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字を左から右に書くようになった訳は?

日本語は昔、右から左に書いていたのに、いつからどういう訳で左から右に書くようになったのでしょうか?

noname#18186
noname#18186

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  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.2

    正確にこうであるという理由が不明なので、自信なしとします、これは文化慣習の起源について、現にそうなっていることに理由を付けようとすると、説明が後から付いて来るのであって、本当にどうしてそうなったのかは、なったのでなったからだという説明が言えることだからです。こうであろうという「合理的理由」が考えられても、文化の慣習には、不合理なものが沢山あるので、こうであるからこうであるという説明しかしようのないものがあります。     元々、漢字は、縦書きしました。これは甲骨文字などは縦に書くのが都合がよかったこと、剣などの銘も縦書きが合理的であったことなによりますが、横書きも排除していません。しかし、春秋戦国時代には、竹簡の上に、文字を縦書きして文書としていました。この竹簡を綴じる時、読み方、あるいは竹簡の開き方から合理的なのは、右手が利き腕ですから、右手で竹簡の連なりを引っ張って開いて行くというのが合理的だったのです。また、縦書きされた文字を読む時、右から左が読みやすかったのか、とまれ、伝統的にそのように中国語の文章は記されました。     日本語の書き方は、中国語の書き方に倣っており、これは、筆を主に使って書いていたので、右から左でもよかったのです(つまり、筆を昔は立てて文字を書いたのです。紙に袖とか手を触れないようして文字を書いていたのです)。     他方、西欧の文字は、筆記具として、ペンとインクを使いました。ペンの場合、筆と違って、或る程度力を加えねばならないためか、掌などが、紙などの上にどうしても乗るとか触れてしまいます。この時、横書きで、右から左に書くと、書いたばかりの文字のインクがまだ乾いていない時に、掌などが触れて、文字が汚れることがあったので、左から右へと書きました。また、ペンでの筆写を考えると、右手の指の動きからしても、右から左より、左から右の方が、筆記文字は書きやすかったのです。     明治時代に、西欧から文物が入ってくると共に、このような筆記順序も大量に入って来ました。しかし、明治・大正・昭和初期と、主要な筆記道具は、なお筆が主流だったのです。そして、縦書きにしていました。この時、横書きに文字を書く時、右から左は、それほど不自然ではなかったのです。     しかし、太平洋戦争に敗れた後、あるいはそれ以前から、ローマ字で、日本語を書こうという運動が起こりました。また筆記具として、筆ではなく、ペンとかエンピツが優位となって来たのです。GHQの文化的指示などもあったのでしょうが、日本の著名な文学者が、日本語は棄てて、国語をフランス語にしようなどという発言もあり、ここで、横書きの文書が段々増えて行ったのです。その時、横書きは、従来は、見出しに使っていたのですが、本文も横書きだと、人間の視線の動きから言って、左から右が自然なのです。     西欧化とアメリカナイズ、文化の変化(筆記具や文房具の変化)、英語を普通教育の外国語学習に取り入れたこと……こう言ったことが輻輳して、本文を横書きする時は、左から右がよいということになり、そういう慣習となったのです。横書き文書を書いていたのは、学者や翻訳家などで、彼らは、文章のなかに英語の単語等をはめることがあったので、左から右が自然であるとなり、また、筆記具がペンなどになると、書きやすさから、左から右となったのだと思えます。(筆の場合、立てて書いていた場合、右も左も、どちら向きでも書けたので、伝統的な右から左という書き順だったのですが……左から右もあったはずです……、ペンだと、右手の指の形から、左から右は横書きしにくいのです)。     なお、文化の偶然性というのは、日本語文章は、縦書きにすると、いまでも、右から左に文字が進むという事実があるでしょう。しかし、これも、視覚的に、この方が読みやすく合理的なのかも知れません。(古代の筆書法で、左から右に書き、今度は右から左に書き、と往復して書くような書法もありました。刻印の場合は、螺旋形に開く書き方とか、色々ありましたが、筆記という作業や、読みやすさということから、或る程度、合理的に決まって来たのでしょう)。  

noname#18186
質問者

お礼

大変ために成りました。有難うございました。私の祖父は教育者で、私が幼少の頃、祖父が大切に保管していた古い教科書(昭和初期のものだったように記憶しています)を見せてもらったことがあり、それが右から左だったので、今ごろになって疑問に感じたわけです。確かにみなさんがおっしゃるように西洋文化の影響のせいだというのは私も分かっていましたが、『いつ国が定めたのか?』を知りたかったのです。でも、その当時のことを知っている方は もう、いらっしゃらないでしょうね・・・。

その他の回答 (6)

  • nozomi500
  • ベストアンサー率15% (594/3954)
回答No.7

個々の「漢字」が(それからできたひらがなカタカナも)、「左から右」に流れているので、書きやすさを考えれば、左から右の方が自然ですね。たとえば「一」という漢字を横書きで10個、書いてみたら、←にすると行ったり帰ったりが煩わしくって仕方ない。 横書きが普及する上では、→の必要があったのではないでしょうか。 右利きにとっては、→の方が追いやすい(字がそう流れているのも理由はそこ)から、たぶん、読むのも速いはず。 新聞の題字については、題字を読むというより、紙面の使い方の問題でしょう。(縦書では題字の下にも記事を入れられるけど、横題字の場合、紙面の右上の使い方。広告代稼ぎに使うか、大見出しを押し込むか、しかし、毎日大見出しを入れられるニュースやスポンサーがあるかどうか・・・、という)

noname#18186
質問者

お礼

有難うございました。

  • Eivis
  • ベストアンサー率29% (1122/3749)
回答No.6

日本人で明治時代の早い時期からから横書きを始めていたと思われるのは理数系の一部ではなかろうか?、というのは昔の 人のノートには外国語を引用した物でも文章は右からの縦書き、アルファベットの挿入は部分的横書きも多いのです。 また私の個人的直感では明治時代に官費で西欧諸国に留学した方たちの『西洋趣味』も影響していると思います。 親の学生時代(大正末英文科)のノートを見たことがありますが、大學ノート自体横書きだし横書きのノートでした・・・しかし W大の東洋史関係の学生は昭和40年頃まで大學ノートを縦書きに使っていたが今はどうでしょう(欧文は横文字のまま)。 固いお役所では昭和二十四年の「公用文の改善」及びそれを改めた昭和二十七年の「公用文の作成要領」により左横書の方針が 定められたことに始まって、登記簿謄本なども横書きになり今日ほぼ定着した状態になりつつあります。 ここに面白い一文があるのでご紹介しよう・・・『「戦前は右横書き、戦後は左横書き」これ本当?』というのであるが、文部省の 教科書関連で教師用の本の表紙(大正15年)ということは、横書きに多大な感心があった証拠だと思います。 http://kan-chan.stbbs.net/word/migiyoko.html 縦書きの本家、中国では新聞『人民日報』が横書きのはご承知のとおり、何年からかは調べていないが日本より進んでいます。 日本の新聞の例では戦後すぐ出来た『サン写真新聞(毎日系)』が横書きタブロイド版で、紙質もツヤがあったような記憶が ありますが、その意味では日本はかなり保守的で横書きといえば『読売新聞』の題字くらいのものでしょう。 「扁額」の左からの横書きは中国では割り合い早く行なわれましたが、手元に学生時代の詳しい資料がありません・・・。 しかし、孫文?、毛沢東、周恩来クラスの方だったと思います。。。日本でも有名人が明治時代に書いていますが、このような 革新的な試みを出来るのは、どの分野にしてもかなりの実力者でなければできません。 ・・・お役に立てたかどうか分りませんが以上、いろいろ記憶をつなぎ合わせて書きました手元資料不足で自信なし。。。

noname#18186
質問者

お礼

丁寧な回答、大変嬉しく思います。有難うございました。

  • ysk6406
  • ベストアンサー率40% (237/589)
回答No.5

日本には、本来縦書きの文化しかありませんでした。 縦書きは、ご存じの通り右から左に書いていきます。 で、横書きにする場合は、「1行が1文字の縦書き」という概念が適用されていたのだと思います。 したがって、右から左に書くということになります。 このことは、前に何かの本で読んだことがあるのですが、出展を忘れてしまいました。 左から右に書くようになった経緯については、既に皆さんが回答されている通りだと思います。

noname#18186
質問者

お礼

有難うございました。

  • 8327
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回答No.4

 縦書きは右から左へ書きます。このため、第二次世界大戦までは、横書きも右から左へ書いていました。  戦後、西洋文化の影響を受け左から右へ書くようになりました  その他の要因として、縦書きが右から左へ書くのは、本来巻紙へ筆で書くのに巻紙を左手に持って右手で書いていたからです。(時代劇で時々やってますよね。)ところが、筆記用具が万年筆や鉛筆になり、机上で書き物をする場合、横書きを右から左に書くと、書いた後を手でこすることがあり、汚れます。このことを嫌ったというのも要因の一つだと考えられます。

noname#18186
質問者

お礼

有難うございました。

noname#30727
noname#30727
回答No.3

右から左への横書きが流行ったのは、大正時代からだと聞いたことがあります。江戸時代にも看板などに使われていたようですが、これを横書きと考えるかどうかは微妙なところです。 今のように、横書きを左から右に書くようになったのは、敗戦後、(半ば強制的に)西洋文化が入り込んできたからだと考えるのが一般的だと思います。パン食が広まったのも同じような理由です。

noname#18186
質問者

お礼

有難うございました。

noname#1340
noname#1340
回答No.1

今でも、横書きだと英語にならって、左から右 縦書きだと、日本語本来の右から左だと思いますよ。 昔(明治・大正?)横書きで右から左だったとすると もともとの日本語通りにしてたんじゃないのでしょうか。 万年筆の普及も関係有るのかな? 万年筆を使って右から左に書くと紙に置いた手が擦れますものね 筆だと手を上げて書きますから、擦れませんが

noname#18186
質問者

お礼

有難うございました。

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