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芸術ってなに?

arai163の回答

  • arai163
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回答No.1

芸術には無知の私ですが、芸術というのは、創る人が自分勝手に思うがままに創作し、それを見る側、とりわけ肩書きのついているお偉いさん?がこれは芸術と言えば、芸術になるし、こき下ろせば、屑になってしまう。 いずれにしても芸術というのは、創る側、見る側の個人的な感性だと思う。お偉いさんが×と言ったって自分が○ならそれでいい。 何億円の作品だって自分が気に入らなければ価値なんか無いに等しいし、無名の人の作品だって気に入れば自分にとって素晴らしい芸術になる。 芸術なんてそんなものだと思う。 的外れだったかナー・・・・

stomachman
質問者

補足

ありがとうございます。的はずれなんてとんでもない、まさにそういう話をしているんですよ。  「芸術の本質はその意図にある」というのは、 [A] 意図が結果に繋がるかどうかは(重要だけど、本質的には)関係ない、ということを意味した積もりなんです。 (1) その芸術が成功する=意図した通りに、ヒトに「感動」を与えられるか、 (2) 失敗する=感動を与えられないか、 (3) あるいは、意図しない「感動」を与えてしまう(ポジティブな感動とは限らず、「くだらねえ」とか「トンデモ」も含む。) ましてや、名声や経済的に成功するかどうかは別のことと考えてるんですが..... [B] また、狙っている「感動」の特別さによって、当然レベルの違いがある。例えば (1) 誰も感じたことがないような、新しい「感動」の体験を引き起こす。 (2) (旧知だが)期待していないような「感動」(知的興奮、怒りなど)を起こさせる (3) 大多数のヒトに、確実に(旧知だが)心地よい「感動」を起こさせる(大衆芸術) (4) 期待している通りの「感動」(笑いなど)を狙う(吉本新喜劇) 例えばコンセプチャルアートなんて、作品自体ではなく、作品の方法論をアピールしている。「面白い」と言わせたいのか、「なんだよそれ」と不満がらせたいのか、ってのはあるにしても。

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