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「三途の川の渡し賃は6文」は何が根拠ですか

neil_2112の回答

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  • neil_2112
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回答No.3

こんにちは。 これは六文銭、あるいは六道銭とも呼ばれる習慣で、結構一般的です。#2の方も書かれているように、現在は(金属は火葬に適さないため)紙に印刷されたものを棺に入れていますね。名前からして、穴あきの寛永通宝が一般化した江戸時代以降に一般化した風習のようです。 もともとは、六道のお地蔵さんにひとつずつ渡せるよう死人に持たせたのでしょう。六道というのは天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六つの世界で、成仏しなかったものはこのうちのどれかの世界に生まれ変わるという考えから、どこに生まれてもいいようにそれぞれの世界を見守る地蔵さんにいわばお賽銭を持たせたわけです。(お墓へ行くと、よくお地蔵さんが六体ならんでいますよね) 地蔵信仰は平安時代の末ぐらいからありますが、六道銭の記録は近世のものしかありません。恐らく、このお金を「三途の川の渡し賃」と俗に言うようになったことがきっかけで、近世になって急激に広まったのでしょう。 本当に渡し賃ならば一文でも三文でもいいはずですからね。(枕団子を六つ作るなど、葬儀前後の民俗にはこの「6」という数字が沢山でてきます) 専門的には、紙銭を燃やす中国の風習が伝来したもの、という説を唱える人もいますが、かつての貴人の古墳に鏡を入れた伝統が金属である小銭を入れる風習となって残り、やがて仏教的に解釈されてこれが6つとなり、さらに「三途の川の渡し賃」といわれるようになって広まった、という説に説得力があります。 基本にある民俗的な習慣と表面に見える仏教的なものが混交しているわけで、特定の角度から見ただけでは割りと分かりにくいのが仏教の習俗の特徴ですね。

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