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江戸時代の公家

江戸時代の公家の次男三男は、旗本の子弟と同様に他家の養子となる事でしか身を立てる術がなかったのでしょうか? 中堅以下の堂上あたりは家禄が微禄だったと思うのですが、どうやって次男三男は食べていたのでしょうか?当主の厄介になるといったケースは多いのでしょうか。

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

こちらは武士とは異なって仏門に入ると言う例が多いというか普通です。 特に摂家・清華などの上級公家なら門跡寺院に入って門跡になり、それ以下のクラスはそういう門跡寺院に付属する塔頭や子院の住職になりました。 こういう寺院は京都奈良にたくさんありました。

noname#30350
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 公家は仏門が多かったのですね。 京都奈良だとお寺には困らなかったでしょうね。

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