• ベストアンサー

健康の素晴らしさ

rakia2の回答

  • rakia2
  • ベストアンサー率29% (129/435)
回答No.3

健康なことの幸せですか。以下の時に健康でなければ出来ないと感じられます。 わざわざ、ラーメン1杯食べに100km以上離れた店にドライブ。 真冬の龍飛岬で横から降る雪と冷たい海峡を渡る風を体全体に受けて突っ立っている時。 夏の暑い時期に山に山菜採りに行って、河原の日陰でござを敷いてでかい握り飯食べてから、山菜を捌いて、適当に昼寝して、家に帰ってから料理して、TV観ながら採れたての山菜と日本酒が美味いと感じられる時。 夜中に120km離れた親友宅に乱入して、そのままドライブ。一晩中、北東北を散策した後で手ごろな温泉見つけて湯に浸かり、座敷で昼寝した時。 体全体で季節を感じる時。 年末に軽の1BOXカーで車中箔しながら2泊3日程度のプチ旅行した時。(ほぼ毎年。私の年中行事) 最長、3ヶ月、合計6ヶ月の間入院を経験しています。 一番堪えたのは好きな時間に好きなTV番組が見れないこと。

masatake
質問者

お礼

ありがとうございます

関連するQ&A

  • 臓器移植

    映画や小説などで良く見ますが、 彼女が病気で臓器移植しないと治らない、ドナーが見つからなかったけど突然見つかり手術、治ったら彼氏がいなくて実はドナー相手が彼氏でした みたいな事は可能なんでしょうか? 今すぐ臓器移植(ドナー登録)を考えていますが健康体です。 死に直結する臓器の場合(心臓など)、健康体を臓器移植手術してくれるんでしょうか? また手術費など、葬儀費の他に自分の家族に費用はかかりますか?

  • 反論してください

    哲学者(倫理学者)のジョン・ハリスの提案した臓器移植くじについてです。 「臓器くじ」は以下のような社会制度を指す。 公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。 その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。 臓器くじによって、くじに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。このような行為が倫理的に許されるだろうか、という問いかけである。 ただし問題を簡単にするため、次のような仮定を置く(これらは必ずしもハリスが明記したものではない)。 くじにひいきなどの不正行為が起こる余地はない。 移植技術は完璧である。手術は絶対に失敗せず、適合性などの問題も解決されている。 人を殺す以外に臓器を得る手段がない。死体移植や人工臓器は何らかの理由で(たとえば成功率が低いなど)使えない。 予想される反論に対する反論 事故にあって死ぬことよりも積極的に殺すことのほうが罪が重い。 反論:臓器が必要な人をそのまま死なせるのは見殺しにするのと同じことであって、移植しようがしまいが殺すことに変わりないのではないか。 いつ臓器を奪われるか分からない状況に怯えることになる。 反論:多数の人から無作為に選ばれるならば病気や事故に遭って死ぬ確率がごくわずかに増えるのと同じことであり、それを受け入れるのであれば臓器の移植を受け入れない理由はないのではないか。 生死は天命によるものであって人が誰が死ぬべきかを決めるものではない。 反論:臓器を移植せずに死なせることも同じように誰が死ぬべきかどうかを決めることではないか。 こうした社会制度の下では、臓器を提供する側から除外されるよう人々が競って不健康になろうとするというモラル・ハザードが起きるのではないか。 反論:不健康になれば自身が病死する確率も高まり、また、臓器を提供することのできる人間の基準が引き下げられるであろうため、長期的に見れば自身の健康をあえて損なうことの意味自体が薄れるのではないか。 臓器提供はしたい人がやればいいのであって、籤だからといって臓器を提供したくもない人が強制されるのは人権侵害ではないのか。 反論:緊急避難の考え方を社会全体に適用できないか。死ぬ人数が少ない方が、より多くの人権を保護することになるのではないか。 臓器移植を必要とする人を助ける方法は他にもあるのではないのか。 反論:思考実験の内容として「死人の臓器や人工臓器では代替できない」とある。 社会全体としては、臓器移植が必要な重病人数人の生存よりも、健康な人間一人の生存のほうが有益なのではないか。 反論:健康な人間一人が社会全体に与える損益は、その個人の生命活動そのものとは無関係なのではないか。また、移植を受ければ健康状態は格段に改善する。 臓器くじに超一流の芸術家やスポーツマンが当たった場合どうするのか。 反論:臓器をもらう側も超一流の芸術家やスポーツマンである場合もあり得るし、提供する側が凶悪な犯罪者である場合もあり得る。

  • 医学に詳しい方いますか?

    ふと気になってしまったのですが、病気にかかってしまって、渡米しなくては治療出来ないものに、有名なのは小さな子の「臓器移植」ですが、それ以外にも、渡米しなくては治療の出来ない病気って何かあるのでしょうか?? 難しい質問だと思いますが、もし知っている方がいらっしゃったら、教えて下さると嬉しいです。どうぞよろしくお願い致します。

  • 抗がん剤治療経験者ですが臓器提供は可能?

    どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらお教え下さい。 先日転職をし、新しい健康保険証を手にしたのですが、保険証の裏面を見ると「臓器提供意思表示欄」になってました。 そこで疑問なのですが、実は私は4年ほど前に乳癌で手術と化学療法(抗がん剤治療)を受けたことがあります。今のところ再発の兆候は見られず、ほぼ健康体といっていいくらいには回復しましたが、果たして何かあった時、人様に臓器を提供しても大丈夫なのか心配です。 また、発病前は献血が趣味でしたが、病気が分かってからはずっと自粛しています。 こんな私の場合、臓器提供や献血は可能でしょうか? 治療時使用した薬はデカドロン、ファルモルビシン、エンドキサンです。輸血の経験はありません。 医師に質問するのが一番なのですが、主治医がちょっと病気以外の事を聞きにくいタイプの方なので… このようなことに詳しい方、宜しくお願いします。

  • 現在の日本で深刻な健康関連の問題

    現在の日本で一番深刻な健康に関する問題は何だと思いますか? 私は臓器移植や認知症などが浮かぶのですが、これらは一般的なものではないのかも知れません。 ただ、これからの高齢化を考えると認知症は誰にでも起こりうる、また家族に起こりうる問題としてとても深刻です。 あと、最近はエイズの話題があまり出ませんが、治療薬が開発されていない限りは、静かに日本でも病人は増えているに違いありません。 その他思い浮かぶことがあれば、教えてください。

  • 臓器くじ・改

    臓器くじについて下の意見について考察し、意見や反論をお願いします。 ※臓器くじについて 臓器くじ - Wikipediaより引用 ―――――― 内容[編集] 「臓器くじ」は以下のような社会制度を指す。 1.公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。 2.その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。 臓器くじによって、くじに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。このような行為が倫理的に許されるだろうか、という問いかけである。 ただし問題を簡単にするため、次のような仮定を置く(これらは必ずしもハリスが明記したものではない)。 くじにひいきなどの不正行為が起こる余地はない。 移植技術は完璧である。手術は絶対に失敗せず、適合性などの問題も解決されている。 人を殺す以外に臓器を得る手段がない。死体移植や人工臓器は何らかの理由で(たとえば成功率が低いなど)使えない。 議論[編集] 事故にあって死ぬことよりも積極的に殺すことのほうが罪が重い。 反論:臓器が必要な人をそのまま死なせるのは見殺しにするのと同じことであって、移植しようがしまいが殺すことに変わりないのではないか。 臓器が必要な人をそのまま死なせることは消極的に殺すことであり、健康な人から臓器をとるのは積極的に殺すことであり、その意味は当然異なる。 反論:過程がどうであれ、最終的に多数の命を救う事に比べれば、一人の犠牲に対する意味の違いなどは大きく取り上げることではないのではないか。 いつ臓器を奪われるか分からない状況に怯えることになる。 反論:多数の人から無作為に選ばれるならば病気や事故に遭って死ぬ確率がごくわずかに増えるのと同じことであり、それを受け入れるのであれば臓器の移植を受け入れない理由はないのではないか。 生死は天命によるものであって人が誰が死ぬべきかを決めるものではない。 反論:臓器を移植せずに死なせることも同じように誰が死ぬべきかどうかを決めることではないか。 こうした社会制度の下では、臓器を提供する側から除外されるよう人々が競って不健康になろうとするというモラル・ハザードが起きるのではないか。 反論:不健康になれば自身が病死する確率も高まり、また、臓器を提供することのできる人間の基準が引き下げられるであろうため、長期的に見れば自身の健康をあえて損なうことの意味自体が薄れるのではないか。 臓器提供はしたい人がやればいいのであって、籤だからといって臓器を提供したくもない人が強制されるのは人権侵害ではないのか。 反論:緊急避難の考え方を社会全体に適用できないか。死ぬ人数が少ない方が、より多くの人権を保護することになるのではないか。 臓器移植を必要とする人を助ける方法は他にもあるのではないのか。 反論:思考実験の内容として「死人の臓器や人工臓器では代替できない」とある。 社会全体としては、臓器移植が必要な重病人数人の生存よりも、健康な人間一人の生存のほうが有益なのではないか。 反論:健康な人間一人が社会全体に与える損益は、その個人の生命活動そのものとは無関係なのではないか。また、移植を受ければ健康状態は格段に改善する。 臓器くじに超一流の芸術家やスポーツマンが当たった場合どうするのか。 反論:臓器をもらう側も超一流の芸術家やスポーツマンである場合もあり得るし、提供する側が凶悪な犯罪者である場合もあり得る。 ―――――― 私はこの社会制度に反対である。何故ならはこれよりも総体的に優れた社会制度が容易に想到できるからである。 想到される社会制度の一つを述べる。この社会制度を臓器くじ改と仮称する。 「臓器くじ改」は以下のような社会制度を指す。 1.臓器移植が必要な人のうち希望者がくじを引く。くじは1~(参加者-●くじ)の数字くじと●くじからなる。 2.●くじに当たった人を殺す。そして臓器移植に耐えうる臓器を全て取り出し必要な参加者に配る。これは数字が若い方が優先される。 この社会制度は「臓器くじ」の仮定に則ったものであり、「臓器くじ改」の仮定も「臓器くじ」に倣う。 臓器くじを知ってから2秒で思いついた頓知ですか、何故これに類する議論がなされていないのか不思議でなりません。よろしくお願いします。

  • 命の値段

    臓器移植など、高度な治療では数千万から億単位のお金が必要だといわれています。が、一方で世界の貧しい国の多くの子供たちは私たちにとってはわずかなお金で命をすくわれています。 ニュースで臓器移植の話題を耳にするたびに次のことを自問自答してしまいます…が答えは出ません。 「自分の子供(あるいは身内)に臓器移植が必要になったときどうするか」 「助かるかどうかわからない一人の人間のために自分たち家族の(一生分以上の)財産をついやすのか。わずかなお金で助かる可能性のある子供たちがその一方で苦しみ続けている現実に目をつぶれるのか」 ここでは臓器移植を例に挙げましたが(すいません、無知なもので)ほかにも、べらぼうに治療費がかかる生死にかかわる病気の場合も同様に考えてしまいます。 自分自身に治療が必要な場合は、簡単に結論が出せるのですが(…現実にそのような立場になったら考えも変わるかもしれませんが)、身内の場合難しいかなと思いまして。 皆さんの考えをお聞かせください

  • 臓器移植法施行後、最初に行われた手術は、いつ・何処でですか?

    こんにちは。タイトルの通りなんですが、臓器移植法が施行されて、初めて脳死臓器移植手術が行われたのは、いつで、何処の病院だったのでしょうか? 知っている方、教えて下さい!

  • 臓器移植について

    臓器移植が行われてきた推移などのグラフがあるサイトを教えてください。 また、臓器移植は病気を持っているからするのですか?臓器移植をする理由を教えてください。 漠然とした質問ですが、お願いします!!

  • 臓器移植について質問があります。

    私自身や家族や知人に移植を必要としている人がいるとか、そういう理由ではなく、ただ興味本位の質問で恐縮なのですが、質問させて頂きます。お気を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。 例えば私が脳死状態になったとして、生前この人に移植してあげて欲しいなどの希望が会った場合、それは優先されて手術が行われるのでしょうか。それとも、ただ順番に一番最初に待っている方に譲られるのですか? それから、脳死状態以外でも、臓器移植が認められる場合などはあるのでしょうか。 ドラマとかでよく見るシチュエーションですが、いまいち臓器移植について分かりません。