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自然科学の分野です。

noname#2787の回答

noname#2787
noname#2787
回答No.3

西洋の自然に対する(ふるい)伝統的な考え方では『色々な自然現象は連結した事象』ではなく『それぞれが個別に存在する事象』であり、有利なものはとことん使う、不利なものは改造して使うという「作り変えることの出来る道具のひとつに過ぎない」というものです。最近ではかなり違いますが・・・ 一方東洋の自然に対する伝統的な考え方は『全ての自然現象は有形無形に関わらず連動した存在である』というものです。 図形で書き示すと、西洋的には自然は色々な図形がたくさん存在している・・のに対して、東洋的には同心円が波紋上に存在している・・こんな感じです。 その典型が西洋の屋敷にある庭(ヒドコート・マナー・ガーデンなど)にみられる人工様式美です。またプラントハンターのような感覚にも通じます。 一方日本の盆栽は『小宇宙』というように自然の形を矮小化したもの(=同心円)だったり、「借景」のように自然と溶け込む形のものが特徴的にみられます。つまり利用するというよりも溶け込む、使わせてもらうというような感覚に近いのだと思います。 先ほどの事例は極端な例ですが、こうした感覚の差異は17・8世紀以降の文化の交流で失われてしまったものも多いですが、いまだに根強く残っているように思います。

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