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ルクルティウスについて

starfloraの回答

  • starflora
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回答No.2

    古代のヘレニク時代の哲学で、ローマ時代にも大きな影響を持ったのは、ストア派とエピクロス派であるとされます。無論、プラトーンの統を継ぐアカデメイアも存在したのですが、人の倫理的生き方を教えた、この両派の哲学は、ローマ人に合ったのだと言えます。     ルークレティウスは、エピクロス派の人で、エピクロスに次いで有名で、それは、元々詩人である彼が著した思想詩『ものの本質について』(これは岩波文庫に入っていましたが、いまはどうでしょうか)が格調高く、エピクロス派の思想を端的に表現しているからです。従って、ルークレティウスの自然哲学という時、それはエピクーロスの自然哲学と同じ意味になります。     ストアとエピクロスでは、確か、自然についての考察・研究が、どちらかが非常に観念的固定的で、開祖から何世紀後の弟子まで、同じことを言っていたのに対し、もう一つは、自然についての実証研究などを行い、現在から見ると、空想的とも言える、壮大な自然観を色々に提示していたのですが、多分、それはストア派で、エピクロス派の自然観・自然哲学は、開祖エピクロスの考えのまま、変化しなかったのでしょう。     エピクロス派の自然観は、原子論で有名なデモクリトスのそれとほぼ同じで、物質や生物や人間や神は、原子(アトモス)と、原子が存在する場である空虚(ケノン)から成り立っており、原子の組み合わせが、生物や人間や神を造っているという原子論です。デモクリトスの原子論は、決定論であったのに対し、エピクロス派では、原子の運動に恣意性を認め、その結果、決定論にはなりません。     真偽は感覚によって吟味され、それは感覚が、原子の組み合わせが放射する一種の感覚情報を受け取って成立するものだからです。人間も含め、世界はすべて空虚のなかの原子の組み合わせで出来ているので、死後の世界とか、霊魂とか、地獄などは無く、また、死後の罰などもなく、人間は死ねば、その構成原子が分解し虚空に散らばるのであり、意識はなくなり、「死」は、意識があって初めて認識できるので、有名な、「わたしが生きている時、死はなく、わたしが死んだ時、わたしはいないので、死はわたしにはない。故に、死は、わたしにはない」という論証が出てきます。     プラトーンなどと違い、物質一元の自然観であり自然哲学で、霊魂も神も原子で造られており、分解すれば、原子であって、それ以外は何もないというのですから、宗教とは無縁となります。しかし、エピクーロスは神のように崇められ、讃美されました。物質宇宙のなかで、穏やかな人生が快楽であり、友愛こそが貴重であるというのは、古代の人生観でしょう。デモクリトスの自然哲学との違いは先に述べたように決定論かどうかで、エピクロス派は、自由意志を認めていたことになります。自由意志がなければ、そもそも友愛とか、穏やかに人生に対する、世に対するというような、生き方の決定も不可能になるからです。     ストア派の自然哲学と比較すればよいのですが、ストア派の考えは、かなり錯綜し、複雑です。開祖のゼノンが考えていたことと、その弟子の考え、幾世紀も後の弟子では、全然違う自然観を持っていたからです(基本原理が同じであるとしても、実証や観察を重んじたので違いが出てきたのでしょう)。     http://www.aeneis.kit.ac.jp/~taro/lit11.html  

参考URL:
http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/Lucretius001.htm

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