の公式などは、時間対称ではなく、特定の方向、つまり、エントロピーが増大する「時間の方向」を定めています。     素粒子物理学でも、法則や公式が、時間反転に対し成立する場合がほとんどです。これは、素粒子反応過程の逆過程が存在し得るということを意味し、実際、存在することが多くあります。こういう話をすると、「時間が逆に流れる宇宙」があるのではないかという話にもなります。しかし、「時間の流れる方向が逆」だとは、どういう意味であるのかです。「神の絶対時間」というものと比較すれば、それは、「現象の展開」が、単に反対向きになっているというだけのことに過ぎません。     「意識の主観的経験時間」と、この反転した時間は、どういう関係にあるのかと言えば、現象の展開が逆転方向に進めば、意識も逆の方向に時間の経過を感じるという考え方ができそうなのですが、おそらく違うはずなのです(これはわたしの意見ですが)。「意識の経験時間」は、「絶対時間」と同じ方向に未来を感じるはずなのです。     「超弦理論」はよく分からないのですが(かなり難しい解説書を読みましたが、理解できないので忘れました。色量子力学辺りで、頭が混乱して来ます)、超弦理論の理論的結果として、「空間の最小単位」というものが出てきます。これは、「超弦」が閉じたり、閉じた超弦が絡んだりが、各種の場や、場の交換力粒子や、色々な粒子に対応するのですが、超弦は、「有限の太さ」を持っているのです。「弦」というのは太さがあります。そして、空間の最小単位は、この「弦の太さ」が決めます。ということは、時間もまた、最小単位かそれに似た様相で理論記述され、また理論では表現されることになります。     空間や時間の「連続性」というものは、或る意味で、超弦の構造からして、不連続になるとも云えます。しかし、それは、極端に微細な空間単位においてで、時間もまた微細な長さで、単位的な不連続があると考えられます。しかし、こういう時間のイメージは、古くから実はあるのです。     超弦理論でなくとも、量子力学でも、時間や空間の不連続性という概念は出てきます。ただ、それらは連続時空を前提に、確率的に不連続性が出てくるのであり、超弦理論の空間と時間の不連続性は、基本となる時間そのものの不連続性であるということになります。しかし、空間に単位があるとか、時間の不連続性とか言っても、それは、一段上に、連続的な絶対時間を前提して、その内部で、不連続を記述しているのだとも云えます。     タイムマシーンは可能であるか、という質問に対し、以下のURLでわたしは回答し、可能だと答えています。あまりに空想的過ぎると思われるのはいやなので、大分、元の文章を削って、何を言っているのか分からなくなっていますが、こういう考察もあるという意味で参照してください。   >No.208052 質問:タイムマシーンに乗って   >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=208052     何か、随分いい加減なことを書いているような気もします。超弦理論を含めて、最新の物理学理論についての本を見つけましたら、もう一度読んで見て、明らかにおかしい場合、訂正させて戴くかも知れません。また、どなたか、もっと詳しい方の意見を伺いたくも思います。     以下のURLで「時間とは何か」を色々な人が述べています。最初のURLを参考URLに入れますが、ここのわたしの回答を参照してください。この回答で書いたのとあまり変わりありませんが、少し違うことも述べています。他のURL(91554 と 39434)は、わたしは加わっていませんが、過去にあった、時間についての質問のページです。     >No.193704 質問:時間とは?   >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=193704     >No.91554 質問:「時間」について   >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=91554     >No.39434 質問:時間とは何でしょうか。   >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=39434     なお、十何次元とか、途方もない次元を超弦理論が要請しているのは、これは、多様な場やその素粒子を記述するために、超弦の背景となる空間に「自由度」が必要だからです。空間の「三つの次元」だけが、展開されており、残りの次元あるいは自由度は、「縮退」して、もの凄く薄くなっています。「次元」というより、「独立自由度」と言った方がよいでしょう。(超弦理論あたりで分からないことを書いていると思いますので、自信なしとします。一般的な「時間論」なら、自信ありにするのですが)。  

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=193704

関連するQ&A

  • 量子力学と相対論の相性の悪さ (再質問)

     大統一理論の難しさに、重力理論である相対性理論と電気・弱い力・強い力の統一理論の元になる量子力学の相性が悪いからとの解説がありました。  私なりに、  相対性理論:1個の重力子についての理論ではなく、多数の粒子の間に働く力をまとめて記述していて、エネルギー値は連続と捉えることが出来る。  古典的で微分可能とする考え方に立っている  量子力学:基本的には1個1個の粒子の間に働く力を記述しているので、多数の粒子の関係を記述する場合、計算が膨大になり実用的でなくなる。  飛び飛びのエネルギー値をとるので、微分不可能。  この両理論の性質の関係で、相性が悪く統一がむずかしいと解釈していますが、なにぶん素人なので正しいかどうか確信がもてません。  原子数数千~数万個の微小粒子になった金属は、相対論や量子力学で説明できない特異な性質を示すことがあると聞いたことがあります。  両者の中間領域で起こる現象は、量子論で解析するには、粒子数が多すぎ、相対論が適用できるほど粒子が多くないと考えていいのでしょうか。  専門家の方のご意見が聞けたら、幸いです。

  • 物理学的真空について知りたい

    私が学んだところによりますと、真空とは完全な無ではなく、ゆらぎの場であるとのこと。 それは、極ミクロな世界かつプランク時間(?)より短い時間の中では「エネルギー保存の法則」が破れ、無から粒子が現れることが予想されるため。その根拠は原子同士が結合する力を説明するには、そのような粒子が存在すると考えなければ辻褄が合わないから。 さらになぜ原子がくっつくのに粒子が必要かというと、力は全て「粒子の交換」であると物理では考えるから。粒子の交換という概念は「場の量子論」から生まれた。さらに「場の量子論」は「一般相対性理論」から物理量として扱われるようになった「場」を量子化することで生まれた。(粒子の対称性を予言) この計算法は成功していると考えられる。 つまり「相対性理論」と「量子論」が正しければ、必然的に真空とはゆらぎの場であるという結論に達する? ここまであってますか?

  • 量子力学と相対性理論の相性の悪さ

     大統一理論の難しさに、重力理論である相対性理論と電気・弱い力・強い力の統一理論の元になる量子力学の相性が悪いからとの解説がありました。  私なりに、  相対性理論:1個の重力子についての理論ではなく、多数の粒子の間に働く力をまとめて記述していて、エネルギー値は連続と捉えることが出来る。  古典的で微分可能とする考え方に立っている  量子力学:基本的には1個1個の粒子の間に働く力を記述しているので、多数の粒子の関係を記述する場合、計算が膨大になり実用的でなくなる。  飛び飛びのエネルギー値をとるので、微分不可能。  この両理論の性質の関係で、相性が悪く統一がむずかしいと解釈していますが、なにぶん素人なので正しいかどうか確信がもてません。  専門家の方のご意見が聞けたら、幸いです。

  • 真の意味での統一理論

    私は物理学について詳しくありませんが超弦理論は、 たとえ完成されて現実を巧く説明することができるとしても真の意味で統一理論ではないと思います。 真の意味で統一する為には、少なくとも下の2点について解明しなければならないと思います。 1. 弦の結合・分離条件 と 振動状態を決定する要因やパラメータを統一する必要がある 2. 弦を構成する要素を点(ないし剛体)の正体まで突き詰める もちろん超弦理論が完成することで4つの力を統一的に記述できるようになれば、 それの意義はあると思いますが、その段階では真の意味の統一とはまだ言えず、 言うなれば、擬似的な統一に過ぎないように思えてなりません。 このような考え方は間違っているでしょうか?

  • 特殊相対性理論で定義された時間の解釈について質問します。相対論ではある

    特殊相対性理論で定義された時間の解釈について質問します。相対論ではある慣性系内の時計の合わせ方(同時性の概念)を光の伝達により定義しています。http://www.fourmilab.ch/etexts/einstein/specrel/specrel.pdf 私はこの定義がとても人為的で日常の感覚とそぐわないものに感じます。よく相対論の帰結としてあげられる、動いている物体のローレンツ収縮や動いている時計の遅れはこの時間の定義と光速度普遍の原理からの帰結となっています。しかし、たとえば動いてる系Sの時計が遅れたように見えても、それはその(光をつかった)時計の時間の測り方の原理によるもので、日常見られる現象が‘ゆっくりに見えたり’、‘歳をとらないで済む’ということではない気がします。(すなわち時計が遅れたのであって、(日常的な意味の)時間が遅れたのではない)そうすると相対性理論における時間は現象をうまく説明するための数学的、抽象的な変数(日常感じる時間とは別のもの)のように感じてしまうのですが、自分の考えに誤りはあるでしょうか?ご指摘お願いします。

  • 弦理論やM理論を究極的には点粒子理論に還元できないか

    弦理論やM理論で紐や膜は,素となるものとして,扱われていますが,振動モードや結合や切断といったパラメータを取ることから, 究極的には,紐や膜はそれらを構成する点の集まりから成っていると捉えると 素は点粒子から成っていると考えることが出来ないだろうかと思います。 そして,この場合,理論の(唯一の)パラメータは点が他の点に及ぼす作用と考えます。 その作用の有り様から紐や膜を作るような結合力ができるようになっているのだと解釈することは出来ないでしょうか (* これらの理論に関して,全くの素人なので,素朴な疑問として浮かびました) それから,これも素人の勝手な想像ですが,理論物理の発展過程において, 古典論 → 相対論,量子論 → ヒモ理論 を説明する一つの考え方として, 主観時空と客観時空という概念を用いて,説明することが出来ないかと思います。 古典論 では、… 主観時空を客観視していたことにより精度の限界があった 相対論 では、… 主観時空を客観視したままになっている。 古典論と比較できるところは,主観時空の全体的構造を捉えるようになったこと 量子論 では、… 主観時空を主観視することができるようになった ヒモ理論 では、… 客観時空を捉えるようになった というようなことを考えることはできないでしょうか?

  • 時間は動いてますか

    「時間が流れる」「時間を止める」という表現は理解できますが、時間って概念であって運動や現象ではありませんから、実際に過去や未来などというものは存在しません。過去や未来があるとすれば記憶や想像の中だと思います。 光速を超える→過去へ戻れるという発想をしている方がいましたが理解できません。時間というものが本当に動いていてそれが逆流する。もしくは過去というものが物理的に存在しているとでも思っているのでしょうか。 時間は運動でも現象でもなくただの概念だと思う私の考え方は間違っていますか? ちなみに特殊相対性理論は難解すぎてよく理解できませんでした。

  • 物理学 今からでは遅い?

    最近、YouTubeで「科学者の矜持」という講演を見ました。とても面白かったです。 講演を聞いて、量子学や宇宙論に興味を持ったので、理論物理学を勉強してみたいのですが、今からでは遅いでしょうか? 講演を見ていると、超弦理論の話が出てきたので、数学的なの話だと思うのですが…。 高校の時、数学が全くできなかったのと、物理を取っていなかったのですが、30代半ばでも勉強すれば、それなりになれるのでしょうか? 数学を用いているのをみると、30代で勉強していくには遅すぎるような気がするのですが、どうなのでしょうか? 詳しい方いらっしゃいましたら、教えてください。 よろしくお願い致します。

  • ものとエネルギーの解釈問題

    こんばんはー。 素人考えなんですが、 相対性理論の物質とエネルギーの等価の話って、解釈問題は発生しないんでしょうか? 量子力学では、波動と粒子の2重性について、解釈問題が在るみたいですが、 相対性理論のこれで、解釈問題って、聞いたことがないのですが、 全然問題にもならないんでしょうか? 僕は個人的に、粒子と波の2重性と変わらないくらい、 相対論の、エネルギーと物質が等価、という発見は、すごく本質的な感じがするんですが。 ちなみに、2重スリットの実験の文(素人向け)を読んで、四苦八苦しましたが、でも最高におもしろかったです。 で、そのあと、これがこれだけ論議を呼んだなら、相対論の同じような??原則も、解釈についてもめてもいいのに? という気がしたんですが。 どちらも、恐ろしく直観では全く理解できない、という点で、すごく似てる気もするんですが。 それとも別に当り前で、議論する余地などないんでしょうかー? 僕にとっては、ものとエネルギーが等価だなんて、信じられないことで、それこそ解釈問題として取り上げて欲しいくらいなんですが。 (解釈問題は、確か厳密には物理ではないんでしたっけ?) もしかして、粒子と波の2重性よりも、エネルギーと物質が等価なほうが更にやっかいで、それで解釈もないとか? などなど、色々想像したんですが、らちがあきません。 ネットで調べた限りでは、すぐには出てこなかったので、こちらで詳しい方にお聞きします。 勘違いしてたらかなり恥ずかしいんですが、思い切って質問と言うことで、よろしくお願いします。

  • 光の速度は変化する?

    光の速度はどんな速度で運動する人から見ても同じになるそう ですが、わたしはこの現象は光の速度が運動する人の速度に合 わせて変化するために常に同じ速度に見えると解釈しています。 この解釈のしかたは相対性理論に反しているのだそうです。 わたしは相対性理論に反しているとは思えないのですが、本当 に相対性理論に反しているのでしょうか。たしかに、相対性理 論について書かれた本には、光の速度が同じなのは時間や空間 が変化するためと書かれていたりしますが、これは光の速度が 変化するためと説明しても同じことだと思います。この考え方 は間違っているのでしょうか。