- 締切済み
ソクラテスの産婆術について説明しなさい。
starfloraの回答
- starflora
- ベストアンサー率61% (647/1050)
一応、わたしの理解するところ、あるいはわたしが聞いているところという回答です。納得されれば幸いです。 ソークラテースの「産婆術」というのは、ソークラテースに淵源されるとされる「観念弁証法」と密接な関係があるというか、観念弁証法という思考の技術の別の表現だと思います。 ソークラテースの議論は「無敵」だという評価もある訳で、その理由は、彼自身は自分は「無知」であるので、知識ある人、「智者(ソポス)」に答えが聞きたいと言って議論を始めるので、智者を名乗るソピステースは回答せざるを得なくなります。 ソークラテースが疑問または質問を出して尋ねる訳です。こういう疑問を抱いているが、答えは何なのだろうか?と。すると、問いかけられた人は、知識ある者を自称しているので、それに回答します。これが主張または命題またはテーゼに当たります。ソークラテースはその回答を良く聞き考えて、その答えを、回答者が思ってみなかった角度から捉えて、「ここの点がよく分からない、或いは、こういう見方をするとおかしくなるが、どうだろうか、君」と更に答えを求めます。 ソークラテースが回答(テーゼ)を吟味して、違う見方や角度から、答えに対し疑問を呈するのが、これが補足命題あるいは反命題あるいはアンティテーゼとなるのです。そこで、反命題を投げられた者は、それを考慮に入れて、新しく答える必要が出てきて、最初こう答えたが、実は、それは「こういうことで、貴方が云われる反テーゼは、こういう風に解決されるのです、ソークラテース」という風に回答するとします。この答えは、最初のテーゼを基礎にして、そのテーゼの矛盾や不整合や、別の角度から見た時の不備などを指摘する反テーゼに対し、テーゼを維持しつつ、反テーゼをも満たす答えになるのです。 この「テーゼ+反テーゼ」の結果の回答は、総合テーゼとなります。つまり、これがソークラテースの弁証法なのです。ソークラテースの議論は、更に続く訳で、総合テーゼの回答に更に質問を出し、その回答にも更に質問を出しという風に進むので、智者を自称していた者も、答えがないというか、自分はよくものごとを知っていなかったのだ、と告白せざるを得ない状況にまでなります。ソークラテースの思索や疑問がそれだけ根元的に、問いかけるたびに、人間の知性や理性の限界の疑問へと進んで行くからです。これ故、ソークラテースの議論は「無敵」になるのです。 このソークラテースの観念弁証法の議論様式は、別の捉え方もできるのです。それはソークラテースが質問する相手が智者と称しているかどうかは別に、何も知らないと思っている人、あるいは、自分は知識があると思っている人に、ソークラテースが質問し、分からなくてもいいから、考えて答えてほしいと言われて、とりあえず、回答すると、ソークラテースはその回答を吟味し、それは、こういう点で足りないのではないだろうか、という風な反テーゼを出す訳です。 すると無知だと自分では思っていた人でも、ソークラテースの分かり易い反テーゼ提示つまり、抜けているところの指摘を受けて考えてみると、抜けているところを補って、より回答を優れたものにする努力をして答えると、それは総合テーゼになる訳で、最初に答えた内容とは違ったものになるのです。これは、知識があると思っていた人も同様で、ソークラテースの欠けている点の指摘を満たそうと、考えを練って答えると、総合テーゼが出来て、最初とは違う考え方が得られます。 この弁証法過程の議論は、ソークラテースは、相手の考えをよく聞いて考え、抜けている点、欠けている点、おかしいと思える点を指摘するのですが、それらを補って、総合テーゼを考え出すのは、問われている者の方で、ソークラテースが総合テーゼを相手に教える訳ではないのです。 この問答法、観念弁証法の議論では、ソークラテースは、相手の考えを吟味し、その足らない処を指摘するだけで、どれが正解だとは言わないのです。しかし、相手は、自分で、ソークラテースの指摘を受けて、考え、「新しい考え=総合テーゼ」を導き出す訳で、この場合、ソークラテースの介入する疑問は、考えを反省し、より広い視点からものごとを考え、「新しい展望や思想」を、その人自身で考え出す契機となるので、こういうソークラテースの問答形式は、問答相手のなかに、新しい考え、理解、発想、命題を生み出す手伝いになっていて、生み出された新しいテーゼは、先に述べたように、ソークラテースが教えたものではなく、ソークラテースの疑問指摘を契機に、問われた者が、自分で考えて「生み出した」ものです。 ある人に「新しい発想、考え、命題」を考えさせ生み出させるための「契機」の役割をソークラテースの問答形式は持っているので、このようなソークラテースの問答方法は、新しい思想を生み出す助けとなるというので、ソークラテースは、新しい考えの誕生の契機つまり産婆で、彼の問答法は、「産婆術」に似ているというので、こういうのだと思います。
関連するQ&A
- ソクラテスの『善く生きる』
ソクラテスの『善く生きる』という言葉の意味をできるだけ簡潔にまとめたいのですが、どのようにしたらよいでしょうか。私は専門が理学系なので哲学は未履修です。高校の倫理の教科書を借りて読んでみてはいるのですが、いまいち内容に合点がいきません。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 昔の産婆さんによる殺め
その昔(といってもそう遠くない)は、生まれてきた赤子が一見して明らかに障害持ちと判ったら、産婆さんが殺めていたそうです。 今なら大問題になるでしょうが、どうして当時はそのような行為がなされて(受け入れられて)いたのでしょうか
- 締切済み
- その他(社会問題・時事)
- お産婆さん・髪結いさん
お産婆さんは助産婦さんになり、今は助産師です。昔の女性の高収入技術職といえば、更に髪結いさんでしょうか。 曽って、“産婆の亭主”、“髪結いの亭主”という言い方、慣用句が使われました。 私たちが中学を出る頃、団塊の方々がご誕生で、地域のお産婆さんはたいへんでした。 友人の家も助産所という看板でした。確かに旦那さんもちょいとどうかなということはありましたし、4人の子ども達も、結局、生活する社会人になりえず、離散しました。 子ども時代は大層、羽振りがよかったのですが。 60数年前、大学に就職した時、用務員で元憲兵大尉(非制服組・営門大尉、だから中尉で終戦でしょう)であった方も奥さんは助産婦でご本人、やはりちょいとどうかなというお方でした。 なお他人のことはいえず、私の母も相当の収入のある職人ではありまして、やはり私もあまり常識ある成長は出来ませんでしたが。 質問: 1. 産婆の亭主、髪結いの亭主という慣用句の成立する根拠は事実としてあったのでしょうか? 2. どうしてこういう高収入の方のご家庭は展開が幸せではないのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- ソクラテスの無知の知は矛盾していませんか?
ソクラテスの無知の知についてです。 高校の倫理でソクラテスのことを学び、 その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。 ソクラテスは、 「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」 と習いました。 しかしここで思うのが、 ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、 これを同じく返されたらどうなるのでしょうか? ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか? ソクラテスに対して、 「あなたは実は無知であることを知らない」 と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 速読術について
速読に興味があります。 大学受験の参考書を読む時や、 現代文の試験に使えるような 速読の本があったら教えてもらえませんか? それとも速読とは雑誌や新聞、文庫本などを対象にしているものなのでしょうか?
- ベストアンサー
- その他(暮らし・生活お役立ち)
- センター試験・生物・地学・倫理の過去問について
こんにちは。以前他の科目でも質問させていただいたんですが、 センター試験の生物・地学・倫理の過去問について質問させて下さい。 浪人生で時間があるので、過去問をできるだけ多く解きたいんですが、あまり昔の問題だと弊害があると聞きます。そこで、どのくらい昔までなら可能でしょうか?? 新・旧課程の区別はちゃんと印があるので問題ないです。 倫理は旬の問題がでるとは言え、過去において旬であった問題が弊害になるとは思えないので、1995~くらいなら可能かと思っています。 生物・地学は時代とともに変わることがもっと少ないので、1990~からでも問題ないと思っています。 これぐらい昔でも問題ないでしょうか?? 予想パックや各予備校の模試もやります。 御意見よろしくお願いしますm(__)m
- ベストアンサー
- 大学・短大