• ベストアンサー

徳はどのような過程を経て身につくのか?

徳はどのような過程を経て身につくのでしょうか? 一般的にいわれていることは全て抽象的すぎて理解しがたい部分があります。 どのような過程を経ると身につくのか、なぜそうすると身につくのか具体的に教えてください。 自信ありの方よろしくおねがいします。

noname#2813
noname#2813

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.3

ppooooさん、こんばんは。 お返事が遅くなりましたが、「徳」についての私の考えを述べます。 以下は「人生」についての私の仮説です。私自身は確信を抱いていますが、 人にきちんと説明できるまでには至っていないので仮説とさせていただきます。 [仮説1]  第一は、人の願いは必ずかなう、ということです。  ただし、願いの大きさによって成就するまでの期間は異なります。  小さな願いは比較的短期間でかないますし、大きな願いは長い時間が  かかります。  ただし、なかなか願いがかなわなくて、願うことを止めてしまえば  そこでストップします。 [仮説2]  因果応報の理(ことわり)は実在します。  善行を行えばよい結果が生まれ、悪いことをすればそれなりのしっぺ返し  が必ずきます。  ただし、いつ善行や悪行の報いがくるかは(今の私には)わかりません。  しかし、時間が経過すれば必ず善悪の報いは生じるようです。 上記の仮説について、補足します。 願いを強く持てば、善悪に関わらず実現するようです。 世間には悪いニュースがあふれています。お金を横領したり、不倫したり、 暴行や殺人をしたりと... 結局、そういうことをする人はやはり悪なる願いを心に持っていて、それ が実現したのだと思います。 逆に言えば、善なる願いも強く持てば、それは実現します。 「徳」を身に付けたいと思ったら、それを願い続ければいいのです。 次に、願いを明確にイメージするために勉強してください。 漠然と「徳」といっても、具体性が低いと願いがボンヤリして、なかなか 形に現れないものです。 いろいろな本を読んで、どういう徳を身に付けたいか明確にしておいた方が よいでしょう。 オススメは歴史小説です。いろいろな歴史小説を読んでいけば、一人や二人 くらいは立派な人物が出てきます。坂本竜馬でも上杉鷹山でもいいですが 「こういう人物になりたいな~」という思いが出てくれば、それは潜在意識 にばっちりイメージされ、願望成就の糸口となるでしょう。 それから、因果応報について説明します。 悪いことをしていればそれなりの報いがあります。逆に日頃から善行を積んで いれば、いつかはよい結果が出てきます。 この時、善行といっても何か見返りが期待できるような行いは、あまりポイント が高くありません。女の子の気を引くために何かサービスしたり、ビジネスの ためにお客を接待をするような行為は、ダメダメですね。目先の欲望をかなえる ためには多少有効かもしれませんが、大きな願いをかなえる上ではダメダメです。 最上なのは見返りを全く期待しない、無償の行為です。 これを「陰徳」と呼びます。そして陰徳の行いを繰り返し行うことを 「陰徳を積む」といいます。 陰徳を積んでいくと、目に見えませんが、段々と自分の運がよくなって いきます。やがてそれは大きなエネルギーとなり、自分の願いをかなえる 上で、大きな助けとなっていきます。 いささか信じにくいことを書きました。私のことを大ウソつきと思うかも しれません。今の私にはこのことを証明できるだけの能力がありませんが、 自分の人生を通じて、この仮説を検証していきたいと考えています。 ちなみに、大きな願いをかなえるにはけっこう時間がかかりますし、その ために陰徳も多く積まなくてはいけません。 「徳」を身に付けるというのは、かなりレベルが高い願いですので、1ヶ月 や半年程度では難しいかと思います。 けれども数年持続すれば、たいていの願いはかないます。がんばってください。 (世界征服をしたいとかいう無茶な願いは除きますが) 参考書籍:『「陰シツ録」を読む』著者:安岡正篤/致知出版社      (シツはこざとへんに"歩"、下に馬)

noname#2813
質問者

お礼

長い間お返事が来なかったので 冷やかしかと思ってました。スイマセン。 冷やかす人が結構いるので、私も迷惑してます^^; 徳の形成過程となるとどうしても仮説的なものとなってしまうというご意見は私としても納得がいきました。 普段から薄々そのようにも感じてました。 仮説とはいえ、ご意見参考にさせていただきます。 後日再度見ることもあるとおもいます。

その他の回答 (2)

  • DASS
  • ベストアンサー率38% (116/304)
回答No.2

失礼ながら、ppooooさんの登録情報のコメント欄、今までの回答履歴を見させていただきました。 「徳について」という質問をされるのが信じられないぐらいの人格者とお見受けしました。 従って、わたくしごときが答えるのもおこがましいのですが、少しでもご参考になれば幸いですし、私の回答がすでにご存じのことばかりで、目新しい観点がなければ、それなりの補足をお願いいたします。 「徳」および「人徳」を辞書で調べますと、「修養」とか「優れた品性」という言葉が出てきます(著作権上、そのまま書くわけにはいかないので、細切れにしております)。 「修養」を辞書で引くと、「学問を修める、精神を磨く、人格を高める」などと書いてあり、堂々巡り状態になります。 そこで、私は「徳」というものは「どれだけ他人のことを思いやれるか?」という風に解釈しています。 つまり、「徳のある人」というのは、「他人の苦しみ・悲しみを理解し、慰め、昇華させ、前向きにさせることができる人」の事と考えます。 では、どうしたら他人の苦しみ・悲しみを理解できるのでしょうか? どうしたら苦しみや悲しみを慰められるのでしょうか? どうしたら苦しみや悲しみを昇華させることができるのでしょうか? どうしたら前向きな考えができるようになるのでしょうか? この「どうしたら?」がご質問の本質かと思います。 私は、「自らが体験する事」で、それらのことができるようになると考えます。 ただし、体験の中には、他人からの伝聞や書物からの知識、それらの知識に基づく想像などを含めてもよいと思います。 落語の世界でよく出てくる「ご隠居」などがいい例かと思います。 長寿の間に得た体験の多さ、人間の気持ちの動向にも知識が深く、いかにも徳がありそうですよね。 僧侶というのもいい例かもしれません。 教典を読み(過去の知識を吸収し)、瞑想にふけり、人の世について様々な思いを巡らせている。 最終的には、人を感化させるだけの、説得力のある言葉を言えなければならないと思います。 どんなに優れた考えでも、他人にきちんと伝わり、納得してもらわなければ意味はありません。 従って、「伝え方」の技能も必要でしょう。 ここまでやって「徳のある人」が完成します。 では、最終問題です。 どうして徳を得ようと思うのでしょうか? 相変わらず勝手な想像が続きますが、こんな感じだと思います。 人に優しくしたときに感謝された(例えば、電車内で老人に席を譲ったら「ありがとう」と言われたとか)。 この感謝から得られる快感が、人間に徳を積ませる原動力になると思います。 人に優しくすることはいいことだ、他人を思いやることは自分もうれしいことなのだ、という事の繰り返しで、徳が身に付いていくのではないでしょうか。 一番身近なこのサイトの例で締めくくります。 ppooooさんも、このサイトに回答して、お礼がついたり、良回答ポイントが付いたらうれしいですよね。 「もっといい回答をしよう!」という気持ちになりませんか? これが、「徳」の正体だと思います。

noname#2813
質問者

お礼

ありがとうございます。 私自身、特のある人物といわれたのは初めてで、とても光栄です。 出も、正直いってその点自信がありません^^;

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.1

ppooooさんの言うところの「徳」というのは、具体的に何を指しますか?

noname#2813
質問者

お礼

人徳のことです。 よろしくお願いします。

関連するQ&A

  • 徳を積むって具体的にどういうことでしょうか?

    徳を積めば、運気が好転するということを良く聞くのですが、私的に思うのは、人生を客観的に聡明にいきることではないだろうか? と思うのですが、具体的にこんな行動・思考は徳を積むということになりえるというを知りたいのですが。 どんなことを指すのでしょうか? 微妙に理解に苦しむので、具体的なことを教えてください、なるべくならなぜその行動はイコールなのかという理由も教えてください。 理論的に解説をいただければうれしです、お願いします。

  • 徳を積む?には

    徳は孤ならず必ず隣ありと論語にあります。 他人の協力を得たいのなら、まず自分自身が相応しい人間にならなければならない。 これは、つまり徳を積む?ということなのでしょうから、 人徳を得るには具体的にどのようなことをすべきなのでしょうか? 何かをしたからといって資格証書や免許証みたいに交付されるものでは ありませんので正解はないのかも知れません。 自分で考えるに、これは人の世話を焼くとか、 人助けをするとかという解釈でいいかとも思うのですが、 具体的にどのようなものになるのでしょうか。 何かしらの答えをお持ちの方、よろしくお願いします。

  • ベジタリアンになると徳が積めるのですか?

    お世話になります。 ベジタリアンになること=肉食をしないこと、 によって陰徳が積める、というのが人相学・栄養学の祖、 水野南北の説ということで最近、学びました。 また仏教では、追うと逃げるものは食すべからず、 のような用語があった気がします。 つまり足があって意識があるものは積極的に食べるなと。 また日本人は江戸時代までベジタリアンで、穀物中心、 たまに魚を食べる程度だったとのことです。 肉食はアメリカから持たさられたものです。 以上ふまえると、この肉食が礼賛される現代で、 ベジタリアンであることは確かに何らかの徳積みに 近いことがあるのかなと思いましたが、いかがでしょうか? とくに気になったのは、以下の知恵ノートです。 ベジタリアンレストランを経営するとものすごい量の徳を積むことができる! https://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n409247 これは意外な考えでしたが、確かに生活のためとはいえ、 肉や魚を一般人の数百倍も消費する飲食業というのは、 なんらかのカルマを背負うことになるのかなとも思いました。 極論ですが、自分の利益のために、 動物の恐怖心を無視していることになります。 これを逆にいうと、ベジタリアン・ヴィーガン食を 美味しく作って、不特定多数の人に食べてもらう、 という商売は、徳積みにつながるということでしょうか? 聞くと家畜の飼育のために人間が食べる量の8倍の穀物が 必要であり、そのために農薬や伐採が行われ地球環境に 良くないということです。 一方で、スピリチュアルな観点だと植物の魂は 「類魂」「グループソウル」であり、 足がある個体動物とは全く違うそうです。 つまり一部が食べられてもその種子がばらまかれたり、 人間が栽培してくれるので、植物はむしろ食べられることを 望んでいるということらしいです。 また植物は動物の二酸化炭素がないと光合成が出来ません。 つまり植物は動物のために(共存するため)存在しているようです。 しかし、動物は人間に食べられるために存在しているわけではありません。 人間が食べたいから家畜化されたのです。 なので、一般的な飲食店がたいして徳を積めないのに対し、 ベジタリアンレストランというのは、植物と人間の WinWinの関係であり、その結果、 かなりの徳が積めるということらしいですが・・・ この点、旧約聖書でも神様は当初、人間には果物と植物を 与え、自由に食べてよいと許可されたという話もあります。 これらから総合評価すると、自分でベジタリアンであること以上に、 菜食レストラン、あるいは農業関連の職業に就く、 というのは徳積みにつながるのかな?という感じがしております。 そういわれてみれば、畜産業や漁師さんは怖い人が多く、 農家やベジタリアンレストランの店員のほうが穏やかで、 徳?が高そうな顔をしている気がします。(全くの私見ですが) やはり動物や魚の苦しみ・恐怖を前提に商売をするより、 野菜・果物の喜び・望み、を前提に商売するほうが 徳を積む上では望ましいでのでしょうか? 正解があるものではないと思いますが・・・ 私見で結構ですので、自由なアドバイスを頂けましたら幸いです。

  • 自信がない…自信を身につける方法

    自分は20代の会社員の女性です。 自分に魅力がない原因を相談して、色々考えた結果、自信の欠如が全ての原因だと分かったんです。とにかく雰囲気も含めて自信がなさそうなんです(事実ないので)。 「自信がなさそうな人には誰も魅力を感じない」ときいたことがあります。 今までにもっと自信を持ちなさいと言ってくれた人もいます。 もちろん私だって自信が欲しい。自分が好きだって思いたいです。 でも自信って結果論で生まれませんか? 皆に賞賛されたり、仕事で上司に認められたり、何かを披露してすごいと思わせたり…。 特別なものがなくても、誰でもいい部分、得意なものはある筈で、少なからずは経験があるかと思います。 私は昔から「大勢の中」だと急に小心者になり、何もかも「怖い」で片づけてしまいます。 だから自分をPR出来ず、全て周りの人に奪われたりして、自分は情けない姿だけを見せていました。 だから裏でダメな子だねといわれたことの方が断然多いです。 そんなで周りは「あれじゃあ自信なくて当然だろうな」と少なからず思っているに違いありません。 そしてそういう目で見るから誰も「魅力的」に思わないのは当たり前かもしれないです。 でも皆がいうように少しの自信を身につけたいです。 料理を習ったり、PCの資格を持ってたりと努力はしたのですが、人にどう思われるかが全てだと思っている私がどう自信を身につけたらいいのでしょうか? そもそも「人の評価」を気にしすぎる部分がいけないのでしょうか? その辺が少し分かりにくいのでお願いします。

  • コンサートができるまでの過程を教えてください。

    プロモーター・イベンターなどの用語をある程度は知っているのですが、ライブが完成するまでの過程がよくわかりません。 誰(会社?)がやりたいと言い出して、誰(会社?)が許可して、誰(会社?)が請け負って、誰(会社)が出資するなど、一般的な流れが知りたいです。 できれば具体的に教えていただけたら光栄です。 よろしくお願いします。

  • 衣類を身につける過程において

    南方を中心に裸で生活をする部族もいますが、ほぼ全裸で生活する人たちでも子供を除いて下半身はたいてい何か身につけています。 着用する場所としてはどんな部族でも腰回り(性器を隠す形)がまず初めです。上半身は何か着ているけど腰回りは裸というのは聞いたことがありません。 この理由としては勿論先進国では法律で禁止されているとか猥褻と見做されるとかはあるでしょうが、あくまで後付けであると思います。 個人的な解釈では、この部分を攻撃されると致命的な怪我を負う危険性が高いことと、女性の場合は血の匂いを広めて肉食動物を誘い込む可能性があるからではないかと考えています。 別の解釈、または説をご存知の方、教えてください。科学的な裏付けが無い個人的な考えでも構いません。

  • 金スマでの瀬戸内寂徳さんへの質問と回答について

    先週の金スマで瀬戸内寂徳さん特集がありました。その中で、瀬戸内寂徳さんへ一般女性が質問をするところが放映されたのですが、その質問なさった女性の中に3度目の帝王切開をするという方がいらっしゃいました。私はそこのコーナーを見損ねたのですが、見られた方、質問の内容とそれに対する瀬戸内寂徳さんの回答をなるべく詳しく教えてください!

  • 法律の成立過程

    1授業や教科書で説明された一般的な法律の成立過程を、官僚、内閣、与党、野党という 語句をすべて用いつつ、300 字以内で説明しなさい。 この問題わかる方いましたらお願いします。

  • 深徳院が産んだ、徳川吉宗の本当の次男について

    徳川家重の同母弟である、徳川吉宗の本当の次男について教えてください。 徳川吉宗の本当の次男は、田安宗武ではないそうです。 徳川吉宗の本当の次男は、徳川家重の生母でもある “深徳院(お須磨の方)” が正徳3年(1713年)に産んだが、夭折してしまったそうです。 その夭折してしまった、深徳院(お須磨の方)が産んだ、徳川吉宗の次男というのは、幼名(若しくは戒名)は何で、また、生後どれぐらいで夭折してしまったのでしょうか? 深徳院(お須磨の方)が産んだ、徳川家重の同母弟である、徳川吉宗の次男についてわかる事を全て教えてください。

  • メディアリテラシーの身に着け方

    メディアリテラシーを身に着けるにはどうしたらよいでしょうか? 特にテレビで都合のよい部分だけを編集して乗せているなど、 巧妙で一般視聴者には見抜けないものがあります。 すべてを疑え、というのでは最終的にはメディアから情報を 摂取すること自体やめることになりそうですし、いい情報と 操作された情報の見分け方というものはあるのでしょうか? メディアリテラシーを鍛える方法を教えてください。 よろしくお願いいたします。