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私は実際に繋がっているかは関係なく、100代以上無理やりでも一応男系男子で続けてきたということをすごいと思っています。
でも、なぜこんなに長く続いてきたのかがわかりません。
その時一番強い人が今の血筋の天皇に代わって天皇にならなかったのはなぜでしょうか?
天皇を殺すより利用した方が良かったからという理由を聞いたことがあります。これは、統一するまでなら分かるのですが、統一した後は(他に有力な敵が居なくなれば)天皇の利用価値も無くなっていくように思います。というか、邪魔なだけの存在な気がしますが、どうなんでしょう?
中国とかでは、ある程度利用しといて、価値が無くなれば禅譲を迫るというようなことがあったように思うのですが。
それに、禅譲の様な平和的(?)な政権交代でなくてもさっさと殺して別の血筋の王朝を築こうと思う人がいてもおかしくない様に思います。
天皇はなぜこんなに長い間続いたのか教えてください。
投稿日時 - 2006-06-25 17:30:01
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回答(14件中 1~5件目)
天皇をめぐる誤解や短慮の多くは、
近代的な価値観で天皇を説明しようとする為に生じています。
そんな理屈では、天皇の謎は解けません。
古事記をどう解釈するか、特に、神話時代の伝承についてどう解釈するか、
戦前は、これを天皇の神格化に利用し、戦後は、絵空事として無視してきました。
縄文時代について学べば、学ぶほど、「縄文の心と魂」は、
古事記の物語の中に、
そして天皇の御心の中に、
脈々と活き続けていると思えてきます。
天皇は、縄文と弥生の結び目に位置する存在。
そう考えながら、古事記を読み解くと、新しい解釈ができます。
奈良盆地における縄文時代の末期に、開拓者として入り、
周囲の縄文人達と協力関係を築きながら、
水田稲作を広めた中心人物が、初代天皇とされる神武天皇だったのでは。
縄文の心と魂を、水田稲作の技術や文化に融合させることに成功したからこそ、
水田稲作の適地にも非適地にも影響力を広げていけたものと推察します。
縄文と弥生の結び目に位置するからこそ、
天皇は、古代から広範な部族に支持を広げることが可能だったに違いなく、
現代においても、国民統合の象徴に最も相応しいと考えます。
だから天皇は、一見、庶民から最も遠そうな存在でありながらも、
逆に、庶民の心に最も近く、
庶民の心の奥底にも鎮座している「縄文の心と魂」に寄り添っていらっしゃる。
東日本大震災の被災者を見舞うお姿にも見られるように、
誰よりも、庶民の心に寄り添う事がおできになる。
大抵の時代、天皇は、このような存在であり続けたから、
その時々の権力者とは別格であり続けたのでしょう。
もし、天皇を追放しようとするものなら、
まわりじゅうを敵にしてしまったでしょう。
<参考URL>
縄文の心と魂 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page047.html
古事記の解釈・編纂方針と背景 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page048.html
古事記の解釈・神代 http://web01.joetsu.ne.jp/~dimen/page049.html
投稿日時 - 2011-09-28 08:32:49
ちょっと間が空きましたが、続き。No.6 の是正です。
3.平将門について
新皇という語が「天皇に類するもの」なんて主張は、トンデモでしかありません。文字通り、新しい天皇という意味です。そもそも将門が「皇」を称する根拠が、天皇の五世の孫だという点なのですから、そのそもそもの権威がアマテラスに由来しているのは天皇と同じです。
当然、天皇を排除しようという意図もありません。そんな意図があったら、自分の政権の正統性まで失うのですから。
4.信長について
この人は、位の意味が分かっていないようです。天皇に会うには位が必要で、最終的に天皇をどうこうするにせよ、それまでの段階で会う権利を失う方がデメリットが大きいという判断を信長ならするでしょう。
つまり、位を持っているということが天皇を超えようとしたことの反証にはならないということです。むろん、天皇を超えようとしたことの証拠にもならず、いわばどうでもいいことです。
ちなみに、信長の行為として、自身を神としたというものがあります。ルイス・フロイスの日本史にかなりのページを割かれて記載されている話です。神宮を作り、参詣したら得られる現世的なご利益をいろいろ並べていたりしますし、自分の誕生日を聖日として民に祝えとも言っています。
フロイスの日本理解として、信長が擬した「神」がキリスト教の神ではなく日本神道の神であることの分別は付けられていますが、この点が実は重要です。
天皇がなぜ権威があるかというと、日本神道の総元締めたるアマテラスが勅を下したという歴史があるからです。アマテラスにどう対抗する気だったのかは謎ですが、信長は、はっきりと対抗する土俵には自らを立たせていたわけです。
● シナについての補足
相手が嫌がるかどうかなど、これもはっきり言って歴史を語るのにはどうでもいい話です。ましてや、その「嫌」が差別に基づくものであれば、尚更ですね。
何が大事なのか、優先順を理解できていないようです。
● 島流しについての補足
あいまいな「例」という具体性の無い話を除くと、結局、自分の感情でしかこの人は語れていませんね。信長の時代の感覚とすらずれているこの人の感情が、平安期の貴族の感情とマッチするという保証がいったいどこにあると思っているのでしょう。
語るに落ちたようです。
投稿日時 - 2006-07-29 15:16:08
> 天皇はなぜこんなに長い間続いたのか教えてください。
時の権力者は、朝廷の権威を利用するだけ利用して、役に立たなくなると適当に処分するという姿勢で一致しています。
その代表な犠牲者は、108代の後陽成(ごようぜい)天皇と次の後水尾(ごみずのお)天皇です。 後陽成は信長、秀吉、家康の三人の権力者と付き合う羽目になりました。 流石に最後の家康は、彼を座敷牢に幽閉、息子の後水尾を立て、これの後盾になって、自分の権威を保全しています。
陽尊陰背(ようそんいんぱい)という言葉があります。 表向きは奉っているが、陰では背いている。 これは、時の権力者が天皇に対して取って来た態度を象徴的に表した言葉です。
さて、話題を戻して、109代の後水尾天皇です。 何事にも疑り深かかった家康は、二代将軍秀忠の娘を中宮として送り込みます。 これは藤原氏も曽我氏もやったことです。 彼の凄いのは、天皇家の石高を一万石に削減し、力を弱めています。 その代りに将軍家より、薬師(くすし)をスパイ代りに派遣しています。 後水尾には側室に生ませた19人の男子がいましたが、これが都合良く次々と幼くして他界。 誰だって、その理由はわかります。
業を煮やした後水尾は、即位10年余で位を娘に譲り、退位しています。
110代の明正(めいせい)天皇で、家康の曾孫に当ります。 後水尾と将軍家との綱引きは秀忠、家光と続きます。 将軍家は将軍の娘を中宮に出してはいますが、天皇家には一切経済援助はしません。 するのは、人材派遣のみ。 目的は明確で、将軍家への報告の為。 110代、明正から122代孝明まで将軍家の干渉は続きます。
天皇家が長く続いたのではなく、利用できるように適当に改造したのです。 ですから天皇家の方にも、生き延びる為の『ノウハウ』が存在しています。 今の天皇が絶対に会おうとしなかった人が二人います。 ひとりは三〇由〇男、もうひとりは中〇根〇弘です。 彼らがどう利用しようとしているのがわかっているからです。
投稿日時 - 2006-06-29 06:13:12
シナが本来的に蔑称かどうかはまったく持って問題なく、相手が嫌がっているかどうかが問題ですね。
言ってしまえば、ジャップだってもともと蔑称ではありません。ニガーだってそうです。今は小説とかでも消えた黒人、という表記も同様です。インディアン、インディオも今は表記が控えられていますが、蔑称ではありません。
でも、いずれも現在は使ってはまずい(またはあまり好ましくない)言葉になっているはずですが?
代替の言葉があるのにわざわざ嫌がる言葉を使おうとするのは、いかがなものかと(現状、chinaやそれに類する派生語で有力なものが存在していない諸外国と、簡単に置き換えられる言葉を持っている日本語を同じ土台に置くことがそもそも間違っているような気がしますね。そして、日本という言葉のもともとの意味も考えれば・・・)。
まあ、天皇の話とはまったくもって関係ないので、これ以上は突っ込みませんけど(他の質問で出尽くしていますし)。
島流しは、タタリ云々ではなく、ただ単に「殺すと新しく建てた天皇との関係が険悪になる可能性があるから」という現実主義的なものかと(もし先のを殺してしまうと、自分も殺されるのではないか、という疑念を抱くのは普通かと。それならば、ある程度は生活が保障されている島流しなどにしておいたほうが、はるかに良い)。
また、親王には危害が及ぶことは多々あったため、少なくとも天皇家には手を出してはいけないというものでもないようです。
タタリで考えれば、天皇の身内を襲うのもはばかられるはずですが・・・
また、都から無理やり追い落としたり、引き渡すタイミングはいくらでもあったにもかかわらず一緒に入水させたりと、決して優遇とは言えない扱いを受けている天皇もおります。暗殺説がある人もいますし・・・
もっとも、少なくとも中世においては、亡き後に弔いなどが厚遇されていますので、タタリ云々はそのあたりで帳消ししようとしているのが見えるため、ある程度までは意識していたとは思いますが・・・
土壇場になっても天皇の御身を重視していたかというと、必ずしもそうではないという例が多くあります。つまり理由の1に上がるものではないかと。
なお、この場はあくまで回答する場でして、論議は控えるようにとされていたはずです。質問者さんに対しても脱線論議は失礼かつ迷惑なので、控えたほうがよろしいかと。
投稿日時 - 2006-06-28 15:39:43