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お礼率 8% (11/135)

現代文の授業のときに下記のような一節がありました。
暇だったのでそれをもとに英訳したのですが書き始めると
どこか間違えているのではないかと不安に思ってきました

そこで!添削してくださいm(__)m

私としてはbelieve in thatのところが非常にアヤシイと
思っているのですがきっとそれ以外にも間違いが多々
あると思います。
どうがやさしく教えてください。


実は自分は自由だと信じている人(危機感のないひと)
こそが彼ら自身の中にある偏見から自由でない。
というのは、そういう人は常に自分のした行動と思考に
ついてよく調べたり考えたりすることを怠りがちであるからだ。

In fact, the very persons who believe in
that they are free ; they don't sence of crisis,
aren't free from rejudice that lies in their heart.

because such a peasons tend to be neglectful of
their good chacking and thinking about what they
think and what they act at any moment.
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

 
  あまり上手な添削でありませんが、こういう感じで。
 
  比較してみられると多少参考になるのではないかと思います。これは、わたしはこう書くというサンプルで、英語は、非常に見事なものもあれば、色々なレヴェルがあります。日本語で考えてみれば、やはり、上手下手があるでしょう。
 
In fact, the very persons who believe
that they are free , i.e.the persons who have no sence
of crises, are often not free from the prejudice
that lies in their heart.

Because such persons tend to always neglect to sufficiently
check and reflect on their conducts and thoughts
which they took by themselves.
 
  belive in that はおかしいはずです。関係代名詞 that の後で、セミコロンを入れると、そこで文章は終わります。その後、先行詞を受ける動詞が来るのはおかしいです。they, they と二回言うのもおかしいです。don't sense というのは、sense は動詞ですが、その場合、sense of は少し奇妙です。sense of という動詞形があるかも知れません。rejudice ではないです。
 
  because は大文字。such a の後は単数です。chacking ではないです。「常に」は「怠りがち」にかかり、副詞位置は、動詞位置に近づけます。think, think ではなく、少し言葉を変えて。neglect を動詞として使う方がいいように思います。構文を変えました。「十分に」は、enough か sufficiently です。後者は文章語で、文章語で、enough を使うと、まずいという話があったような気がします。「よく」は、well でしょうが、この場合、「十分に」の方がいいと思います。
 
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  • 回答No.2

意訳になりますが大体の内容はこれで伝わると思います。 A person who believes his innocence in the world of prejudice and discremination is actually far from the reality. The reason being is that a person like above tends not t ...続きを読む
意訳になりますが大体の内容はこれで伝わると思います。

A person who believes his innocence in the world of prejudice and discremination is actually far from the reality.

The reason being is that a person like above tends not to ponder and investigate how his/her words and attitudes are perceived by those of whom being discreminated.

自分は自由だと信じている人= 危機感のないひと とうのはどういう事でしょうか? 現代語の先生の解釈を聞いてみたいです。
  • 回答No.3
レベル11

ベストアンサー率 59% (173/293)

英訳するときには、できるだけ平易な語でなんとか表現してみることを心がけるのがベストだと思います。「怠りがち」みたいな硬い言い方も、「~しないことがよくある」と考えれば they often don't ~ のように訳せます。「添削」ということですので、お示しの訳文に添う形で考えてみました。 > the very persons the very ~ =「~こそ」ではありま ...続きを読む
英訳するときには、できるだけ平易な語でなんとか表現してみることを心がけるのがベストだと思います。「怠りがち」みたいな硬い言い方も、「~しないことがよくある」と考えれば they often don't ~ のように訳せます。「添削」ということですので、お示しの訳文に添う形で考えてみました。


> the very persons

the very ~ =「~こそ」ではありません。He is the very man you need. が「彼こそは・・・」であって「君の必要とする人こそ」ではないことからもわかります。また、persons より people のほうがふつうです。


> who believe in that they are free

believe in+名詞 か believe that+文 の形になります。「自由」を free とだけしてしまうと、意味が漠然としすぎるような気がします。「偏見にとらわれない」という意味で broad-minded くらいでどうでしょうか。


> ; they don't sence of crisis,

原文でカッコになっているのだから、そのままカッコにすればいいでしょう。「危機感」は「自分が間違っているかもしれないという不安感」ということでしょうか?


> because such a peasons tend to be neglectful of

Because ... というふうに文を始めることは、ふつうはしません(Why ~? への返事の場合を除いて)。前の部分とつなげて1文にしてしまうか、あるいは This is because ... のようにします。


いちおう試訳を示しておきます。ご参考まで。それにしても、日本語原文はほんとうに現代文の教材に出てきたのですか? 意味のわかりにくい悪文ですね。


People who believe they are broad-minded (people who don't doubt their correctness) are actually not free from the prejudice they have in their own minds. This is because those people often don't try to think deeply about what they do or think.
  • 回答No.4
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

    一応、わたしとしての英文の力に応じての「添削」は、僭越ながらさせて戴きました。英語の力の程度に応じて、それをわたしにできる範囲で、より正しいと思える形に直すという意味の「添削」です。元々の日本語が、意味として曖昧であり、日本語としてこなれていないというのは事実ですが、それを英語で表現するとどうなるのか、という問題だと理解します。     この場合、わたしが和文英訳を依頼されている場合、「添削 ...続きを読む
 
  一応、わたしとしての英文の力に応じての「添削」は、僭越ながらさせて戴きました。英語の力の程度に応じて、それをわたしにできる範囲で、より正しいと思える形に直すという意味の「添削」です。元々の日本語が、意味として曖昧であり、日本語としてこなれていないというのは事実ですが、それを英語で表現するとどうなるのか、という問題だと理解します。
 
  この場合、わたしが和文英訳を依頼されている場合、「添削」で示したような英文は、一応提示しないということを述べます。英語として意味の通る英文に英訳しないと、和文英訳としては失格になるからです。しかし、この日本語の翻訳の場合だと、もしこれしかないのだとすると、たいへん困難なことになります。というのは、日本語が何を意味しているのかが、明らかでないからです。こういう場合、翻訳家は、前後の文脈があれば、そこから意味を汲み取り、解読して翻訳をするのですが、この日本語だけだと、非常に難しいのです。
 
  原文の意味にはない形で、しかし英語としてはスマートな形にするということが求められるのですが、これはかなり難しい作業なのです。
 
  原文の日本語は、上で述べたように、英語に翻訳しようとすると、どう解釈するかに困るものです。しかし、日本語が持つ曖昧さを、そのまま英語に移すという翻訳の仕方もあるのです。一般の「実用翻訳」の場合、何を言っているか分からないと、仕事にならないので、英文和訳も和文英訳も、原文がどうであっても、訳文はそれらしいものにします。しかし、多くの場合、日本人が日本語を書くと、意味のおかしくない日本語を書く人もいますが、日本語としても、何を言っているのか分からない日本語を書く人がおり、逆に、英文であっても、ネイティヴが書いたと言っても、英語としても支離滅裂な英語が結構あるのです。
 
  文学的な翻訳になって来ると、この支離滅裂さや、おかしさも移す必要が出てきます。作者が意図しておかしな表現を使っていると考えられる場合は、そういう翻訳をするのです。例えば、日本語でも、文法的に変な日本語を話す人だと、それに対応する英語も、少し変なものに訳します。英語の場合もそういうことがいえます。
 
  この場合、日本語原文のおかしさとか、どう意味を了解するかという問題ではないのだと思います。
 
  >実は自分は自由だと信じている人(危機感のないひと)
  >こそが彼ら自身の中にある偏見から自由でない。
 
  この日本語は、どういうことなのか、英訳しようとすると、確かに困る訳で、「意味確定」「意味把握」を行わねばならなくなります。わたし自身、自分の日本語の文章を英訳する時、日本語の文章が、非常に曖昧であったことに気づくことがあります。
 
  上のサンプル文の場合、どういう意味かという把握をしようとすると、解釈が分かれてきます。「自分は自由だと信じている人」とは、どういう人のことかと言うと、解釈として、これは、西欧的な発想の「自由意志・個人の自己の意志」を意味しているのではないかという解釈が出てきます。このように解釈すると、「自由意志」が、実は錯覚だということにおいて、何故錯覚なのかの理由は、それは、「文化的な学習・すり込み」がどのような人にも入っていて、人は、自分の生まれ育った「文化」からは、自由にはなれないと考えるのが普通だと思います。これは、哲学的・社会学的な考えですが。
 
  この場合、「偏見」とは、こういう文化によるすり込みから人は自由でなく、必ず「偏見」があるという意味になります。しかし、別の解釈もある訳で、それは「自由意志」という考え方ではなく、後の「偏見」という言葉の使い方を解釈した場合です。「人は偏見からは自由ではない」ということを読みとると、「偏見・差別」という連想になります。人は「偏見や社会的差別意識」から自由にはなれない、自分は偏見や差別意識がないと信じている人でも、差別意識や偏見はあるものだと、いう解釈が出てきます。
 
  しかし、この日本語は、両方の解釈を許容し、どちらかと言えば、先の「自由意志」と「文化による制約」の方の意味が、これだけだと妥当なように思えます。もっと別の文章があり、文脈があるなら、そこから色々考えることもできるのですが、これだけだと、分からないのです。その場合、「差別・偏見」という風な解釈を取ると、英語的論理からは、こちらの方が明晰になります。しかし、英語として分かり易い明晰な文章にすることが、翻訳なのかという問題があります。
 
  日本語の下手な人の書いた文章を、意味が曖昧なので、流暢な英語にする時、ある解釈を行って、それに沿って、論理的に一貫したものに訳する行為は、ある意味で誤訳になる可能性があるのです。
 
  詳細は、もう言い加減色々述べたので省きますが、「自分は自由だと信じている人(危機感のない人)」は、インディヴィデュアルな自由意志を維持せねばならないという理念に対し、それが時の政府の宣伝や、社会の運動や流行で、いつの間にか「自立性」を失うという事態についての「危機意識の欠如」とも理解できるのです。そして、そういう危機意識がないと、自己の言動の「自立性」についての吟味も怠りがちになるのであるというのは、文章として、これで或る筋の通る主張なのです。
 
  これを、「差別・偏見」の自覚のない人とか、そういう風に解釈すると、分かり易くなりますが、「自由意志=個人の自立」対「社会・政府の文化圧力」の均衡の問題というテーマは消えてしまうのです。「差別・偏見から自由であるかないか」という話の方が、「自由意志の自立や、社会・文化との自立均衡」の話より、より具体的で、分かり易いのですが、しかし、原文の日本語は、何を意図している文章かというと、これは、多義的に解釈でき、分かり易い解釈で切ってしまうことは、翻訳家が、クライエントを満足させるため、筋の通った訳を造るという、手順とは、別のところで、問題が生じるのです。
 
  翻訳しようとすると、ある表現が、何を意味しているのかを、了解し解釈せねばならなくなることがあります。原文自身が曖昧な場合、訳文で、明確な解釈にしてよいのか、という問題があるのです。職業的翻訳家の立場では、実務文の場合、そういうことはあってはならないのです。
 
  しかし、こういう翻訳家の技術の前に、もっと基本的な日本語の解釈力や、文章の構成の基本的な問題があり、それを理解した上で、解釈した、訳文を造るという過程になるのです。
 
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