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弁証法分かります?

  • 暇なときにでも
  • 質問No.202105
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哲学なんですけど,弁証法とニヒリズムってどんな関係ですか?
ぶしつけな質問ですみません・・
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回答 (全2件)

  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

    弁証法もニヒリズムも色々な使い方をされ、これだけでは、一体、何を尋ねておられるのかよく分かりません。ただ、なにとなく、これは、ジャン・ポール・サルトルに関係するのではないかという気がします。     サルトルの思想は、「実存主義」だとされますが、彼は意識は「無」だとも言っている訳で、この「無」は必ずしもニヒリズムの無と同じではないのですが、彼の思想は、どうもニヒリズムではないかとも感じられる ...続きを読む
 
  弁証法もニヒリズムも色々な使い方をされ、これだけでは、一体、何を尋ねておられるのかよく分かりません。ただ、なにとなく、これは、ジャン・ポール・サルトルに関係するのではないかという気がします。
 
  サルトルの思想は、「実存主義」だとされますが、彼は意識は「無」だとも言っている訳で、この「無」は必ずしもニヒリズムの無と同じではないのですが、彼の思想は、どうもニヒリズムではないかとも感じられるところがあるのです。
 
  ハイデッガーも、そういうことを言えばニヒリズムではないかと言うことになりますが、そうも思えます。ただ、よく分かりません。後期ハイデッガーは神秘主義者なのか、意味不明のことを色々述べています(わたしが愚かで分からないだけなのでしょうが)。
 
  サルトルの場合、無神論で、しかも人間には自由があるが、この自由は「呪い」であるとも主張します。実存の実現というか、実存回復、人間の本来性の回復は、サルトルの思想ではどうなるのか、彼は、後期にアンガージュマンを主張し、マルクス主義に接近し、マルクス主義を通じて社会変革に参画することを通じて、自己実現が為され、実存の本来性の回復が得られるというような、論理を築いたようです。
 
  しかし、これはニヒリズムではないのかというのが、わたしの私見です。ニヒリズムとは「虚無主義」とも言いますが、この世に価値がないという思想だとも言えます。人間の存在にも価値はなく、価値を保証する何も、この世界には存在しないという考えです。ニヒリズムも肯定的な、強い意味の「生のためのニヒリズム」と、生きる意味の欠如故の、消極的ニヒリズムがあります。サルトルの思想とは、この消極的ニヒリズムではなかったかと思うのです。
 
  マルクス主義は、弁証法的唯物論である訳で、弁証法を世界の存在原理と考えます。しかし、サルトルの「無の意識」の実存主義のなかでは、弁証法は意味を持たないのではないかとも思えるのです。人間の意識の弁証法的活動も、所詮は「無」であるということにサルトルの場合なるのではないかとも思えます。
 
  弁証法を語りつつ、サルトル自身はニヒリズムであったのではないかということです。
 
  なお、弁証法については:
  No.189559 質問:弁証法的唯物論って・・・
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=189559
 
  この質問に対するわたしの回答を見てください。
 
  また、サルトルについては:
  No.191732 質問:J.P.サルトルについて
  http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=191732
 
  以上の質問に対するわたしの回答を参照してください。そして、弁証法とニヒリズムについては、以上に簡単に、思うことを記しました。
 


  • 回答No.2
レベル9

ベストアンサー率 38% (40/103)

 先の方の素晴らしい回答に付け加える気は当然ありません。私見として、聞き置いてください。  弁証法は、もともとはソクラテスの時代の問答術から発生していると、私は考えています。ああいえば、こう反論する。それによって、お互いの精神がより高いところへ導いて行かれる、といった風に。  これを、論理化して分厚い本を書いたのがヘーゲルで「精神現象学(論?)」に精密に書き込まれています。極めておおざっぱに言いますが ...続きを読む
 先の方の素晴らしい回答に付け加える気は当然ありません。私見として、聞き置いてください。
 弁証法は、もともとはソクラテスの時代の問答術から発生していると、私は考えています。ああいえば、こう反論する。それによって、お互いの精神がより高いところへ導いて行かれる、といった風に。
 これを、論理化して分厚い本を書いたのがヘーゲルで「精神現象学(論?)」に精密に書き込まれています。極めておおざっぱに言いますが、これは、「原始的な精神が、理論化するためには、反する論拠に打ちひしがれ、その後これを止揚=アウフヘーベンして、精神の王国にたどり着くのだ」というような論理展開で、その頃の時代の寵児になりました。
 一方皮肉屋として、あまり体裁の良くないショウペンハウワーなどは、「そんなに簡単に幸福な王国ができてたまるか」と大学者ヘーゲルの活躍を快く思っていませんでした。そこから、彼は、人間の精神なども「生への盲目的な意志に突き動かされているだけで、たいしたもんじゃない」とニヒリステックな厭世思想を展開したのです。
 これが、ドイツ観念論の時代における弁証法とニヒリズムの関係と言えなくもありません。
 その後、20世紀の扉を開いた二人の哲学者が出現し、一方は唯物論的弁証法を展開して大活躍をしますし、もう一方の雄、ニーチェが、権力への意志をふりかざして、弁証法的な論理展開を形而上学に憑かれた世迷い事と激しく反撃し、西洋的な思考方法全体にダメダシを行います。
 彼は、積極的なニヒリストとなって、今までの西洋的な「価値」の逆転を目指し、価値崩壊者、ニヒリズムを宣言するのです。
 ですから、私見を恐れず続ければ、弁証法は、どちらかと言えば、伝統的な思考方法であり、これに反撃を加えようとするのが、ニヒリズムの動きである、と言えなくもないと思うのですが。
 ともかく、おおざっぱな考えですから、そのへんをご了解の上、判断をしてください。


 
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