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死刑の存廃について

死刑制度について、廃止すべきか存続すべきかについて考えていたんですけど、行き詰まってしまいました。 私が取り上げたのは「被害者問題」です。 もし、死刑を廃止したら、被害者の怒りはどこにぶつければいいのだろうか。故意に人を殺しておいて、何故犯人だけは生き延びているのだろうか。どんな事をしても、被害者が帰ってこないならば、せめて、憎き加害者の存在自体無き物にして、事件全てを忘れた方がよいのではないだろうか。犯人を死刑にし、無理矢理にでも、この事件は終わったんだと自分に言い聞かせ、忘れていこうとしたほうがいいのではないだろうか。 ↓ 死刑は最低限の苦痛を与える方法によってのみ、その執行を認められている。被害者は、突然大きな苦しみの中で亡くなっていった。この犯人の死に方で、遺族は満足するか? 加害者が犯罪を反省していない場合、死刑によって加害者がいなくなったところでその犯罪に対する反省も答えも残らないのではないだろうか。 また、死には死をと言うのならば、目には目をがあってもいいはずなのに、体の一部に対する刑罰は許されていない。体の部分は許されていないのに、全体だと許されるのはおかしくないだろうか。 …ながながと書きましたが、ここでつまってしまいました。この先、まだ何か言えそうな気がするんです。 皆様のご意見・ご指摘をお願いします。

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  • keikei184
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回答No.13

 死刑制度に反対する人の意見として、「被害者の遺族は加害者の死によって安息をもたらされることはない」、「加害者の死亡は問題の解決とはならない」等の主張があります。死刑によって何らかの価値が生まれることを当然に予定しているような主張です。しかし、そもそも刑罰は価値の生産ではないはずです。刑罰は、すでに発生した不条理への穴埋めであり、あくまで事後的なものでしょう。刑罰は常に不条理の後にあり、死刑も例外ではありません。死刑について語るならば、その適用を基礎付ける事実の考慮は欠かせず、また刑罰である限り、死刑が生産的である必要もありません。もちろん、刑罰には特別予防や更正の意味合いも含まれています。ただ、これらの効用はあくまで刑罰の二次的側面であり、刑罰の根幹にあるものは、発生した不条理への応報であると思います。  死刑の適用された加害者によって大切な人の命を奪われた遺族の中には、悩みながらも加害者への理解を示し、あるいは死刑制度に対して否定的な見解を示す人たちもいます。そして、死刑廃止を訴える人たちはこのことを強く強調します。「死刑には意味がない」、「死んだ人間は返らない」と。しかし、このことは、被害者の遺族はこうあるべきであるというモデルとならないことは言うまでもありません。遺族に対して、「遺族はこうすべきである」とか、「遺族はこうあるべきである」等と言う権利は、誰にもありません。大切な者を奪われた人が、加害者の死を強く望み、死刑を訴えることは彼らの当然の権利であり、非難されることでもありません。依然として、被害者の遺族の多くが加害者の死刑を望んでいることは純然たる事実です。そして、それが、この上ない不条理に際した多くの人間にとっての、本当の心の叫びではないでしょうか。愛する者を奪われた人が、応報感情をさらけ出して加害者の死刑を望むことは何も恥ずべきことではなく、むしろ人間という動物にとって至極自然なことのように思います。  刑罰は応報であり、死刑は応報です。最も考慮すべきなのは被害者の遺族ではなく、被害者自身です。すでにこの世に居ないからといって、被害者自身の感情を無視することは許されません。死刑が被害者の遺族にとって意味のないことであると語ることは、被害者自身の感情の説明を度外視したものにも聞こえます。もちろん、遺族も二次的な被害者であることは間違いありませんが、本当の被害者は、やはり被害者自身です。たとえ多くの遺族が、長年の苦悩と周りの支援によって不条理から立ち直れたとしても、天国にいるであろう被害者自身の傷は、未来永劫癒えることはないと思います。    死刑が執行されても被害者は返ってきません。だから、遺族にとっても意味がないことだと言う人もいます。しかし、私は、加害者の死は遺族にとって(あるいは天国にいる被害者自身にとって)、ある程度意味のあることではないかと思います。死刑制度がなければ、大きな不条理に際した遺族は、死ぬまで加害者と同じ世界を共有しなければなりません。下手をすれば、恩赦で釈放された加害者と同じ社会で暮らさなければならないということもありえます。このような苦痛があるでしょうか。これはね経験したことのある人にしか分からない、しかし私たちも十分に予想できる、筆舌に尽くし難い苦痛ではないでしょうか。死刑が決定した加害者は、二度と社会へ出ることはありません(これが、死刑と終身刑および無期懲役との大きな違いでしょう)。遺族は、発生した不条理に、はっきりとした区切りを付けることができます。何も産まれませんし、何も返ってきませんが、しかし間違いなく、それは遺族にとって区切りとなります。その後、遺族がどのような気持ちで暮らせるかは分かりません。なお苦しむ人もいるでしょうし、苦痛を緩和される人もいるかもしれません。ただ、おそらく、区切りを付けることによって、気持ちの転換期になります。再び人生を歩みだすための、転換になると思います。  日本の死刑制度においては、死刑は、ひとつの死に対する絶対的応報ではありません。あくまで、発生した不条理に対する総合的な応報です。どのような不条理に対して死刑を適用すべきかは、その時その時の社会が判断することです。多くの人が死刑の適用を主張するような犯罪は、死刑に値する不条理を有していると言え、逆に、そのような犯罪が存在しないのであれば、死刑制度は不要になります。現代社会においては、すべての事項がそうであるように、最終的な判断はその社会の構成員たる国民がすることになります。多くの国民が死刑制度の存続を望んでいる以上、それを持続させるべきだと思います。  数年前までは、国際的には死刑制度は廃止の傾向にあると言われていました。しかし、廃止後の刑罰効果が思わしくないことや、国民の要望により、死刑制度を復活させる国家が相次ぎ、今現在の傾向としては、存置、廃止いずれとも判断し難いものになっています。そのことは、とりもなおさず国民が死刑を適用しなければ不条理であると考える事件が今なお発生していることを意味します。道徳や倫理、あるいは宗教によって死刑制度を非難することは、それぞれの価値観・考え方からすれば当然のことでしょう。ただ、死刑はどこまでも刑罰のひとつです。その存否を判断する材料は、その時その時の社会の状況、犯罪の性質、国民の感情です。何が正しいか、何が間違っているかというよりも、もちろんその社会の文化や習俗、倫理観や宗教等によって価値観を補強しながら、社会にとって何が必要かを論じることが第一義的であるように思います。そして、死刑制度について考えるときに重要なのは、事の順序として死刑よりもまず被害者の存在であり、遺族より被害者本人です。    長々と書かせていただきまして、甚だご迷惑かと恐縮に思いますが、pikosukeさんが死刑制度について考える際に少しでもお役に立てたなら幸いです。  

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 とっても役に立ちました!! ありがとうございました。

その他の回答 (12)

  • madoushi
  • ベストアンサー率18% (45/246)
回答No.12

こんばんわ。私個人は死刑制度には反対です。更正という言葉は好きではありませんが、刑罰としての死刑など、所詮は人間が作ったに過ぎないものだと思っています。裁判官も、法律と己の良心にのみ従って判決を下すことになっているはずです。であるならば、人間社会でしか通用しないということになって、刑罰には値しないけれども、生態系を破壊している人類そのものが、自然界や地球にとっては極悪人と言えます。ただ、pikosukeさんのご意見は、この刑罰上のことではなく、人倫というか殺人事件の被害者側にたった道徳、心理面のお悩みだと思います。その視点からであれば、ご意見が正しいと私も思います。ですが、ご意見に従うならば、これは所謂あだ討ちの繰り返しであって、人命を奪うという行為をなくすことには繋がらないと思います。マスコミが今のように被害者側ばかり映し出すことがなくなれば、ひょっとしてご意見も変わるかもしれないと思えてなりません。酒鬼薔薇事件でも、被害者の父母にばかりテレビカメラやマイクが向けられていましたから、ひょっとしたら、そうした報道に対するお怒り故かと感じました。

pikosuke
質問者

お礼

私は、山口母子殺人事件を取り上げていました。 確かに、被害者のだんなさんに焦点があったからかもしれません。 そうか、これは、刑罰上のことではなく、人倫というか殺人事件の被害者側にたった道徳、心理面の問題だったんですね。 そのとおりです。 明快なお答え、ありがとうございました。

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.11

はなはだおせっかいな話ですが・・・・。 質問者は、刑罰と被害者問題を別次元と考える事が出来ないから、こうやって質問してるんじゃないでしょうか?

pikosuke
質問者

お礼

ごもっともですね。 でも、別次元と考えなければいけないのでしょうか。 もしかしたら、私は刑罰と被害者問題を別次元と考えるべきではないと思っているのかもしれません。 でも、国という大きな視野で考える以上、そういう人間くささは持ってはいけないのかもしれませんね。

  • rooc
  • ベストアンサー率14% (9/64)
回答No.10

私はごく普通の一般人ですが、やはり凶悪犯罪者には死刑の適用はやむ得ないことだと思っています。犯罪被害者やその家族の苦しみや悲しみ・怒りといったことのほうを優先的に考えるべきだと思います。そもそも被害者は大きな苦しみや悲しみを負っているのに凶悪犯罪者には再生・更正のチャンスを与えるというのはひどく片手落ちのように思えます。更に言わせてもらえば、凶悪犯罪者を更正させることの意義といったものにひどく疑問を感じます。また、弁護士の人がよく言う犯罪者の反省とか更正の機会といったものについても一言あります。最近の凶悪犯罪のほとんどが一度何かの犯罪を犯した者が弁護士の詭弁により軽い処罰しか受けずその後社会に出てきて凶悪な犯罪を犯しているケースが多いでしょう。そうした再犯による凶悪事件の時には、最初の裁判での弁護士や裁判官には何の責任も無いのか?と言いたい! ちょっとまとまりのない発言となってしまいましたが、私は凶悪犯罪者には必ず死刑を適用してほしい!それには、いかなる差別も無いほうがイイ!特に未成年者であるとか、精神異常者であるとかいった例外を一切認めない死刑適用を心から望んでいます。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 私もそう思います。 とくに、精神がどうとかこうとか…。 罪に変わりはないと思うんですけどねえ…。 ありがとうございました。

回答No.9

私は何の知識もない一般人ですので、ただの個人的な意見です。 死刑制度はもう随分以前から廃止、存続についての是非を問われて いますよね。どちらにしても、結論はでないことでしょう。 被害者の立場にしてみれば、犯人は憎く、殺しても殺しきれないというのが 本音でしょう。一方、死刑される側にも人権が、などと言います。 これについては、個人的には、人を殺しておいて、被害者の人権は なきものにして、犯人側の人権を考えるなど、信じられない思いですが。 ですが、一方で、No.5の方の回答にありましたように、被害者の遺族の 方で、「殺したいと思っても殺して欲しいと思ったわけではない」という 言葉にもあるように、遺族がその犯人を処刑するというのではなく、 第三者がその刑を決定し、下すというところで、被害者遺族側の意思と 食い違いが発生しているように思うのです。・・・もっとも、 殺された側としての感情では冷静に判断を下すことは難しいでしょうが。 いずれにせよ、どんな極刑を下したところで、遺族が癒されることはなく、 被害者を救済することは不可能だといえるでしょう。 だからといって、死刑をなくすべきか?と問われれば、私は、 自分の大切な人たちが殺されたことを想像したときに、犯人に 無期懲役といえど生きていて償って欲しいかというと、そうでなく、 きっと、そんな人間など死んでしまえ! と思うと思う(感情論的になりますが)ので、反対ですね。 犯人を、処刑したほうがいい、悪い、人権を擁護すべきだ、すべきでない という観点でなく、あくまで、遺族としての感情を考えただけの場合のみ、 ですが。 単純に、違憲だから、とか、繰り返しなだけで解決にはならないと 言えば、死刑制度廃止の賛成にはなりますが、では、「違憲」ならば、 何のための憲法ですか?人を殺して、自分は生きている身勝手な存在を 助けるための憲法ですか? 処刑が、憎しみの繰り返しだというのなら、 その連鎖を断ち切れば、殺された人は、浮かばれるのですか? 処刑さえすればいいなんて、思っていません。でも・・・。 結局、その人間をどうしたいかは、その遺族の意思であるような気がします。 とりとめない、迷いの多い回答でごめんなさい。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 殺された人が浮かばれる判決なんて、ないと思います。 だって、無念に殺されたんですもの。 犯人がどうにかなることにより、心が救われる可能性があるのは、残された方だけです。 被害者がこれだと救われるであろうと考えるのも所詮生きている人の考えであって、被害者がどう思うかなんて、想像に過ぎません。 でも、だからこそ私は、刑罰と被害者感情を切り離せないのです。 この問題は、きっと、どこまで行っても迷いの多いものなんだと思います。 ありがとうございました。

回答No.8

私は以前、死刑廃止に関する本を読みました。アムネスティにも同調していました。でも、最近の残虐な殺人事件を思うと、死刑廃止というのは、考えてしまいます。飲酒による死亡事故だって、殺人と同じですよね。 ただ、犯人が死刑になっても、被害者は生き返らない。断ち切れた人生は、どうすることもできないんです。 絶対にその人が真犯人なら、恩赦などがありえない無期懲役というのはどうでしょうか。一生かけて償うべきです。 生きたまま焼き殺される、そんなことおそろしくて想像もできないのですが、そんな事件が起こると、加害者にも同じ苦しみを味わってほしいと思います。 何年か前、BSだったと思いますが、アメリカのある州の死刑執行がドキュメンタリーになっていました。その犯人は最後まで冤罪を訴えて刑が執行されました。 法の元でといっても、殺人には代わりないんですよね。刑を執行する公務員のストレスも大きいと聞きました。 とても難しい問題だと思います。でも、死刑というのは、NYのテロに対するアフガン攻撃のように、報復の連鎖でいつまでも憎しみが消えないのではないでしょうか。 たしかにどうしようもない殺人者や性犯罪者がうようよいますよね。冤罪ではなく真犯人で、そしてまったく更正が不可能なら、死刑ではなく、脳の一部を手術してロボトミーにするというようにしたらどうでしょうか(こちらもかなり人権侵害ですね)。 私は、日本は、性犯罪に甘すぎると思います。人権を踏みにじる犯罪は、もっと重罪にしてほしいです。 あちこち考えが飛んで、すみません。とても自分でも整理できなくなりました。 被害者の遺族にとって一番望むのは、加害者が自分のしたことの反省と償いですよね。加害者の心の闇を明らかにすることじゃないでしょうか。 ただ刑務所に入れられるのではなく、本当の「更正」ということがきちんとなされているのかも、私たちは知る義務があるのでは・・。そして、犯罪の背景を研究する分野がもっと充実しなければ、あの「羊たちの沈黙」のFBIのように・・。 回答になっていなくてごめんなさい。結論としては、私は死刑廃止に賛成です。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 もうほんと、多方面から考えていくと、頭がかんがらがってしまいます。 難しい問題です。 ありがとうございました。

回答No.7

刑罰と被害者問題は、別の次元で考えるべきです。 「目には目を」は、残虐な刑罰を禁止した憲法に違反します。 それと死刑なんて、結局殺人の連鎖でしかないです。 もりろん憲法にも違反知ると思います。 よって結論として、死刑は廃止すべきです。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 刑罰と被害者問題は、別の次元で考えるべきですか。 そうかもしれませんね。 国が制裁するのですから。 でも、直接被害にあっているのは、被害者であり、それで悲しむのは遺族の方々です。 なので、どうしてもそっち方向に考えがいってしまいます。 この問題を議論するには、そんな甘ちゃんじゃいけないということでしょうか…。

  • sono-u
  • ベストアンサー率16% (8/50)
回答No.6

専門家でないので個人の意見です。 死刑にすることよりももっと反社会的な人の研究に使ってほしいです。 なぜ人を殺すことに平気なのか?環境?それとも本当に反社会的な遺伝子があるのかなどです。 ある本にアメリカでは殺人者のことを調べ食に関係してるかもしれないなど の話もあるので殺す前にもっと調べてほしいです。 何故なのかを。何か解るかもしれないから? 死刑に関係ないかもしれませんが人を殺すことの刑が軽すぎると思います。 事故死なんか本当に軽いですよ! 私の父は事故死です。 相手は飲酒運転で(クリスマスパーティーのあとドライブに出かけていた) 中央分離帯を跳び越して私の父の運転する車の上に落ち二人死亡です。 私の父は個人タクシーの運転手でお客さんを乗せて走っていました。 亡くなった方はまだ若く3人目のお子さんが生まれたばかりだったそうです。 相手の罪は交通刑務所?冗談じゃないよ!と思います。 人一人殺して懲役何年ですか?初犯で言葉だけでも反省したら何年で出てくるの? 死んだ人の人権よりも殺した人の人権が大切? 殺された人はその人の手によって人権どころか総てを失ったんですよ。 なのに殺した人の将来を考える絶対におかしいです。 ちょっと熱くなりすぎました。御免なさい。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 研究材料…いい考えですね。 話は変わりますが、飲酒運転は、死刑に値すると思います。 法律違反で車に乗り、その上、何の罪のない人の命を奪うのですから。 被害者遺族であるsono-uさんのお気持ちを全てお察しする事はできませんが、腹立たしさは存分に分かるつもりです。 車社会が当たり前になって、気軽に車に乗れるようになりました。 なんのマナーも知識もないお馬鹿でも。 極端な話まずは、居酒屋に駐車場があること自体から取り締まるべきじゃないでしょうかね。 マイナスの事は何でも小さな芽から摘まなければなりません。 もしも、軽い話題にしてしまったように聞こえてしまったら申し訳ありません。 でも、本気で言っています。 いつも、居酒屋前の車に乗るお客さんを見るたびに思うのです。 とても心にどーんと来るお話でした。 ありがとうございました。

noname#5019
noname#5019
回答No.5

こんにちわ。 私は以前、死刑制度に関して色々と取材や調査をした経験があります。当時、実際に被害者の方に取材もしたので、その時の取材での言葉を書いているので、良ければ…。 私が取材したのは数年前に突然息子さんを殺された父親です。息子を殺された遺族の方は、死刑に関しては執行はされてほしくないと言っておりました。私自身、殺人犯は死刑執行されて当然じゃないのか?遺族なんて殺したいと思ってるんじゃないのか?と思っていたので、その意外な答えに驚きを隠せませんでした。しかし、実際その遺族の方の言葉を聞いていると…自分の今までの意見が変わってきたことを感じました。取材したのは2000年。当時のその方の言葉です。 『犯人が死刑になる事でその事件はそこで終わってしまう。先に進むこともなければ、思い出されることもない。だけど犯人が生きている限りは、何度も何度もその事件について思い出されるし、何より先に進むことも出来る。実際刑務所での短い面会時間の中で犯人と直接会った事もあり、殺してやりたいと思った事は何度でもある。だけど、殺してやりたいとは思ったけれど、殺してほしいとは思っていない。それに、時が流れるにつれて殺してやりたいという気持ちは薄れていく。逆に、犯人に対して、息子の位牌に何度も謝ってくれれば…と思う気持ちになっていった。…死刑を実行するかどうかは、裁判の結果だけでなくあくまで被害者のその時の気持ちを聞いてほしい。自分は犯人に死刑執行など望んではいない。むしろ、犯人と遺族がもっと話を出来る場所や機会を与えてほしい…』 一部省略しておりますがこのような内容でした。いたくその言葉が印象で、死刑制度に関しての見解がかなり変わったのですが…。後日談ですが、この時取材した犯人は去年の暮れに死刑執行されたそうです。遺族には、死刑に執行に関しては、一切何の連絡もないままの執行だったそうです。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 貴重なお話をありがとうございます。 事件も様々なケースがあるように、遺族の方にも様々な事件の捉えられ方があります。 被害を受けたのは、秩序を乱された国と考えるべきか、最愛のものを亡くした遺族と考えるべきか… 私は、後者であってほしいと思います。 そして、遺族の心情を考慮した判決、後味のいい判決案が出される事を望みます。 ありがとうございました。

noname#1758
noname#1758
回答No.4

私は、最近マスコミで言われる「被害者の人権」に違和感を覚えるものです。 「heichan」さんの仰るように、「「被害者や遺族の救済」は全く、一つも考えられていないと言ってもいい」というよりは、そもそも「被害者の人権」や「救済」は想定外の発想なのです。 先日も、女子学生が「焼殺」されました。 このような殺害の方法や、「無差別」「通り魔」等の凶悪犯罪を想定しては作られていないのです。 また、年金暮らしのお年寄りから「詐欺的商方(商法よりは商方)」で、多額の資金を騙し取るような、悪質犯罪もです。 法自体は、制定された社会と時代の制約を受け、歴史を下れば状況にそぐわない部分・足りない部分が出てくるのは宿命です。 ですから、法の「改正」には異論はありません。 ですが、「heichan」さんの仰る「結局は市民自身の自制心やバランス感覚、いわゆる「民度」にかかってくる」の「民度」が果たして、今の日本人に備わっているのだろうかとの疑問があります。 目先のお金に動かされ、後世に残すべき自然を破壊尽くす、子孫の事など眼中にも無い今の日本人に。 己の保身と組織の防衛に狂奔するような、今の日本人に。 単に運が良かっただけで、社会的「成功」を手にし、単に運が無かっただけで、日々の生活に汲々とする大勢の人々を、「努力が足りない」「努力の方向が間違っている」と斬って捨てる、今の日本人に。 遊び感覚で、不要品感覚で、ホームレスの方々を簡単に虐待する、今の日本人に。 ホームレスの方々を「危ない」「怖い」(はっきり云って、普通の主婦やサラリーマン・学生の方が「怖いです」-ホームレス経験した者として-)として、自分の近くから遠ざけようとするような、今の日本人に。 自分とは違う異質なものを認めようとしない、今の日本人に。 ・・・・・。 残念ながら、今の日本人に「被害者の納得するような」刑罰を認めたら、「魔女狩り」然となるでしょう。 残念ながら、今の日本では「誤認逮捕」は日常茶飯事です。 残念ながら、今の日本では「逮捕」イコール「真犯人」との図式が出来上がっています。 今の日本人は、「身体の大きな赤子と同じ」と思います。 まだ、「世の理(ことわり)」も知らず、知識も経験も無い、単なるわがままな赤子に、私には見えます。 最初の話に戻ります。 私は今の「被害者の人権」論調に、違和感を持つとかきました。 「犯罪被害者」の人権を保障することは当然のことです。 ですが、今の論調は、「犯罪者の人権保障」に比べ、「犯罪被害者の「感情」に見合う刑罰」が為されていないになっていることです。 本来「犯罪被害者の人権保障」という場合、犯罪によって奪われた「人権」「自由」に対する保障と、その後の生活全般の保証がメインの内容だと思います。 それが何時の間にか、「犯罪被害者の「感情」に見合う「刑罰」の保証」にすりかわっています。 長くなりました。 「犯罪被害者の感情を考慮した」裁判・刑罰への改正を、否定するのではありませんが、それには、以下の事柄が確保されている事が前提になると思います。 1 徹底した「誤認逮捕」の撲滅。 2 「逮捕」-「真犯人」の図式化を無くす。 3 「犯罪者親族」と「犯罪者」を混同する風潮の撲滅。 4 「犯罪被害者」と「親族」の徹底した生活・社会保障。 以上で終わりにします。 長々とすみませんでした。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 とっても納得です。 ホームレス経験者さんですか。 ホームレスの方にもいろいろな方がいらっしゃると思います。 イメージだけでその方々をひとくくりにするのは馬鹿なことだとも思います。 でも、やはり今の世の中が夜は家の中にいるものだと考えられている以上、ホームレスの方達のイメージは残念なものになってしまうのでしょうね。 たしかに、いわゆる『普通』と言われている人の方が、大人しいと思われている人の方が、怖い事は多々あります。 一番要注意人物なのかもしれません。 でも、世の中って理不尽なものですから… 現代は、これと似たような問題ばかりが渦を巻いているような気がします。 ありがとうございました。

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.3

初めに、私は法律の専門科でも無いことと、至極私的な「死刑」に対する考えを書いている事を断っておきます。 先進国〔特に欧米〕では死刑撤廃の方向で進んでますね。 私は少しだけ疑問です。先の方も述べられてるように、被害者の人権は軽んじられて、何故、加害者の人権のみ重要視されるのでしょうか。 この事に皆が納得出来る様説明出来る人なんているのでしょうか? 他人の権利を奪っておいて自分の権利は守られるなんてどう考えてもおかしいです。 「目には目を、歯に歯を」ハムラビ法典ですね。 それと同じように殺人〔殺人の動機、意味にもよるが〕の加害者の極刑は「死刑」若しくは、「人権剥奪」が妥当だと思います。 蹴られようが殴られようが、はたまた誹謗中傷されようが何の文句も言えない。 せいぜいペットくらいの権利を与えてやればいいのでは無いでしょうか。 こんな事を云うとお叱りの言葉を頂いてしまいそうですが、私はこのように考えています。 幸い私の身内には被害者となった者がおりませんので、その遺族となってしまった方達の悲しみや苦しみ、そして憎しみはとうてい察する事が出来ません。 死刑廃止論者の人でも、自分の愛する人が被害者となってしまった時もその意見を貫けるのでしょうか? もし、死刑廃止論者の方で家族が、加害者の余りにも身勝手な考えでしかも残忍極まりない被害にあってもそれでも死刑は廃止すべきだと云うのなら、その意見はとても大切にしたいと思いますが。

pikosuke
質問者

お礼

御礼が遅くなって失礼しました。 どうにもどちらかがどちらかを丸め込める結論のつく問題ではないようですね。 今頃気付きました。 難しい問題です。 ありがとうございました。

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    冤罪が100%考えられない案件(例:池田小児童殺人事件、秋葉原通り魔事件など)については、『長期間の拷問の後極刑』という方法があってもいいくらいです。 だって、何の関係のない、ただただ犯人の個人的な自暴自棄や社会への恨みつらみに強引に巻き込まれ、ましてや命まで失うなんて考えられない。 ある日突然、大切な家族が目の前からいなくなる悲しみ・喪失感・絶望、、、その心情は計り知れません。 もし自分が被害者家族の立場なら…、加害者が刑務所で衣食住を与えられて(税金うんぬんは別にしても)生活できているなんて、考えられません。 光市母子殺人事件の加害者も同じだなー。 裁判であそこまで手のひら返して、あの手この手で極刑を免れようとするあの様は、何重にも被害者遺族を苦しめている。正直、事件の解明ってどこまで必要なんだろう?どこまで掘り下げても、結局は被害者遺族を苦しめて加害者は好き勝手な言い訳をする機会が与えられているだけのような気がする。 加害者がこの世からいなくなって初めて、被害者遺族は第二の人生を歩めるんじゃないんだろうか? 少なくとも自分だったらそうだと思う。 そこで質問です。みなさんは 死刑の存続について いかがお考えですか?

  • 死刑制度を廃止して、

    死刑制度を廃止して、加害者(と被害者)を洗脳すればいいと思いますが・・・ 加害者が苦痛を受けることで、被害者(殺されてしまった人の魂と遺族)の苦痛が慰められるというなら、実際に死刑のおかげで、被害者が苦痛から完全に解放されたという事例はあるのでしょうか? (加害者が被害者に与えた苦痛)-(加害者が死刑によって受ける苦痛)=0になるのでしょうか? 私は、死刑を通して被害者の苦痛は無限に増大すると思います。それは、加害者を死刑にすることで、囚人と看守という関係に働くような、「状況の力」が働いてしまうことが原因だからです。加害者は、全ての権利をはく奪され、死という今生で最大の苦しみを受け、被害者は、加害者のはく奪された全ての権利を武器に、死という苦しみを与えます。そのような状況で、被害者の興奮に似た感情はますます高ぶります。さらに被害者は、死んだはずの加害者という存在にもっと大きな苦痛を与えることを考えてしまうと思います。果たしてそれは、被害者にとって「慰め」になるのでしょうか? 殺された被害者の悲しみに対する「慰め」にはなると思いますが、遺族に対する「癒し」にはなり得ないのだと思います。ここで、加害者と被害者の洗脳が必要である理由を述べます。加害者の犯した「殺人」という行為と、被害者が「殺された」というファクトは表裏一体の事実です。これが起こってからは、もはやこの事実は変えられません。被害者が、この動かしようのない事実を受け入れないかぎり、被害者の苦痛はさらに続きます。しかし、この事実を受け入れたがらないのが被害者の感情です。このような感情を少しずつ受け入れたり、加害者を少しずつ許すように、アファメーションや洗脳を繰り返していけば、被害者の苦痛が無限に大きくなることはないと思います。また、加害者の洗脳も必要です。犯罪を引き起こす結果に至ったのは、過去に世間の価値観と衝突した経験があるからだと思います。加害者を、どこにでもいるような、善人でも悪人でもない、普通の一般人に変えるように洗脳し、自分の犯した罪に対して反省するように洗脳すればいいと思います。そうすることで、両者の苦痛は最小限に抑えられると思います。皆さんは死刑に対して反対ですか?よろしければみなさんの意見を聞かしてください。乱雑な文章で失礼しました。

  • 死刑という非人道的な刑罰に賛成するのはなぜですか?

    死刑というのは基本的に、複数殺せば死刑ですよね? ということは、被害者複数の命を重犯罪者一人の命で贖うという事になります。 犯罪者の命を被害者の命より重く扱うのって、あまりに非人道的ではありませんか? 人を殺すと偉くなるのですか? 私には全く納得がいかないのです。 「死」以外の、同じ尺度ではない刑罰を与えるべきではないでしょうか。 そもそも人間誰でも死ぬんだし、それでは刑罰としては弱く、上記の理由から遺族にも残酷と思うのです。

  • 死刑廃止をどのように訴えればいいのか

    微力ながら死刑廃止を訴えてます。一日でも早く死刑を廃止したいですが、現状では廃止できる見込みは立ってません。 死刑廃止の訴えが、国民の半数以上の死刑支持派や中間派の人たちから支持されないのか、運動や訴え方のどこに問題があったのか、考えてもよくわかりません。今まで廃止運動に取り組んでこられたみなさまは、どこに問題があったと考えてますすか。 死刑廃止の訴えが国民の半数以上に支持されるには、運動の方法、訴え方をどのようにすればいいのか、今までの運動方法や訴え方に改めるところがあるなら、どこをどのように改めたら、廃止の実現に役に立つと考えてますか。 私の個人的体験ですがが、私が死刑を廃止すべきと理由を主張したのに対して、死刑支持派に反論されて、それに再反論できずに、議論に負けてくやしい思いをしたことがあります。皆様は下記のような死刑支持派の主張にどのように反論してますか、それとも、死刑支持派が主張するように、死刑支持派や中間派に納得されない理由なのかわかりません。 例.冤罪だったら取り返しがつかない 現実的には、再審で無罪になった4事件、執行されずに天寿を全うした3事件とそうなりかけている2事件がある。死刑囚が無実を訴えて再審を請求し、法務省もその死刑囚は冤罪と判断している場合はその死刑囚を執行せず、再審を待つと表明しているが、再審の受理はめったに無いので、結果として仮釈放されない終身刑と同じ処遇になっている。法務省がそういう運用方針でなので戦後の日本で無実で執行された事例は無く、今の日本では説得力がある理由にはならない。無実で執行された事例があるなら、その事例と根拠を示せ。 論理的には、冤罪は死刑に所属する問題ではない。刑事訴訟法上の被疑者被告人の権利保護に不備が多々あり、警察検察裁判所が誤認するか冤罪を作ろうと思えば、法の不備を利用されて無実の人が有罪にされるので、冤罪と死刑は根本的には関係ない。冤罪で刑を執行されたら取り返しがつかないことは、死刑も懲役も原状回復が不可能という意味で差は無く、執行後に再審で無罪になった場合は政府が金銭で賠償している。再審の困難さも死刑と懲役の差は無い、狭山事件を見よ。 例.死刑は殺人の抑止力にならない 感情的な死刑支持者は、死刑に犯罪抑止力があると思っている人が多いが、冷静沈着な死刑支持者は、各国の統計で犯罪の一般抑止に刑罰の効果があるとは確認されていないことを知っている。刑罰に犯罪の一般抑止力が無いから廃止しろという理由だと、死刑と殺人だけでなく、他の罰と罪にも当てはまる論理なので、全ての罰を廃止して、他の方法で犯罪を処遇しろという主張になり、死刑を廃止する理由にならない。 抑止力が無いからという理由は、一般予防と再犯予防を故意に混同し、死刑や他の刑罰に、社会からの隔離や教育による再犯予防効果や予防可能性があることを故意に無視している。刑罰が重いほど、社会から隔離される時間が長く、隔離中は再犯が予防される。例えば、殺人、誘拐、強姦、強制わいせつ、強盗、傷害、放火、テロ、銃や麻薬の密造密売をした犯罪者が、反省の感情や意思が無いか乏しく、再犯の可能性が高いと予想される場合、懲役10年<20年<30年<無期と刑罰が重くなるほど、社会からの隔離による再犯予防効果が高まる。死刑の場合はそれが100%確実であるにすぎない。実際、殺人の再犯も殺人以外の重罪の再犯も、社会全体の殺人や各種重罪の発生率よりも桁違いに高い。国家が死刑も懲役も、冤罪で執行することは絶対に許されないと主張しながら、刑罰の緩和や再犯可能性を誤判断して仮釈放した結果、私人が殺人や他の重罪の再犯をしている現実も、再犯をする可能性が高いことも無視しろと主張することは、殺人や他の重罪に対して国家と私人に対するダブルスタンダードの使いわけであり、そんな理由に説得力は無い。 例.修復的司法 修復的司法に一定の効果があることは認めるが、殺人や植物状態や痴呆のように被害回復が不可能な事件に対して「修復的」と称し、被害者と加害者が対話し和解し関係を修復できるかのように主張することは詭弁でしかない。私人が人を殺しても植物状態や痴呆にしても被害の修復と加害者との関係を修復できるなら、国家が死刑を執行しても死刑囚の被害や国家との関係を修復できるだろ。和解を望まない被害者遺族や家族が無い被害者もいるので、修復的司法に普遍性は無い。死刑廃止と修復的司法を組み合わせて訴える必然性も、それによる社会的利益もない。 字数制限のため上記しか書けませんが、上記だけでなく、国民多数派から死刑廃止を支持されるためには、どのような理由で訴えるのが有効か、皆様の考えや、経験や議論の方法を聞かせてください。

  • 死刑廃止論者に聞きたい

    俺は重犯罪、特に殺人事件に関する資料を読めば読むほど、 加害者(犯人)たちへは怒りと殺意しか抱けない。 被害者へは、悲しさと苦しさとやるせなさを感じる。 死刑廃止論者に聞きたい! 悪質な事件(集団リンチ)(強姦)(拉致)特に殺人事件の 事件拝啓や経緯・検証書などを見聞きしたことがあるのか? それらを踏まえてまでも なぜ、死刑を無にしたがる? (他国がどうこうという回答は要らん) 更に過去、未成年というだけで死刑を免れて、通常刑期服役後 出所し更生どころか、また事件を起こす輩が居ますが、 更生とは、どの様なことが更生と、言えるのでしょうか?

  • 死刑廃止国での被害者遺族の感情は?

    ヨーロッパやアメリカの一部の州では死刑が廃止されており、世界的にも死刑廃止が主な流れになっているようです。しかし、日本では主に被害者遺族の感情などがマスコミで大きく取り上げられ、死刑廃止に否定的な声が多いように思います。死刑が廃止されている国では、被害者遺族の感情はどのようにケアされているのでしょうか? 終身刑という代替の刑罰を設けることで、被害者は納得しているのでしょうか? 外国の現状などをご存知の方、教えてください。

  • 死刑制度について

    こんにちは。 現在死刑廃止、存続かで討論されているかと思います。 廃止論者/存続論者、どちらにしろ理由があってのことと思いますが、 それぞれどのような理由でしょうか。 私が考えるものとしては以下です。 廃止:国家による殺人である。 存続:被害者感情(光市の事件なんかはこれが顕著に報道されていたように記憶しております) 他にはどのようなことが考えられますでしょうか。