• ベストアンサー

『啓蒙の弁証法』でのアドルノの論点とは?

アドルノの『啓蒙の弁証法』について知りたいのですが、 哲学ついて詳しくないので、なかなか理解できません。 アドルノは、そこで、どういう論点で何を批判しているのかについて 教えていただけませんか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • i-junkie
  • ベストアンサー率33% (25/75)
回答No.3

1番目に回答した者です。 > ナチスの呪術性はどのようなところに? というご質問がありましたので、遅くなりましたが少し書きます。 もしかすると既に見当がついていらっしゃるかもしれませんね。 簡単に言うと、「近年の日本の新興宗教みたいなもの」ということかと 思います。熱にうなされているかのような凶行。呪術的な教祖崇拝。 アドルノはユダヤ人で、ナチスのユダヤ人虐殺を実際に体験し 非常にショックを受け、このような理性の否定にいたったのでは なかったかと思うのですが、なにしろ非常にうろ覚えです。 補足しますと、実体験したのはナチスによる凶行(のはず)ですが、 それに限らず犯罪や戦争なども同列です。 理性が純粋に善ならば、理性によって進歩した人間は「悪」を 引き起こさないはずだけれども、「悪」は起こってしまう。 しかもナチスのような、出来事さえ。 だから、理性はあてにならない。 じゃあどうしたらいいのか? それを「考える」ということは「理性」を使うということだ。 だから、私は考えないのだ…。 私の説明は簡単にしすぎだと思います。 starflora さんが詳しい説明をされてくださっているので、 あわせて考えていただけると全体像が見えるのではないでしょうか。 頑張ってみてください。それでは。

その他の回答 (2)

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.2

    わたしは、アドルノは何も読んでいませんので、何か言える訳ではないのですが、大学院でアドルノ、ヴァルター・ベンヤミンなどを専門に研究していた人からアドルノの弁証法の解説を聞いたことがあります。ほとんど忘れているのですが、たいへん犀利な、しかし錯綜した話だったと思います。     アドルノは、美学と哲学と社会学のあいだにいる訳で、彼の著作を理解しようとすると、哲学史の知識では足りず、西欧美学・芸術学についての知識も必要で、特に、芸術史の知識・理解がないと、アドルノが何を言っているのか理解できないと、知人は言っていました。アドルノは、音楽、美術、その他の芸術について夥しい知識を持っていて、それを至るところ援用・例示するので、何を言っているのか追跡するには、音楽や美術についても学ばねばならないので、分からない・難しいとも言っていました。     話を聞いた印象なのですが、アドルノの考えは、デリダのそれにかなり似ているものがあるように思います。膨大な思想的芸術的事象を前提に、アドルノは、進歩ということを問うのですが、弁証法における総合的上昇と思えるものが、実は、理性の限界性の再確認となっているのだ、という論法となるようです。弁証法的啓蒙は、啓蒙は不可能だということの確認になり、この確認が啓蒙であるという話で、普通に、論理文脈でアドルノの言っていることを理解しようとすると、意味が分からない、というか、論理的にかくかくである、それ故に、という「結論部分」で、アドルノは、理性の弁証法の挫折を見ているのであり、「結論部分」は出てこないという結論になるのですが、それを明確に語ると、また理性の挫折を、否定することになるので、エポケーではありませんが、結論部分で、何も答えないと言うか、答えがないのであるということを、間接的に述べて、弁証法や理性の啓蒙の挫折を暗示し、これが「啓蒙」であるのだという考えであると聞いたことがあります。     従って、元々の素材前提からしてアドルノの思想は、理解が難しく、誤解がはなはだ多く、よくよく理解しようと努めると出てくるのは、進歩の啓蒙、進歩の弁証法は、完成したと思った時、裏切られると言うか、理性の挫折せざるを得ない真実に直面し、これが、弁証法の使命であるというか、近代の哲学や芸術が直面した、解決できないディレンマで、啓蒙や弁証法、理性の挫折が、進歩の努力の果てに確認されてしまう、これが近代の宿命だ、というような考えだそうです。     何を言っているのか分からないのは当然で、明確に答えると、理性の挫折に荷担するので、そこで、話をずらせ、結論を宙づりにするのがアドルノの哲学だというのです。これが本当だとすると、厄介な話だと思いますし、考えてみれば、近代・現代の社会を、まじめに考えて行くと、アドルノと似たように態度でないと、何を論じ考えても、近代・現代の矛盾に荷担し、そのなかに巻き込まれてしまういうことになることから考えると、こういう立場の哲学も、意味があるのだということになります。     以上、人から聞いた話で、しかも曖昧な話ですが。  

  • i-junkie
  • ベストアンサー率33% (25/75)
回答No.1

大学時代にアドルノの啓蒙の弁証法を読み、レポートを書いたことがあります。 しかし、なにぶん昔の話なので、少しうろ覚えです。 できれば翻訳をされた徳永さんの本を、大学図書館で探し、読まれることを 希望します。 アドルノの論の流れはこういうことであったと思います。 ◇◇◇◇◇◇◇ 人間は「自然」を抑圧し「合理性」によって進歩してきたと考えられてきた。 (言い換えれば「神話から啓蒙へ」「呪術から脱呪術へ」) 「文明」とは「自然の技術的支配の進展」だと考えられ、推奨されてきた。 しかしなぜ、歴史において、人間は同じ過ちを繰り返すのか? より具体的には、なぜ、ナチスに関連する呪術的な出来事が起こるのか? 人間は啓蒙され、合理性によって進歩したのではなかったのか? それにも関わらず、このような歴史的な再呪術化が起こるのは、 人間に「内なる自然」があるからである。 つまり「合理性」とは「自然から生まれた反自然」であり、 合理性の申し子であるはずの「文明にも不合理性」が含まれている。 そこには、もともと「矛盾」があるのである。―(1) しかし「内なる自然」を抑圧すれば解決するというものではない。 これまで既に抑圧され続けてきた「内なる自然」の逆襲は 「人間の物象化」という形で現われている。 どうすればいいんだろう? ◇◇◇◇◇◇◇ (1)「矛盾」に関して ヘーゲルは「内在する矛盾によってさらに主体(自己)を高める」という 積極的・肯定的な弁証法を理論付けました。「否定の否定」は更なる肯定という、 いわゆる止揚という理論です。 それに対し、アドルノは、「否定の否定」は別に肯定ではない、という 立場をとります。それが「否定」の「弁証法」ということです。 ずるいと感じるかもしれませんが、明確な答えはないという立場で、 この書籍自体もそのように(つまり曖昧と感じるほどに)構成されています。

accessdb_user
質問者

補足

わかりやすいご説明どうもありがとうございます。 枠組みが、それとなく捉えらえられてきたように思います。 お勧めの翻訳本も探そうと思います。 合理性の追求が必ずしも、人間の本領発揮に結びつきはしないということでしょうか。 ところで、ナチスの呪術性はどのようなところに挙げられるのでしょうか。

関連するQ&A

  • ホルクハイマー・アドルノのフランクフルト学派の思想

    こんにちは。 大学受験生です。 よろしくお願いいたします。 ホルクハイマーとアドルノの共著で啓蒙の弁証法という本に書いてある「道具的理性」とそれ(?)をなんとかするための「批判的理論」が難しくてわかりません。そもそもこんな難しいことを一ページですますのもどうかと思いますが、彼らは何が問題でどういう方法(思想)でそれをなんとかしようとしたのですか? わかりやすく説明していただくとありがたいです。 よろしくお願いいたします。

  • 弁証法分かります?

    哲学なんですけど,弁証法とニヒリズムってどんな関係ですか? ぶしつけな質問ですみません・・

  • 弁証法について

    --最近、弁証法に関心を持って勉強しようとしているところです。若き頃は、自称マルキスト達から弁証法について聞かされ、煙に巻かれていました。ところが、最近、弁証法について考えるに、これはただの問題解決のための方法にすぎないのではないかと思うようになりました。 問題解決の方法としては古来より試行錯誤法があります。どちらも、有力な方法として意識的に使用されてゆくうちに、試行錯誤法なり弁証法なりの名がつけられたものと推測されます。  試行錯誤法の場合、考えをたくさん思いついて、それらを全部試せば、より有効かつ精度の高いものになるはずです。ところが、それには時間がかかります。それに、直感的に、また経験的にこのやり方はダメだとわかるものまで試してしまうことになります。  弁証法であれば、全部試さなくとも、最初の時点で有効な考えが大体絞り込めるのであまり時間をかけなくてもよいと言えます。ただし、思いこみや偏見が混入する余地があるように思います。  結局、どちらのやり方にもそれぞれにふさわしい局面があるのではないかと思います。弁証法で説明すると結果的にうまくいくような場面においてのみ、弁証法がうまく働くというふうに感じています。逆に結果的にうまくいかないような場面において使うと、粗雑で強引なものになったり、場合によっては詭弁に堕するのではないかと思います。この理解で正しいでしょうか。  もう一つ、問題解決が現実になされるためには、現実の日常生活のレベルや社会生活のレベルの問題でなければ解決はあり得ないと思います。よって、神とかかわることや、人間の持つ不変の理性(ヘーゲル的な意味での)といったものを問題解決の方法とで、つまり弁証法で扱うことに意味がないのではないかと思うのですがいかがでしょうか。  以上の2点についてご教授願えればありがたいです。また、それ以外の論点でおかしな点があればご指摘をお願いします。  それと、問題解決の方法でもっと有力なものがあるようなら、簡単に紹介して頂けるとありがたいです。

  • シェークスピアのマクベスの言葉

    最近感銘をうけた言葉です。 きれいは、きたない。 きたないは、きれい。 最近、この言葉をきいてその通りだと思います。 きれいにするには、きたない物を排除して、ノイズを取り除きスムーズにします。そのスムーズにするということの中に暴力が隠されていて、近代は、その『きれい』『スムーズ』『ノイズ』をとりのぞくのに、力が入った時代だと思います。その極地が、デズニーランドであり、資本主義だと思うんですが。 きれいは、きたない。 きたないは、きれい。 このことを、実感しますけど、 世の中の常識ではなく、アドルノ、ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』も述べてるのに、今だ、きれいが、きたないになるのに、気付かず、今だきれいにする、暴力が続いてます。 きたないは、きれい。 を研究してる哲学者は、ドゥルーズやベンヤミンやアドルノだと思いますが、もっとパンチがきいてる人は、だれですか?

  • ヘーゲルの弁証法についてなんですが・・・

    概念が自己内に含む矛盾を止揚して高次の段階へ至るということが、正・反・合の三段階で説明されるこのヘーゲルの弁証法。哲学はこの弁証法を知らずして語れないという程有名ですよね。 確かに、書いてあることは分かるんですが、なんだか「しくっ」と来ません。 いろいろ本を読んだり、辞典で調べたりしましたが、どうも形式論理よりも優れた思考の技術なんて言われる程のものとは思えないのです。 どなたかもっと分かりやすい具体例で弁証法の凄さを教えてください。お願いします

  • フランクフルト学派について

    19歳の者です。 今、オルクハイマー、アドルノ共著の『啓蒙の弁証法』を 読んでるのですが、内容がいまいち分かりません。 私の読解力の乏しさもあると思いますが、 それ以前にフランクフルト学派に関する知識がありません。 この系譜を遡ると、マルクス、ヘーゲル、・・・プラトンに達するのです が、やはり、古代ギリシアから勉強しなくてはならないのでしょうか? また、どの書籍に当たればよいか教えていただけると幸甚です。 加えて、これは所謂伝統的唯物論弁証法(?)の勉強になるでしょうか? ※「啓蒙の概念」という箇所を読んでいますが、高校の世界史で学んだことに援用でき、新しい歴史の見方や発見があって大変有為です。より一層理解を深めたいのでみなさまのご教唆よろしくお願いします。

  • 弁証法的唯物論って・・・

    今心理学の勉強をしていて「弁証法的唯物論」(マルクスやレーニン、ヘーゲルの名前が出てきました)等の言葉が出てきます。 意味がわからないので、広辞苑で「弁証法的」「唯物論」「弁証法的唯物論」と調べてみたんですが、 読んでるだけではまったくわかりませんでした。 自分のメモには「批判的にうのみにせず考える」と書いてあるんですがこういう意味なんでしょうか。 それぞれの意味を簡単にわかりやすく教えてほしいです。

  • 哲学における弁証法的発展について

    哲学における弁証法的発展を知りたいです。 哲学の世界では合理主義のように○○主義というものがありますが、 このような○○主義が弁証法的に発展したものを知りたいです。 テーゼとして○○主義があり、その反対のアンチテーゼとして○○主義があり、 両方を総合したジンテーゼとして○○主義ができたということです。 説明が難しくて下手な文章になってしまいましたが… よろしくお願いします。

  • 陰陽弁証法哲学

    陰陽弁証法哲学なるものに 関心が湧いたのですが、 何か、お勧めの入門書があったら 教えて下さい。

  • 啓蒙主義

    18世紀に啓蒙主義についてです。 キリスト教の批判は知っているのですが、絶対王政、王権神授説は批判したのでしょうか? 回答お願いします。