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平「の」清盛・・など
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結論からいいますと「姓」と「苗字」の違いになります。 「姓」(=かばね)は、生まれ持った血族の氏(うじ)の名前で 古来の蘇我・物部・巨勢・葛城・中臣・紀・大伴・伴・橘・菅原・秦・小槻などがそうです。 源氏・平氏も天皇家から別れた血族の一つです。 これらの名前は「~の」と呼ぶことができます。 「苗字」は新たに姓とは別に名乗ったもので地名などを「苗字」とする場合が 多いです。藤原氏の九条・鷹司・近衛や源氏の武田・平氏の北条などがそれです。 つまり質問の北条政子は、やはり平政子(たいらのまさこ)なのです。 古代から中世にかけてはこの「姓」が正式な名前とされ、古文書にも 「苗字」ではなく「姓」で署名されています。 近世以降、姓が形式的なものになってしまって言われなくなり「苗字」だけをつかうようになったと考えられます。
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- usagisan
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前にも同じような質問があったようです。 > 昔の人の名前には読む時に「の」と入る人がいますが > これはいつ頃からいつぐらいまでそうだったのか > またなぜそうなったのか……(以下略) http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=66551
お礼
ありがとうございます。「藤原鎌足」で検索したらひっかかったのですね。 おかげさまで区別がわかりました。
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お礼
ありがとうございます。 そういえば、北条氏は、平家の出だから「執権」のまま「将軍」になれなかったのだ、という話を聞いたことがあるような・・。 イメージとしては、「地名」のほうが「○○の」になりそうな気がしていたのですが(「清水の次郎長」など)、これは実際にそうであった、というのであれば仕方ない。) 「源義仲」は「みなもとの」ですが「木曽義仲」は「の」なしですね。 姓が形式的なものになっていった原因をつくったのも、やはり北条氏でしょうね。