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聖書学者の方にお尋ねします

ho1004の回答

  • ho1004
  • ベストアンサー率40% (130/319)
回答No.2

再びこんにちは。 申し訳ないのですが「全世界の聖書学者を念頭に入れての発言」でもなく、根拠を示すのも「自信なし」です。 今、韓国に長く在住しているのですが、この国はクリスチャンがたいへん多く、教会もあちこちにあります。 自然、家にいても出かけても、伝道活動をしているクリスチャンによく会い、話をする機会がたくさんあります。 近所にも牧師さんがたくさんいらっしゃって、話した事も何度かあります。 また、神学部のある大学もあちこちにあり、神学を勉強中だという人にあったことも、何度かあります。 そんな中で知ったのは、例えば、世の中の不正をなくしたいという思いで、警察官になる人もいれば、単なる職業のひとつとして、警察官という職業を選ぶ人もいるように、牧師という職業をたまたま選んだ、という人がたまにいることです。 神学部については、ぜひ神学を勉強したかった、という人もいれば、偏差値で、なんとなく神学部に、という人や、人生を生きていく上で、神学がなにかの役に立つかも、と思っただけ、という人など、様々のようです。 また、信仰は知的な面だけでは信仰生活を継続していくことが難しい、と牧師さんや伝道師は言ってまして、知的なものと、それ以上の心霊的・心情的なものがなければならない、とのことです。 実際、聖書のちょっとした矛盾点に思える部分は無視している牧師さん、伝道師も多く「神様のことは我々人間にはわからないのです」と言ってるのもよく聞きました。 聖書にも「信仰とはまだ見ぬことを信じることである」とか「信じるものは救われる」(ちょっと文句が違ってるかも?)という聖句があったりして、とにかく信じることによって救われるから、信じてみなさい、というかんじだったりします。 神学生から、勉強したら、余計難しくなった、とかいうふうに聞いた事もあるし、実際、キリスト教は聖書の解釈の仕方によって、とても多くの教派に分かれていますね。 既存のキリスト教の教派だけでも足りなくなって、新興のキリスト教もたくさん出てきました。 それらのことから、聖書学者が必ずしも信仰をもっているわけではないと思ったわけです。 でも、読み返してみると、そういう人のほうが多いかも、と書いたのは、ちょっと語弊があったようです。 ESMEさんは、もっときちっとした理論を知りたかったのだと思いますが、私にはそのような回答はできません。 お役に立てなかったようです。

ESME
質問者

お礼

ho1004さん、ご丁寧にありがとうございました。 私が「聖書学者」という言葉を申し上げた際、念頭にありましたのは、(特にヨーロッパの伝統なキリスト教社会で生まれ育ったことが圧倒的に多く、また日本でもそうしたキリスト教の環境で育ち)大学等で聖書学を専攻されている方々です。

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