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フロムの自由論

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フロムの自由論とはどのようなものですか。
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  どのような思想家でもそうですが、厳密に詳細に、その思想を考察しようとするとたいへん難しくなるものです。フロムについてもそうです。
  
  しかし、一般的にフロムは、「人間の自由」という時、伝統的に西欧では、「意志の自由」等で哲学的にはポジティヴに考えられていた「自由」には、ネガティヴな面もあることを強調した思想家であるとも言えます。フロムはネオフロイディアンと呼ばれ、フロイト派の精神分析理論の上に立脚して、独自の理論を築いた人として知られます。
 
  フロムは自由を、「への自由」と「からの自由」に二大別したことでよく知られています。「への自由」とは、求める選択肢における選択の自由度の問題で、「からの自由」とは、人を制約する諸々の条件、社会的枠組みや規定、心理的抑圧規定などからの自由の意味です。
 
  伝統的には、自由の問題とは、「への自由」だと一般的に考えられていたのですが、「からの自由」も歴史的には大きな意味を持っていたことをフロムは主張し、「への自由」だけでは解決しない問題があることを指摘しました。
 
  フロムのよく知られた著作は、ナチスの勃興を何故ワイマール憲法を持っていたドイツ及びドイツの人々が許容してしまったのかという社会的心理的分析の書物である『自由からの逃走』ですが、ここで、フロムは、ワイマール憲法の持っていた、「自由」の圧迫的側面を述べます。人は自分で判断できる以上の選択課題を与えられると、「選択の自由」が逆に制約となり、自己の心理的バランスのためには、「過大な選択の自由」からの「自由」を求める心の欲求が生じ、それが、すべてについて「断定的解答」を与えてくれ、個人の自由判断の責任から、個人を解放してくれたナチスの思想方針を、一般庶民が受けいれた理由である、と分析します。
 
  つまり、「「への自由」からの自由」を人々は求めて、ナチスを支持したというのが、フロムのナチス擡頭と人々の支持の理由の解釈です。無論、これに対する反論も存在します。
 
  しかし、フロムは、精神分析から出発した心理学者で、社会学の面でも理論を築きましたが、人間の心の問題を、常に中心に置いていました。「への自由」と「からの自由」の対立については、例えばフロムは、バッハオーフェンが提唱した「母権制社会」の概念を取り上げ、父権性社会の原理と母権制社会の原理に、この二つの自由が関係していることを示します。父権性社会では、「選択の自由」つまり「への自由」が尊重され、それ故、個性的な個人であることが望まれるに対し、母権制社会では、「選択ではなく、人としての平等」が強調され、「からの自由」が尊重される他方、「への自由」は抑圧され、結果的に「個人の自由選択」や個人の創意工夫や、個人の共同体との関係における「勝手な行為や思想」は規制される傾向があることを述べました。
 
  「への自由」と「からの自由」は、どちらかが極端に優位であってはならず、バランスが必要で、前者があまりに強調されると「個人の責任」が過大になり、他方、後者が強調され過ぎると、「個人の自由」は圧殺され、社会や共同体のなかに「自立した個」が埋没してしまうという危険があるということをフロムは述べたのです。
 
  『正気の社会』は、ナチスの擡頭を念頭し、再び、社会の「正気状態」とは何かを分析した著作で、ありえるべき望ましい社会の像を、フロムはここで描こうと試みました。フロムは心理学者で精神分析医です。彼にとっては、社会の正気は、個人個人の「正気」の基準とも重なって来るのです。フロムは、強迫性やネクロフィリア、つまり「生」へと向かうポジティヴな人生観ではなく、死の静止の安定あるいは、自立性の放棄に安定を求める志向を、狂気への過程であるとして否定し、強迫からの解放、ネクロフィリアつまり自己の生の可能性の否定による自我の否定的安定からの解放を目指し、生が、適切な「自由」において、健全となりえる、中庸的な社会の状態を望ましい、生の自己実現が可能な社会と考え、ここに、社会の「正気」を考えました。
 
  近代社会はリースマンも分析したように、個人に過大な自由と選択の余地と責任を負わせた結果、責任を放棄する無責任な大衆の孤独を生み出したとも言えます。フロムは、この生き難い近代社会のなかの個人が、積極的に、豊かな生を実現するには、いかにあればよいかを考え、「自由」の必要と限界を考え、個人がその実存のありように応じて、正気で健全で豊かな生を遅れるような条件がまた、社会が正気である条件として、人の生を豊かにし、正気を維持させる「自由」が望ましいと考えたということです。
 
  フロムの考えには色々な批判があり、常識論で説教をしても、近代社会の問題は解決しないのであるというのも、もっともですが、とまれ、フロムはこのような考え方をしたのだと、わたしは理解しています。
 
  (時に感じることですが、質問に対する回答というのは、人文社会系の場合、この本をとか、このサイトにとかで、書名やURLを紹介するだけではなく、ここでは、こういうことが述べられていますという紹介の上で、URLを紹介する、あるいは、それなりに回答を述べて、更に詳しくは、また、こういう意見は、このサイトに書かれています、ということでURLを紹介するというのが望ましいようにも思います。これは、一般的に感じていることです)。
 
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『現代政治の自由の根底』 -エーリッヒ・フロムの自由論- http://plaza13.mbn.or.jp/~iti/edit.htm ...続きを読む
『現代政治の自由の根底』
-エーリッヒ・フロムの自由論-
http://plaza13.mbn.or.jp/~iti/edit.htm


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