• ベストアンサー

太陽神とは何かについて教えてください。

starfloraの回答

  • ベストアンサー
  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.3

    太陽神信仰というと、世界中にあるのですが、知っている部分だと、古代エジプトの太陽神信仰が有名です。ラーもしくはレーという太陽を象徴とし、太陽そのものだと考えられた神への信仰が、古代エジプト(紀元前第三千年期)にあります。エジプト神王ファラオは、太陽神ラーの神話的息子とされました。ラーは、後に、勢力を持ち始めたアメン(またはアモン)神と習合し、アモン・ラー信仰という形になります。     また、ラー以外にもエジプトには、太陽神が存在し、なかでも、アトン(アテン)神は、紀元前14世紀の神王アメンホテップ4世が、この神の名において、合理的一神教を提唱し、これをアテン革命または、王が、アモン信仰の勢力から距離を置くため、旧都メンフィスやテーベから遷都して、新しい首都をアマルナに置いたことより、アマルナ革命とも呼ばれます。神王は、アメンホテップという王名を捨て、みずから、アク・エン・アトン=アケナトン(アトンに愛される者)と名乗ります。古代においては、画期的な一神教の提唱であり、また、アテンは万民に恵みをもたらす平和の神であるとされました。歴史的に間接的に確認されていているところでは、イスラエルのヤハウェ一神教は、このアテン信仰に起源があり、影響されて成立したとされます。     ギリシアでは、太陽神は、アポルローンと考えられることが多いのですが、これは少し違っています。アポルローンは複雑な性格を持つ神で、本来ギリシア人の神ではなかったとされます。(例えば、トロイ戦争において、アポルローンは、ギリシア方には味方せず、トロイエー方に味方します。これは、アポルローンが、元々ギリシア固有の神ではなかったからです)。アポルローンが太陽神とされるのは、その称号「ポイボス」から来ています。ポイボス・アポルローンと呼ぶのですが、この「ポイボス」は、「光輝く者」の意味があるようで、アポルローンとは別の神であった可能性が高いです。普通、太陽神という時は、フェーブスといいますが、これは、Phoibos のラテン語形の英語読みです。     ギリシアで、太陽そのものは、ヘーリオスの神というものがそれに当たりますが、あまり有名ではありません。光明神アポルローンの方が太陽神として有名であり、それは、ポイボスの部分によるというのは、先に述べた通りです。     太陽神または太陽神信仰は、植物神や植物神信仰と密接に関係しているのが普通です。これは、農業生産において、植物の生長や枯死、新しい芽吹きなどが非常に重要な意味を持ったからですが、狩猟文化や遊牧文化でも、太陽は重要な意味を占めます。何と云っても、生産や狩猟の成功には、太陽の存在が無視できなかったからです。     秋に死に、春に甦る植物神は、また、秋分を過ぎると衰え、やがて死に向かい、そして冬至になると、再び「新しい生命」を得るとも考えられた、太陽とも同一視されたのです。太陽の光が弱くなれば、農業はできず、狩猟もできませんし、収穫もなく、獲物もありません。こういうことで、太陽神信仰は、植物神信仰と一つに絡み合いながら、地中海世界から、西欧、東欧、北欧と広くヨーロッパで成立していました(ヨーロッパだけでなく、先にあげたエジプトがそうですが、オリエントや中東、インド、東アジア、アフリカ、そして新大陸にも、太陽神信仰はあります。多すぎて記すことができません)。     例えば、エジプトの太陽神ラーの系譜に、植物神オシリスや、その姉妹の太母神イシスの信仰があり、エジプトは、オシリス、イシスを、丁度、日本での伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)と似ていますが、死して甦った神として崇拝していました(つまり、キリストがそうであるように、復活の植物神がオシリスなのです)。オシリスが、典型的な植物神で、エジプトのミイラ信仰は、オシリスの死した遺体をイシスが集め、これを甦らせたことに起源があります。そして、オシリスとイシスの子が、エジプト神話では、ホルスになりますが、ここは、日本の古代神話と同様、何かの古代権力の移行の歴史が、反映されているのでしょう。ホルスは、エジプト神王ファラオの象徴で、ファラオは、イシス・オシリスを通じて、太陽神レーの子となります。     キリスト教の神キリストは、地中海世界で、植物神のヴァリエーションとして受け止められました。例えば、オシリスがそうであり、アッティスとかヒュアキントスなども植物神で、また太陽とも密接に関係し、太陽神は、普通、大地の太母神と重なっており、デーメーテールなどは、植物神の母の機能を持っています。キリスト信仰は、地中海世界や西欧・北欧で、太陽神・植物神のヴァリエーションとして捉えられ、現地の植物神や太陽神とキリストが習合した例が多数あります。     キリストは、冬になると死して、春になると甦る植物神として、また、太陽がその象徴である復活神として捉えられたように、仏教の釈迦牟尼は、最初、西欧の研究者が仏教を研究した際、実在の人物とは考えられず、「太陽神」の象徴だと考えられました。釈迦については、あまりに神話的伝承が多く、歴史的人物には思えなかったということです(これは、後に、釈迦牟尼の遺骨と記された、壷が発見されたことより、歴史的実在の人であることが確認されたものです。キリスト・イエズスが歴史的実在の人かどうか、実は現在でも確認できていおらず、それに対し、釈迦牟尼は、歴史的人物として確認されたということです)。     太陽神崇拝は、北欧などにも残っており、巨石建造物というのは、イギリスのストーン・ヘンジを含めて、何かの意味で、太陽崇拝に関係があるとされます(例えば、春分などに、特定の石から或る方向を見ると太陽が昇ってくるように、石が配置されているなどです。エジプトのピラミッドも太陽神崇拝に関係した建造物で、これは新大陸のマヤのピラミッドなどもそうだとされており、アズテック人の神殿には、太陽の神殿や月の神殿があり、また、インカにも、太陽神信仰がありました。マチュピチュの遺跡などは、太陽崇拝の遺跡だとも言えます。太陽の処女がそこにはいたとされます)。     天照大神については、色々な本やサイトなどに出ていると思います。伊邪那岐・伊邪那美の夫婦祖神から生まれた三貴子とされる、天照大神・建速須佐之男命・月読命の一人で、エジプト神話では、太陽神からオシリスとイシスが生まれますが、日本神話では、夫婦祖神から、太陽神、月の神、そして自然の暴威の神が」生まれるということになります。     天照大神は、日本の皇祖神で、日本人の祖先神であり、天皇家の祖先神ともされますが、何故、伊勢の天照大神なのかということについて、これは、壬申の乱において、天武が、勝利を伊勢神宮に祈願して、伊勢の太陽神を、祖神として崇めるので、勝利を我がものにしたまえ、と祈った処から、天皇家の祖神、しいては日本の祖先神となったという説があります。     実際、伊勢の斎宮の制度などは、天武のときから歴史的には始まっているとされます。それ以前にも斎宮がいたような記述が、記紀にはありますが、歴史的に確認されていないはずです。     次のURLに簡単に太陽神としての天照大神のことが触れられています:   http://www.ffortune.net/symbol/sinwa/sinwa/sin001.htm  

hoku
質問者

お礼

いろいろと詳しくご回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます! 早速参考URLに行ってみたいと思います。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 我が神について語ってしんぜよう。

    私は仏と言う言葉を現代語に直すと人間と言う言葉だと思っていてな。 天啓のごとく悟った人間と言う言葉のそのような尊さを信じ、人と人が信じあう事こそ信仰だと考えていた。 多くの人々はひとを信じようとしない。 したがってこのように歩む道のりは困難であった。 しかし最も深い闇において、それでも信じると心が固まった時、光が舞い降りた。 仏教で言う無量光である。 それは神について知ろうとしなかった私にとって、神と名をつけることすらできない、無垢で純粋な光であった。 しかし私はその光と通じる事によって、私の方から、あえてその光をアマテラスと呼ぶ事を選んだ。 その光は本来、名も無き光であり、神と言う言葉すらも遠ざけるその無垢さが、すなわち無神論と言う信仰の在り方である。 以上は仏を信じ神を信じないとはおおむねこのような論理であると考えて構成しました。 このような哲学はキリスト教に由来した西洋の哲学とは別に、地に足の付いた哲学をしようと志していまして、宗教的な話とは違う趣旨手ご質問差し上げています。 信仰心を明晰な理性のまな板の上で料理するとするとあなたならどのような考えが浮かびますか

  • 神様のことが知りたい

    皆さんこんにちは。 私はキリスト教に関して、まったくの素人で、神様に ついて、どなたか教えていただければ幸いです。 1、神様の人間に対する役割とは、どんなものでしょうか? 人間を幸せにするために導いてくださっているのですか? 2、神様とは実物があるのでしょうか?それとも精神的な もの(心の中の偶像)なのでしょうか? 3、神様を見た事がなくて信仰されているかたも、神様の 存在を信じていると思うのですが、その神様が存在する、 という根拠はなんなのでしょうか? 4、神様は信仰者を救ってくださるのでしょうか? また仮に通り魔などにより理不尽に死んでしまった人は、 信仰心が足らなく、あるいは信仰心が全然ないために、 神様のご加護を受けられなかったということでしょうか? 以上、素人ゆえ失礼な質問をしているかもしれませんが、 通常、私のような素人が疑問に思っている代表的な事柄 だと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

  • 中国に太陽神がいないのはなぜですか?

    他の多くの文化と異なり、中国では太陽や月を神格化して崇拝することはない。その尤もな理由としては、月を陰、太陽を陽とみなす、中国の文化における道教と易経の強い影響力にあると思われる。詳しくは陰陽思想を参照されたい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%A5%9E#.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E3.81.AE.E7.A5.9E.E8.A9.B1 より引用 そこで陰陽思想のところを読んでみても「なぜ中国に太陽神がいないのか」よくわかりません。 道教には多くの神がいますが http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E9%81%93%E6%95%99%E3%81%AE%E7%A5%9E 北極星の神とか、南極老人星の神はいるのに、太陽神はいない理由についての考察をお聞かせいただければありがたいです。 また太陽神がいないということは月の神もいないのでしょうか。

  • 無い神は有る

      ある人の信仰 無い神は有るとゆー。 無い神を信じることも、有る神を信じることも共に等しく信仰であり対等であるともゆーておる。 果たして無い神は有るのか。  

  • 天照大御神は太陽神?

    1930年代日本がファシズムへのみちを進むなか、宗教弾圧も強くなってきました。 その一例として、PL教団の前身の「ひとのみち教団」の大弾圧を調べました。 「ひとのみち」は、天皇崇拝を強調し教育勅語を教典とする体制支持の新宗教ですが、天照大御神を太陽であると説いたのを天皇への不敬とみなされて弾圧されたとのことです。 取調べでは、「天照大御神は三種の神器を皇孫ニニギノミコトに渡した、天照大御神が太陽ならば太陽には手がないのにどうして神器を渡すことができるのか?」という質問で信者を問い詰めたとありました。 天照大御神が太陽神であって全能の神であることは、国家神道に反するとは思えませんし、不敬になるとも思えないのですが、なぜこれは咎められたのでしょうか。 もちろん単なる粗探しで、本当の理由は新宗教の台頭を規制したかったのでしょうが、それにしてもなぜ天照大御神を太陽神と言うことが理由になるのでしょうか。 日本書紀は少し読みましたが、そこには天照大御神が太陽神であったと書かれていた気がするのですが。 天照大御神は戦前は太陽神ではなかったのでしょうか? 御回答おねがいします

  • 神について

    どうもです。 テレビを見ててふと気になったので質問させてください。 (現在、私は宗教などは特に信仰していません。) 神について教えてください。 (1)神は万能なんですか? (2)人間は神様がお造りになられたんですか? (3)神は、神様を敬う者しか救わないのでしょうか? 他にもいろいろあったんですが・・・ ん~、忘れてしまいましたw! どんな方でも良いので、ご自分の考えを教えてください。

  • 卑弥呼と鏡の関連性

    卑弥呼は魏から鏡を貰っていますよね。その鏡は太陽神信仰の証だと言われていますが、それはいつごろ定説になったのか(誰が唱えたのか)ご存知の方いらっしゃいますでしょうか。無知にして、鏡を貰った=太陽神信仰をしていたというだけではなんだか納得できません。太陽神信仰は高度な文明を築いていた地域に見られるらしいですが……邪馬台国時代はそんなに発達していたのでしょうか。

  • いやしくも神なら 神は 普遍神であるほかない。

     1. 名前が違っても・誰にとっても 同じひとつの神であるしかない。  2. 有る神も無い神も 互いに同等であり どちらかを自由にえらべばよい。  3. 普遍神は 有るとか無いとかの経験事象を超えているゆえ。  4. シュウキョウは この普遍神を信じる――無条件に心に受け容れる――ことをつうじてヒラメキにて得られた直観を言葉にして表わし オシへとした結果生まれたものである。  5. 信仰という蝉の抜け殻である。経験思想ではある。つまり オシへは考えるものである。信仰という蝉本体ではない。  どうでしょう。  

  • 日本の神々、太陽神とかとキリスト教

    私はキリスト教のクリスチャンです。神様について教えてください。キリスト教の神様と日本の昔からある神々、太陽神の神様の違いはありますか?分かる方いれば教えてください。

  • 仮にも、神が存在するならば

    質問:神は信仰されることを望んでいますか? 人々から崇められたいと思っているでしょうか? 崇敬の的になれないと不満?(笑) 神が存在するとして回答して下さい。 神とするものは単なるエネルギー体であって意思ある存在ではない と考える方は結構です。 存在する・しないも誰にも分からないことです。論点ではありません。 書かないで下さいね。 質問を読めない頭の悪い人が稀にいたので、念のため一応書 人々が信仰心を持つか否かは、個々の自由意思で決めればいいと思います。 私の疑問点ではありません。 質問の意図を仮定しないで下さい。 以上、よろしくお願いします。 参考にさせて下さい。