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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:桔梗紋について教えてください。)

桔梗紋について教えてください

このQ&Aのポイント
  • 桔梗紋は土岐氏の家紋とされていますが、他の専門書を読むと土岐氏とは関係のない人々も桔梗紋を使用するようになりました。
  • 桔梗紋の発祥地は岐阜県の県境の地とされていますが、具体的な先祖のルーツはわかりません。
  • 坂本竜馬の家紋も桔梗紋ですが、具体的な先祖についてはわかりません。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • gyounosuke
  • ベストアンサー率20% (1446/7021)
回答No.1

結局の所、家系図を追っていくしかないです。 問題は明治より前ですが、これは菩提寺の過去帳で調べることになるようです。 「過去帳 家系図」で検索してみると、その辺の調べ方についてヒットします。(参考URLはその中の一つ)

参考URL:
http://www.kct.ne.jp/~kshimizu/searc.htm
fantom77
質問者

補足

その菩提寺が祖父母が他界してるので何処なのか解らないです。 丸に桔梗紋は桔梗紋の中でも多くて土岐氏とは関係ない人々まで使用したとあるので、他の家系の追い方は解りますか?。

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その他の回答 (3)

  • ventus
  • ベストアンサー率37% (12/32)
回答No.4

http://www.otomiya.com/kamon/plant/kikyo.htm 桔梗紋といっても数多くの桔梗紋があります。 fantom77さんは「丸に桔梗」 明智家は「桔梗(水色)」 坂本龍馬は「組合い角に桔梗」       (重ね角に桔梗、違い枡に桔梗など呼び名は様々) 多くの桔梗紋の中の一つであるということなので土岐氏や太田氏の流れを汲んでいるのでは?という程度しかわかりません。 ただ下記URLだと太田氏の流れであるとのことのようです。 http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/hm_ti.html

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  • mii-japan
  • ベストアンサー率30% (874/2820)
回答No.3

できそうなことからはじめる まずお祖父さんの戸籍の除籍謄本をとる その謄本に曾祖父さんの記載があるので、それを頼りに曾祖父さんの除籍謄本をとる それぞれの原戸籍が存在すればその謄本もとる このように順次さかのぼって入手できる謄本は全て取る 除籍は80年しか保存されませんから、どこまでたどれるかは判りませんが、たどれるところまでたどります 直系の関係に無い戸籍の閲覧・謄本取得には制限がありますが、直系の関係ならば制限はありません その戸籍(除籍)に記載されていることを参考に調査の輪を広げます

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  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.2

やはり家系図か、菩提寺を探るしかないかと思います。 ほかには・・・通称、壬申戸籍と呼ばれる、明治期の戸籍台帳が法務省に保管されている(ただし法務省は廃棄したと発表)のですが、これは身分差別などの情報が含まれているため、開示はされていませんし、何度か請求が棄却されていますので、使うのは無理ですね。 それ以降の戸籍は・・・開示されているものはあるようですが、その土地の役所に行って「見せてください」といっても「はい」とは行かないため、書類手続きによって開示請求(最悪裁判所に申し立てないと開かれない可能性はあります。特に自身の祖父以降を探っていくとなると・・・まあ、たいてい書類請求をすれば通ると思います)をする必要は出てくると思います。 なお、先祖が誰でしょうか、という質問に関しては わかりません。 と答えるしかありません。 まず、桔梗紋についてですが、これは清和源氏頼光流と呼ばれるものなのですが、名前のとおり源頼光の後裔を「名乗る」人たちが使っていた家紋です(「」してありますが、これが重要)。 もっとも、同じ桔梗でも太田や土岐のものでは形が変わります。 http://www2.harimaya.com/sengoku/html/toki_k.html http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ota_k.html さて、家系についてですが、これは一筋縄ではいきません。非常に複雑です。 坂本龍馬もそうですが、武家において多くの家系というのはその一族であるというのを「名乗っている」のです。 つまり、実際にその子孫である可能性が怪しい人物がほとんどで、多くは家系図を改竄して、くっつけたり、戸籍を売ってもらって、その家公認の改竄を行ったりしました。 本当はどっかからの流れ者かなにかかと思われる人が源氏を名乗っている例は多分にあります。 これは、改竄なのかそうではないのかは、現在となってはわかりません。家系図しかその家系を証明するものはなく、かつその家系図を本物としているのも家系図だからです。 詳しくは私が回答したこれの、No2にて書いてあります。藤原氏についての解答ですが、源氏も同様です。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2192705 で、これが行われたのが平安~戦国、江戸時代。この時点で、「頼光後裔を名乗る」家が多数登場します。 さらに、明治期になってから、いわゆる平民は苗字を名乗るようになったのですが、これがもう一つの問題。 家紋とはすべての家がもっているものではありませんでしたが、明治になって、とりあえずすべての家において家紋が必要となりました。 そうなると、当時の人はどうしたかというと・・・自分で作るのはあまり気乗りはしません。もともとどういったものがあるのかもよく見たことがない人たちの話です。 となればどうするかというと・・・既存の家紋をパクるのです。これが一番簡単。 こういったことが合ったため、家紋がそれでも実際には全然関係ない家系であるということも十二分にありえるわけです。 菩提寺がわからない、ということですが、となれば菩提寺を「探し」ましょう。それが一番早い。 祖父母はすでになくなっているということですが、そうなれば親から話を聞けば祖父母がどこに住んでいたかはわかります。おそらくどこで生まれたかまではわかるでしょう。 そうしたら、その土地にて祖父母の住んでいた土地や苗字を探しましょう。苗字はしたの参考にも乗っていますが、土地によっては固まっているため非常に重要です。これで出自がわかる苗字もあります。 たとえば私の住んでいる土地の近くには、蒲谷という苗字だらけだった土地があり、とある人の話ではここ以外に蒲谷という苗字は存在していない、ということなので、苗字だけでこの土地の出自であるのはほぼ間違いない、とわかるのです。 で、どのあたりかが大まかに特定できたら、今度はフィールドワーク、というか足で稼ぐことになります。たとえば、昭和初期ごろからの戸籍を調べたり、実際にその土地に行って、いろいろな人から話を聞いたり・・・ もし本家でも見つかればしめたものです。そういう風に菩提寺を探して、最後に菩提寺の過去帳が残っていれば、江戸期からさかのぼっていけます。 詳しくは参考URLに乗っていますね。 なかなか大変だとは思いますが、大型連休等をつかってみてはどうでしょうか・・自分の家系を知りたい、先祖がどういった人なのか知りたい、というのは、人間としては普通な感情ですし、すばらしいことかと思います。がんばってください。

参考URL:
http://www.harimaya.com/o_kamon1/saguru/saguru4.html
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