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四箇格言をどう思いますか?

buranの回答

  • buran
  • ベストアンサー率33% (259/782)
回答No.3

私はどちらかというと無宗教で(実家は仏教が宗旨です)、初詣と氏神さんに参るぐらいの信仰心しかない、という立場でお話しします。 四箇格言で触れている内容は、当時の既成仏教各派が伝統至上主義・教派主義になったことに対する批判であり、現世を生きる人々に根ざした宗教を目指すための日蓮の過激な方法だと思っています。 確かに一部の宗旨では珠玉の仏語であるでしょうが、自分の弟子に対してもその教えを忘れないよう、またその当時の既成仏教が陥った落とし穴に再び落ちないように自戒を強く込めた言葉だと私は感じます。 あくまで、その4つの宗派は当時代表的な宗派を上げたもので、4つの宗派自体に意味があるのではなく、仏教の存在意義を問うために敢えて人々に分かりやすい過激な表現方法を採ったと思います。

odd-art
質問者

お礼

有り難うございました。

odd-art
質問者

補足

どうして過激な方法だと判じられるのでしょうか? 格言は、方法論なのでしょうか? それに、格言の意味をご存じなのでしょうか? 日蓮大聖人は、立宗宣言以来、当時流行していた念仏・禅・真言等の諸宗を次々と破折され、これに敢然と闘いを挑んでいかれたのでしょ。

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