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日本人が英単語を日常生活で使うことについて

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お礼率 14% (23/162)

最近テレビや雑誌などいろいろなところで横文字が使われています。それも英語で話さなければ説明できないものを英単語で表現するのなら分かりますが、日本語でも十分に説明できるのにそれを英語でいったりしています。例えば、アクション(行動)、コンセンサス(一致)、コンスーマー(消費者)などです。

日本人は文化がなく、文化がないことが文化であるというように感じているところがあると思います。変化に対して固定概念のとらわれず柔軟に対処できる民族だとおもいます。それと同時に主体性、自分の意見がないという見方もできると思います。

だから英単語を多用し続けることも、国際化がさかんになってきているからしょうがないととらえるべきなのでしょうか?それとも横文字を使う必要のないところでは日本語を絶対に使うという価値観が必要なのでしょうか?みなさんの意見を聞かせてください。
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回答 (全8件)

  • 回答No.3
レベル9

ベストアンサー率 31% (21/66)

昔は難しい言葉、一度聞いただけでは意味を解せないことばといえば漢語でした。つまり、漢籍に通じているということはインテリの証明であり、また高等教育を受けられるだけの家柄であるとも見てもらえる訳です。 現代では、漢籍の知識が英語の知識に置き換わったのだ、と私は解釈しています。 同じ意味の日本語があるのに、わざわざ人に伝わりにくい英語に置き換えるのは、やはり優越感・特別な人間・特別なグループなのだという ...続きを読む
昔は難しい言葉、一度聞いただけでは意味を解せないことばといえば漢語でした。つまり、漢籍に通じているということはインテリの証明であり、また高等教育を受けられるだけの家柄であるとも見てもらえる訳です。

現代では、漢籍の知識が英語の知識に置き換わったのだ、と私は解釈しています。
同じ意味の日本語があるのに、わざわざ人に伝わりにくい英語に置き換えるのは、やはり優越感・特別な人間・特別なグループなのだという事を示したいからでしょう。もちろん、無意識にではあるでしょうが。
大会社の重役がテレビでインタビューを受けると、さかんに意味不明の英語がでてきます(経済の専門用語でしょう)。何を言いたいのかさっぱり分かりませんが、何かすごい高度な事をしているという感じは伝わってきます。

日本が国際化しているから英語が氾濫しているというよりも、とにかく現時点で最高の国力のあるアメリカの言葉を使うのが、それが聞きなれない言葉であればあるほど、使う側が立派に見えるからではないでしょうか。

アメリカが衰えて、ロシアが一番になれば当然ロシア語が氾濫する世の中になるでしょう。スペインが一番になればスペイン語で挨拶するようになるかもしれません。

あるいは別の見方をすれば、日本語はどこの国の言葉であれ、それをすんなり受け入れ、日本語の中で動詞化したり、形容詞化したりして使う事が出来る便利な言語だと捉える事が出来ます。和製英語といわれる言葉などは、意味まで日本人の感性に合うように変化させています。日本語には、そんなバイタリティー(笑)もあるわけです。

日本語は、その時代その時点の最高の文化の言葉を取り入れ、それを消化し変化させて、日本独自の文化を創っていくのだと考えると、ちょっと気が楽になるのは私だけでしょうか。
補足コメント
harusion

お礼率 14% (23/162)

回答ありがとうございます。

私もそうおもいます。英語を使うことで格好いいものとして見せている。またそれをテレビで見せるからそうしなければいけないものだと思うのかもしれません。
投稿日時 - 2002-03-02 20:09:39
  • 回答No.2
レベル13

ベストアンサー率 23% (256/1092)

<大和言葉にてお答え致します> はてさて、これはなんとまあおかしげな問いを立てられたものだ、と私は思いました。 なにゆえかと申すならば、遥か海を隔てた国で用いられている言葉を、軽々しく仮名に置き換えて使うべきではないというおっしゃりよう、わからなくもないのですが、片仮名で書かれているところの後に、くくりをつけて支那の国の文字で書かれてある代わりの言葉は、ひとえに「漢語」と呼ばれるものであり、それは ...続きを読む
<大和言葉にてお答え致します>

はてさて、これはなんとまあおかしげな問いを立てられたものだ、と私は思いました。
なにゆえかと申すならば、遥か海を隔てた国で用いられている言葉を、軽々しく仮名に置き換えて使うべきではないというおっしゃりよう、わからなくもないのですが、片仮名で書かれているところの後に、くくりをつけて支那の国の文字で書かれてある代わりの言葉は、ひとえに「漢語」と呼ばれるものであり、それは倭にいにしえの昔よりあるものではないからです。
「なにを人の言いたいことに揚げ足を取った横槍を入れているんだ」とおっしゃられるかもしれません。確かにそうです。しかし、「漢語」を使わないで答えようとすると、これだけでも読みづらい書き物になってしまうのはごらんの通りです。そもそもこの書き物でも、せめてもの思い遣りとして支那の国ででき、倭に伝えられた文字だけは用いているのです。それでも、まどろっこしいことを言って、かえって読み手にわかりやすく説き明かすことがうまく行っていないというのは、書いている私も思っているところです。

<ここから漢語使用を許すと・・・>
本国の文化の本質を勘考すると、中国の漢字文化の支配の影響が多大であります。19世紀の文明開化時代に西欧の文物を摂取して、西洋文明に追随するため述語を翻訳することが実行されました。夏目漱石や森鴎外ら当時の文学は現代人が過度に漢語や熟語を多用しており、読書するには若干困難であると同時に顰蹙物であるという事実を具申せねばなりません。第二次世界大戦終了後教育方針は変更され、難読さを平明さへと転向するよう文部省が操舵しました。その弊害が現代人の国語力低下と読書からの乖離という重大な問題なのです。

<ここから普通に書くと・・・>
というわけで、読みにくい熟語はなるべくなら使わないようにした方がいいと思うことから、本来日本語で表現可能な言葉も英単語によって言い換えられるようになったのです。例えば、「写真機」から「カメラ」へ、といった具合ですね。でも、「冷蔵庫」は「リフリジレーター」にはならないでしょう。なぜならかえって言いにくくなるからですね。
熟語の弊害はもう1つありまして、同音異義語というものがあります。例えば「行動」「講堂」「公道」など。文脈からわかる場合もありますが、「行動」を他のものと分別するために、「アクション」という言葉で代用することも決して悪いことではないと思います。これは1つの解決法(ソリューション)であると思います。
コンピューターが入ってきたことも、英単語をより頻繁に利用するきっかけになったと思います。メールだとか、アプリケーションだとか、ソフトだとか。

あとは、語尾物。利用者と言えばいいのに「ユーザー」とか、助言者と言えばいいのに「アドバイザー」とかですね。erがつけばなんでも「~する人」の意味になると思って、「ポエマー(詩人)」とかいう間違った語も一部使われていますし、「アムラー」とか「シノラー」とかいった言葉もそうだと思います。「コンスーマー」もその経過でできたものですね。

「国際化」という言葉も、最近では「グローバリゼーション」と言い換えられています。両者の意味にズレが生じているのですが、そのあたりはいい加減なようです。とにかく、文章が読みやすければいい、ということらしいです。

カタカナ語が入ることで、文章が生きてくるということはあります。しかしそれを日本語にしたものの方が、読み手がよりよいコンセンサスを得られるのであれば、英単語のカタカナ表記でなく、日本語で表現した方がよいでしょう。
(この文、コンセンサスを「一致」と書き換えると、しっくりこないんですよね)
しかし、時代と共に死ぬケースもありますよ。「彼はナイスガイだ」なんていう表現は古っぽく聴こえます。

言葉というのは流動するものですから、仕方ないことですね。しかし、憂慮すべきと思うところは妥協を許すことなく、正しい日本語を使うぞ、という意志を持つことが大事だと思います。そうした一人一人の努力によって、言語は磨かれていくはずです。(ただ、放送・報道媒体「メディア」の影響は大きいんでしょうが)
補足コメント
harusion

お礼率 14% (23/162)

ありがとうございます。

> しかしそれを日本語にしたものの方が、読み手がよりよいコンセンサスを得られるのであれば、英単語のカタカナ表記でなく、日本語で表現した方がよいでしょう。

コンセンサスと聞いてどれだけの人が理解できるかというのが問題だとおもいます。高校生でも知ってるか知らないような言葉だと思います。だから中学生よりも下の人には分からない言葉だと思います。また年輩の人にもわかりずらい言葉だと思います。その言葉を利用する事が間違っていると思います。たしかにいままでカタカナ語として定着したものを日本語で置き換えるのは難しいかもしれませんが、コンセンサスのように知ってる人がかなり少ない言葉をつかうことで、わざと難しい議論をしているみたいに見せたり、すばらしいことだと見せたりする事がいけないと思います。
投稿日時 - 2002-03-02 19:59:37
  • 回答No.1
レベル11

ベストアンサー率 35% (107/304)

私の住んでいるところでは外国人の比率も高く、英語は日常的に使っています。日本人同士でも英語で話す場合の方が多いです。 日本語で十分に説明できることというのは日本に古くからあったものの方が多いような気がします。逆にコンピュータ関連の仕事や説明などでは日本語で説明するのが面倒か、もしくは正確に伝わりません。 ビジネススタイルが欧米スタイルにどんどん移行している現状、昔ながらのあいまいでいい加減な日本語では ...続きを読む
私の住んでいるところでは外国人の比率も高く、英語は日常的に使っています。日本人同士でも英語で話す場合の方が多いです。
日本語で十分に説明できることというのは日本に古くからあったものの方が多いような気がします。逆にコンピュータ関連の仕事や説明などでは日本語で説明するのが面倒か、もしくは正確に伝わりません。
ビジネススタイルが欧米スタイルにどんどん移行している現状、昔ながらのあいまいでいい加減な日本語では仕事のスケジュールを決めたり、責任の所在をはっきりさせる上でも日本語は不十分だと思います。
国際化といいますが、どこまでが日本、どこまでが外国という線引き自体が無意味なのではないでしょうか?日本はさまざまなものを輸入し、そして輸出しています。多数の外国人も日本で働いています。
そして国内にいるうえではあまり意識しませんが、日本はそれなりに大国です。
国際化というのは海外を意識せず、自然に受け入れられることを言うのではないでしょうか?
補足コメント
harusion

お礼率 14% (23/162)

回答ありがとうございます。


> 昔ながらのあいまいでいい加減な日本語では仕事のスケジュールを決めたり、責任の所在をはっきりさせる上でも日本語は不十分だと思います。

たしかに英語でしか表現できない仕事上の言葉なら英語で表現するしかないと思います。でもスケジュールを決めるときに英語を使う必要性が想像できません。具体的な例を出していただけないでしょうか?

国際化はいろいろなことを受け入れられることとありますが、他の国からきた習慣や言葉をすべてうけいれることはできないとおもいます。いいものをどんどん受け入れていくことは重要と思いますが、どれがいいものであるかということを考える基準が重要だと思います。だから英語がどんどん入ってきて使わないとだめな状況になってきていますが、日本語をすててまで英語を使う必要があるのか?それがなければ日本語で表現できないのかを考えた上で使うべきだと思います。
投稿日時 - 2002-03-02 18:53:35
  • 回答No.4
レベル11

ベストアンサー率 35% (107/304)

英語を取り入れるからといって日本語に悪影響があるということは決してありません。相手が日本語でしか話せない場合は日本語を使います。 では、なぜ英語を使うのか?英語の方が日本語より簡単だからです。ゆえに世界で40億もの人が使っているのです。期日を決めたり、小さな「Yes」「No」の積み重ねの時は、あいまいな言語よりより単純な言語を使った方が間違いが減ります。あとから修正するより間違いをなくしたほうが最終的に ...続きを読む
英語を取り入れるからといって日本語に悪影響があるということは決してありません。相手が日本語でしか話せない場合は日本語を使います。
では、なぜ英語を使うのか?英語の方が日本語より簡単だからです。ゆえに世界で40億もの人が使っているのです。期日を決めたり、小さな「Yes」「No」の積み重ねの時は、あいまいな言語よりより単純な言語を使った方が間違いが減ります。あとから修正するより間違いをなくしたほうが最終的にお互いの利益になるのです。

他の国からきたものがいい物かどうかを決める基準が必要だと言われていますが、こういった基準は後から市場なり国民が決めるものではないでしょうか?
簡単な話でいいものは自然に受け入れられるでしょうし、駄目なものは廃れていきます。まずはじめに基準を作り、選別してから使うというのはあまりにも鎖国的ですね。その基準を決めるだけで、その文化や商品の価値がまた変化してしまいますよ。

また年齢や職業によって英語の普及の度合いが違うのは日本だけでなく香港やシンガポールといった英語を公用語として使っている国でも一般的にあります。
ですから摩擦はあるでしょうが、かといって全年齢層に共通した基準を設けることになにか意味があるのでしょうか?
同じ日本語の中でも世代差で価値観や言葉が通じないのはあることです。
もっと言ってしまうと英語の中での世代格差や、地方差、造語といった類のものもたくさんあります。
えてして世代格差が起こるのは言葉の違いというよりもそれぞれの世代が抱えているモチベーションの差だと思います。
モチベーションというのを日本語に意訳しますと各個人が備えている自己意識のレベルの高さといいましょうか、難しいことでも克服してやろうという心意気か、難しいから私にはわからんとあきらめるかの違いです。

日本語で間に合うなら日本語でという価値観を作るということは、何も政界共通の英語で間に合うところを日本でしか使えない不自由な言葉で表現することもないだろうにという事を決めることと同じだと思いますよ。
  • 回答No.5
レベル10

ベストアンサー率 32% (61/188)

No,4の方に同感です。 ただ、日本文化が保持できないとう話とは少し外れるのですが、 言葉は生き物のように変化し、生まれ、死んでいくもののように感じています。 外来語だけでなく、流行語のように日本語の中から生まれる言葉もあります。 そして新しい言葉には楽しみがあります。 これは、単に私だけの思いつきなので恐縮ですが、 もしかしたら、人は言葉に飽きるのではないでしょうか? 新しい表現、新しい言 ...続きを読む
No,4の方に同感です。
ただ、日本文化が保持できないとう話とは少し外れるのですが、
言葉は生き物のように変化し、生まれ、死んでいくもののように感じています。
外来語だけでなく、流行語のように日本語の中から生まれる言葉もあります。
そして新しい言葉には楽しみがあります。
これは、単に私だけの思いつきなので恐縮ですが、
もしかしたら、人は言葉に飽きるのではないでしょうか?
新しい表現、新しい言葉をいつも捜しているような気がするのです。
もちろん、意味不明な英語を連発する人は不愉快です。
でも、外国語を取り入れることを含めて、言葉が変化することは避けられないのではないでしょうか?
  • 回答No.7
レベル14

ベストアンサー率 56% (1020/1799)

 やはり私も基本語彙に関しては安易な外来語の使用に違和感を感じる者です。特に役所や報道機関は公的な存在ですので、情報の伝達に齟齬を生じるおそれのある表現は注意深く排除するべきだと思うのです。芸能人が無理にカタカナ言葉を使いたがる姿勢は滑稽にすら思えるのは私だけでしょうか。  そしてもうひとつ重大な論点があるのですが、日本の外来語的表現は海外で通用しないものが多く、英語教育に大きな障害を与えている可能 ...続きを読む
 やはり私も基本語彙に関しては安易な外来語の使用に違和感を感じる者です。特に役所や報道機関は公的な存在ですので、情報の伝達に齟齬を生じるおそれのある表現は注意深く排除するべきだと思うのです。芸能人が無理にカタカナ言葉を使いたがる姿勢は滑稽にすら思えるのは私だけでしょうか。

 そしてもうひとつ重大な論点があるのですが、日本の外来語的表現は海外で通用しないものが多く、英語教育に大きな障害を与えている可能性があります。日本人が英単語だと思っている言葉の多くが、英語を母語とする人々に対して使用しても意味は全く通じないという現象が多いのです。サラリーマン、フロントガラス、コインランドリー、バスジャックなど枚挙に暇がないとはこのことです。

 また新興団地の名前、集合住宅の入った建物の名前に使われている英語風の名称は笑止千万と言えるものが多いと感じています。さらに臨時雇いの手伝いを「スタッフ」、狭い住宅でも「マンション」など貧しい実態を隠し、あたかも高級であるといった印象を与える目的でのみ使われるのはいかがなものかと思います。中身が変わらないのに、勝手に高級な英語風の名前をつけることは実態を隠す悪意以外にいったい何の目的があるのでしょうか。

 特に、現在のカタカナ言葉の持ち込みには全くルールと言えるものがなく、このままでは混乱は広がるばかりだと思います。私は、以前米国を旅行したとき、現地のテレビなどで日本人の使う英語が笑いの対象になっていると感じる場面に出くわした経験があります。基本的には地域英語としての日本人英語が揶揄されるいわれはないのですが、勝手な英語風造語の氾濫・放置が他国の文化を尊重しない傾向であるという非難を受けても今の状況では仕方がないことだという気がします。

 日本語と他国語、特に英語との発音構造の違いを考えるとき安易なカタカナ言葉への置き換えは弊害こそあれ、利点はありません。どうしても日本語にない新しい概念を導入するときには、無理のないルール、例えばその言葉の明確な意味をその都度文書の脚注に添える、表記・発音を統一する、などの工夫が必要かと思います。私だけかもしれませんがモチベーションとかソフィスティケート、スポイル、パラダイムといった、意味がはっきり分からない言葉が多すぎるし、綴りを推測して英和辞典でしらべても、なお文章の意味がはっきりしない、つまり筆者もよく知らないで使っていると思われるカタカナ言葉の多さには驚かされます。(英語の本来の意味とは別に日本語の意味が確立していて、それを私が知らないだけなのかもしれませんが、それはそれで問題です。)

 外国語の習得と、時代に即した自国語による語彙の構築の必要性は全く別問題です。母語である言語の持つ論理構造や発音構造をしっかりと身につけてから、それを自覚した上で外国語に挑戦しないと、いずれ日本人は言語的基礎を失ってしまうという危惧はあながち大げさではないと思います。少なくとも日本語と外国語は、発音や論理構造、各単語の使い方においてそれくらい違うという認識は逆に他国語を修得する上でも重要でしょう。

 意味の通じない言葉を誰かが勝手に作って勝手に使う局面は、日本人の持つ文化の柔軟性とはまったく別次元の話であると思います。
  • 回答No.6
レベル14

ベストアンサー率 41% (1452/3497)

役所言葉の非常に悪いところの一つが,必要性の感じられない「横文字言葉」の使用であると言えますネ。 「アセスメント」「サーベイランス」「コンセンサス」‥ 何故,日本語で表記しないのか‥ 年配の,役所に対して物を申そうと考える世代にとって理解不能な言葉を導入し,雰囲気だけで流される世代に取り入ろうということなのか‥と考えたこともあります。 安易な,安易過ぎる横文字言葉の使用の最悪の結果が,コンピュ ...続きを読む
役所言葉の非常に悪いところの一つが,必要性の感じられない「横文字言葉」の使用であると言えますネ。
「アセスメント」「サーベイランス」「コンセンサス」‥
何故,日本語で表記しないのか‥
年配の,役所に対して物を申そうと考える世代にとって理解不能な言葉を導入し,雰囲気だけで流される世代に取り入ろうということなのか‥と考えたこともあります。

安易な,安易過ぎる横文字言葉の使用の最悪の結果が,コンピュータの取扱説明書でしょうか。
利用者のことを全く考慮せずに,作成者にとって楽な道を選んだだけのことですからネ。
あれ程ひどい文章を書いて平然としていられるということは信じられません。理解不能です。

英語の単語などを日本語に組み込むことが国際化だと考えることはとんでもない勘違いですよネ。
外国の人が日本語を勉強するにあたって,一番難しいと感じていることは何かご存知でしょうか?
それはカタカナ語なんですネ。
発音は元の英語やフランス語などとかけ離れている上に,意味までもが異なって用いられていることから,日本語の中に点在するカタカナ語は外国の人々が日本語を勉強する上での大きな障害となっているのですネ。

どうしても置換できない言葉は別にして,あまりにも安易に横文字紛いの単語を日本語に組み込むことには,不快感を感じずにはおれません。
言葉は時代に応じて変化するものですが,わざと変な方向に曲げていく必要はないでしょう。
以上kawakawaでした
  • 回答No.8
レベル11

ベストアンサー率 73% (196/268)

私もカタカナ語の濫用は気になります。浅薄な使用はかえって話し手の知性に疑問を持たせるようにも感じていますので、harusionさんの問題意識には共感します。 ただ外来語の使用は、「借用は言語の最大の力」という観点からすれば、原則的には止むを得ないもの、と言わざるを得ないでしょう。外来語を排して言語を純化しようという試みは、歴史上、アイスランド語など話者の少ない(26万人程度)言葉でない限り、成功を収 ...続きを読む
私もカタカナ語の濫用は気になります。浅薄な使用はかえって話し手の知性に疑問を持たせるようにも感じていますので、harusionさんの問題意識には共感します。

ただ外来語の使用は、「借用は言語の最大の力」という観点からすれば、原則的には止むを得ないもの、と言わざるを得ないでしょう。外来語を排して言語を純化しようという試みは、歴史上、アイスランド語など話者の少ない(26万人程度)言葉でない限り、成功を収めた例はないとされています。
日本語を侵食(?)するかに思える英語ですら、外来語には悩まされてきた歴史が厳にあります。
17世紀にはあまりにフランス語からの借用語が多いため、純化への動きが相当に起きたそうですが、結局英語・フランス語それぞれに違ったニュアンスを与え並存させることに落ち着きました。また、18世紀にはサミュエル・ジョンソンが「外来語でごたまぜになった英語を純化して完璧な英語に戻そう」としましたが、あえなく失敗しています。
現在英語で使用頻度の高い1万語のうち、ゲルマン系の言葉はわずか32%程度で、残りの45%がフランス語、17%がラテン語なのだそうです。外来語を拒絶しなかったことが英語に創造性、適応性、実用性を加え、結果として今の英語の隆盛があるのは一面の真実でしょう。
したがって外来語については、あくまで程度問題であって、国語の活力を生かし、より高めながら、なおかつ国民の多くの理解と支持を得られる、そのバランスが重要なのだと言えると思います。

この意味で、外来語の使用をひとまとめに見るのでなくて、性格に応じて分析的に見ることが大事だと思います。
その一例ですが、言語学者の鈴木孝夫氏によると、外来語が日本語の語彙体系に与える影響を6つの類型に分けて論じています。
うち主だったもの3つを挙げますと…

(1)追加
 バターやチーズなどのように、導入された時点で日本の中に対応するものがなく、外国語名がそのまま使われる例。
これはある程度やむを得ないケースだし、既に基礎単語となっているものも多いですから、あまり問題になりませんね。

(2)並存
 小刀とナイフ、扉とドア、ご飯とライスのように、日本語と外来語が並存しているもの。
このケースでは「せっかく日本語があるのにどうして外来語を使うんだ」という批判も多くなります。ただ、よく考えてみると例えば「ご飯」と「ライス」の関係のように、一見同じようでも、茶碗に盛られたものを「ご飯」と呼び、洋皿に盛られたものを「ライス」と呼んでいるわけで、いわば文脈によって相補的に言葉が選択されている、ということもあります。
つまり私達が「ご飯」という言葉を聞いた時、それは単に「米を炊いたもの」というニュアンスでなく、「日本食のなかで提供されるもの」という言外の意味が含まれているのです。案外言葉の担っている意味が細かいのですね。
これは、たとえば同じ雨でも霧雨、時雨、小糠雨…と細かく呼び分ける日本人の心性が発揮されている、とも分析できますから、考えようによっては外来語の存在もさほど気にならないのではないでしょうか。

(3)置き換え
外来語が本来の日本語に対して完全に優勢になったもの。
言葉を上品に見せたい、豪華に見せたい、あるいは不快な連想を避けたい、という心理が働いて外来語が選択されるもので、問題が多いのもこのパターンですね。
鈴木氏の引く例では、植物の例がよく挙げられています。
例えば、彼岸花がリコリス、釣鐘草がカンパニュラ、風車草がクレマチス…など、本来の美しく意味ある名前がどんどん(ラテン語の知識のある人を除けば)無意味な名前に置き換わっていく現象が猛スピードで進んでいます。これはさすがに行き過ぎで、誰も得をするとは思えません。
#7のpoor_Quarkさんのご意見とも通底しますが、どこまで外来語を許すのか、という議論には、既存の言葉でどれだけ新しい概念を表し得るかという観点から、外来語のイメージだけでなくその社会的価値も考慮しなくてはいけないと思えます。
鈴木氏は日本製の自動車やタバコに日本名を持ったものがほとんどないことも指摘していますが、一般に商品名は販売戦略上適したものが選択されるわけですから、これは消費者たる私達自身がが言葉への感受性を高め、具体的な声をあげることが必要なのかも知れません。

余談ですが、お役所言葉で氾濫する外来語に対して疑問を呈したのは、厚生省が最初ではなかったでしょうか。本来これに前向きに関与すべき国語審議会などは、日本語を意図的に平易にしよう、漢字を減らそうという意図のせいか、私にはカタカナ語の反乱をむしろ好ましく見ているようにすら思えます。
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