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何故「権利」には「義務」が伴うと考えるのでしょうか?

タイトルどおりなのですが、前々から疑問に思っていました。 何故か、社会常識として通用している概念なのですが、私には理解しがたい概念なのですよ。 例えば、「権利」には「生存権」などの在って当然の権利がありますよね。つまり、この世に生まれた時点で無条件に享受出来る権利が「権利」概念の基本ですよね。 又、其処から派生する「より良く生きるための権利」というのが在って、「教育を受ける権利」などがそれですよね。 更に、生れ落ちた時点から、当然行使できる「自由」というのもありますよね。 一方、「義務」を考える時、その時点じてんでの政治にとって必要な事柄が「義務」とされますよね。 「納税」「教育を受けさせる義務」など等。 つまり、私が理解している「権利」「自由」は、それ単独で行使される事が可能なものであって、「義務」を伴うものではないのです。 「義務」は担当政権によって、無理やり課せられる「改変」可能な一時的なものであって、「権利」「自由」のような、「改変不可」のものと違う気がするのです。 それなのに、「言いたいことがあるなら義務を果たしてから言え」とか、「権利ばっかり主張して、少しは義務を果たせ」などと、当たり前なようにまかり通るのでしょう?

noname#1758
noname#1758

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noname#2543
noname#2543
回答No.6

「権利には義務が必然的に付随する」という考え方は、換言すれば「○○するなら××すべし」という規範命題です。そしてナイーブな言い方になりますが、さしあたって「規範というものにはいかなる客観的基礎付けもない」と言うことはできます。 とすると、規範命題を保証するのは論理ではなく直感です。つまり、多くの人が直感的に「権利には義務が必然的に付随する」と思っているから、「権利には義務が必然的に付随する」という規範が社会的に通用するのです。繰り返しますが、この規範には何ら論理必然性はありません。しかし、多くの人が「そんな気がする」と感じている以上、直ちには否定できないのです。 それでは規範命題を批判することはできないのでしょうか。その方法のひとつはロジックではなくレトリックを用いることです。つまり「基本的人権とは人が生まれながらにして持つ不可侵の権利である」という主張には、なんら客観性はありません。ここでは説得力のみが意味を持つのです。 逆にいえば「権利には義務が必然的に付随する」というのもひとつのレトリックです。おそらく「貰うものばかり貰う人間に対する嫉妬」みたいな直感を説得力あるレトリックとして構成したものが「権利には義務が必然的に付随する」という主張なのでしょう。 思うに、人には権利義務一体論を導く直感とと天賦人権説を導く直感の両方を持っており、そのどちらが正面出でるかは外的環境(平和か、貧困かとか)とレトリックの説得力によるのです。

noname#1758
質問者

お礼

遅くなりましたが、返礼です。 「補足」でも書かせていただきましたが、「直感」この言葉が、胃の腑に落ちる感じです。 私が、一番不思議だったのが、憲法・民法等のどこを如何読んでも、「権利」「自由」と「義務」のセット利用の規定は、発見できなかったもので。 ア、とは云っても個々の「権利」「自由」の行使の際、当該「権利」「自由」に付随する「義務」ということは、発生いたしますが。 専門家といわれる職業を営まれているかたがたが、「常識」という感覚で、セット利用を促す理由がわからなかったもので。 遅くなりましたが、心よりの感謝をいたします。 有難う御座いました。

noname#1758
質問者

補足

ロジックとレトリックですか。 アノー、力いっぱい納得してしまいました。 残念ながら、「つまり「基本的人権とは人が生まれながらにして持つ不可侵の権利である」という主張には、なんら客観性はありません。」には同意できない(といって、客観的に反論できるほどの、知識も持ち合わせていませんので、感覚的にですが)部分もありますが、私には「直感」という言葉が、素直に腑に落ちました。 ある意味、この「直感」という言葉を求め続けていたのかもしれません。 というのも、日本での法体系の中で、何処をどう読んでも「権利」と「義務」の一体化が、読み取れなかったもので、新聞の投稿欄などで社会化の教師など(専門家の一部)が、さも当然のことのように「権利」「義務」のセット使用している事に疑問を抱きつづけていたものですから。 貴重な時間を割き私の愚問にお付き合いいただき、心よりの感謝を申し上げたいと思います。 又、補足での返答が遅くなり、実にすみませんでした。 有難う御座います、そして、ご免なさい。

その他の回答 (6)

回答No.7

人が産まれながらにして自由だと思います。 そして、何の庇護も受けず、一人で自分を守り、自分の力のみで生きていくのならばこの自由は無制限でしょう。 この場合”権利という言葉すら不要”だと思います。 ところが、実際に一人で生きていくということは困難です。 そのために人々は集合して共同体を形成するのではないでしょうか。 この共同体が王制であれ民主制であれ、共同体を維持するための最低限の決めごとが「義務」として発生するのだと思います。 このときに初めて「義務」に対する「権利」という言葉が必要になるのではないでしょうか。 もともと人間が持っている「自由」を共同体内の決めごととして表現したものが「権利」なのだと思います。 つまり、「自由」を守るために「義務」が発生し、「自由」が「権利」という具体的な表現になったのではないでしょうか。 ところが、もともと人々が生きていく手段として形成された共同体が、年数が経つうちに手段が目的と化し、共同体自体が至高の価値を持つような考え方が出てきます。 このような”人間の自由の維持”よりも”共同体自身の維持”を目的とした共同体に対して、Oji_sanさんは疑問を抱いているのではないでしょうか? Oji_sanさんの質問文に、 >「義務」は担当政権によって、無理やり課せられる「改変」可能な一時的なもの >であって、「権利」「自由」のような、「改変不可」のものと違う気がするので >す。 とあるのが、現在の共同体のあり方に共感できないOji_sanさんの気持ちが表れだと思うのですが。

noname#1758
質問者

お礼

遅くなりました。 今改めて、御「回答」の文を読まさせていただきました。 なんか昔に戻ったみたいな気分です。 面白い課題の提供を受けたみたいです。 「共同体」「権利」「自由」「義務」「維持」、改めて学習しなおします。 遅くなりましたが、心より感謝を申し上げます。 有難う御座います。

noname#1758
質問者

補足

遅くなり、ご立腹の事とは存じますが、ご容赦ください。 なんとお返事してよいのやら、毎日一回は読み返していました。 たしかに、「現在の共同体のあり方に共感できない」と書かれていますが、そう感じる部分は多々ありますね。 共同体と、「自由」の関係には共感できる考察が多々あると感じます。 何か、「社会学」の基礎講義を受けている感じです。 ともあれ、遅くなったお詫びと共に、感謝の気持ちを込めて、「有難う御座います、そして、答礼が遅くなりすみません。」

  • odd-art
  • ベストアンサー率9% (31/325)
回答No.5

 法律というのは、一定の社会規範であって、完璧ではありません。  内容に不満があるのなら、法律改正すべきでしょうが、不備があるから、大綱的で自由ともいえるのではないでしょうか?  これが条文等でがんじがらめに拘束されていたら、何をやっても法に違反していることになり、気が気じゃないでしょうね。  基本的人権により、個人は守られ、日本国憲法に国民の義務が決められ、それにより安心で平和な生活がおくれるようにと人間が決めたのであります。  交通法規や国の法律などの種々のルールは、特定の時代や環境、また生活のごく一部分に適用される、浅く狭いルールでありましたが、それでさえ、無視すれば大きな事故や苦しみを招きます。ましてや、人生の根本法たる仏法に背く罰は、まさに想像を絶するほど重く、厳しい、と知るべきでありましょう。  その方が問題でしょ。

noname#1758
質問者

お礼

ウーん、どうお礼・返答してよいやら(笑い)。 エ!反論しようというのではありません。 そうではなく、「odd-art」さんのご回答自体が、「そうです、そのとおりです」になってしまい、短い文になるように感じて、どうしようか、悩んでいます。 エーい、私は決意いたしました。 此処に禁を犯します。 「そうです、そのとおりです」。 返礼が、遅くなり大変失礼いたしました。

  • serotonin
  • ベストアンサー率14% (26/182)
回答No.4

面白い話題ですね。あまり、固く考えすぎると逆につまらなくなるかもしれません。最も、面白さを求めていらっしゃるわけではないでしょうが。 一番有名な話は、被告人と弁護士の話ですよね。詳しくはわかりませんが、被告?(言い方が相応しくないかもしれませんが)は弁護士を雇う?権利があるけれど、その権利を履行しなければならないという義務が発生するという物ですよね。大雑把なので、間違いが多いかもしれませんが、申し訳御座いません。 確かに、権利と義務は難しいです。自由という言葉も難しいですよね。違法と犯罪という言葉も同じではありません。胎児に人権があるのかという問題もあります。民法では、胎児には未来に生まれた場合、胎児にも人権があり、相続権が与えられますが、刑法では、胎児に人権は認められません。なので、胎児を殺しても殺人罪にはなりません。私的には、胎児殺人罪という物を作っても良いと思うのですが。また、昔、子供が親を殺すと死刑になりました。でも、人権、差別の問題により、この法はなくなりました。銭湯問題や薬局問題も微妙ですよね。銭湯は駄目で、薬局は良いのかというのは納得できそうで、できにくい問題です。学生は教育を受ける権利があり、給食費を払う義務があったりもします。つまり、考えれば考える程、答えがわからなくなってきます。政治と宗教は別にしなければなりません。玉ぐし料問題や税金での地鎮祭問題に代表されるように、宗教とまでいかなくても、哲学的な概念と、政治理念による権利義務を絡めると、とり止めがなくなります。それでも、私は、こういう問題、話し合いは大好きですが、一つの答えに絞るのではなく、様々な答えが出てくることを楽しむので十分だと、私は思います。それでは、お互いの知識理念の御繁栄を願いますって表現が変ですね。

noname#1758
質問者

お礼

返礼が遅くなり、すみません。 簡単ですが、一応の返答を書いておきます。 「胎児の人権」-無いと考えます。(以下説明省略) 「先頭問題」と「薬局問題」-御免なさい、どのような問題か判断できません。 「教育を受ける権利」-当然のこと。 「給食費を払う義務」-これは、誤解でしょう。 「玉ぐし料」「地鎮祭」-日本の憲法では、違反。 これらは、細かく考えると面白いのですが・・・。 遅くなりましたが、感謝します。 本当にありがとうございます。

noname#1758
質問者

補足

ウーん、何処から手を着けていいやら(笑い)。 「面白い話題ですね。あまり、固く考えすぎると逆につまらなくなるかもしれません」確かにそのとおりです。 大体が、「何で、「権利」と「義務」って、セットで考えんのー?」という、いたって単純な疑問からスタートしているのですから。 各かくの皆様のご意見は、大変勉強になるのですが、真剣な回答には、真剣に返事を書くべきという、厄介な固定観念があるために、とても呻吟しています(笑い)。 はっきり云います、「何でこんな大それた質問をしてしまったのだー」と、とてもとても反省しています。 ともかく、ご回答に在る諸問題は、大変重要な事柄ばかりです。一つひとつ考え、ピックアップして各作業自体、大変な事でしたでしょう。感謝します。 あと、補足が遅くなり、実に失礼いたしました。 此処に、心より感謝と共に謝罪します。 有難う御座いました、又、スミマセンデシタ。

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.3

権利は、たとえおっしゃるような「生存権」や「自由」であれ、ある利益を主張してそれを受け取ることができるとされているものだと思います。どんな利益でも主張はできますが、それを受け取れるか否かは、その社会によって様々な条件が付いてくる、本来的に限定的なものではないでしょうか。極端な例では、死刑は受刑者の「生存権」を否定します。 ご指摘のとおり、義務は社会によって変わります。ですが、権利が不変というご意見は、上記の例のように違っていると思います。 でも、いくら各々の社会で決められることであっても、あまりに妥当ではない権利義務のセットを持ち出されても困りますよね。「給料上げてほしいんだったら、みんなと同じくらいサービス残業してから言え」とか。(←違法(笑))

noname#1758
質問者

お礼

「返礼」が遅くなりまして、スミマセンでした。 「補足・返答」の場では、生意気な事を書かせていただき、お怒りの「回答」も無く、黙認していただいたものと、感謝しております。 「baihu」様には、「どんな利益でも主張はできますが、それを受け取れるか否かは、その社会によって様々な条件が付いてくる、本来的に限定的なものではないでしょうか。」と、歴史的制約の考察を、教えていただきました。 此処に、「返礼」の遅れを反省し、それと共に、感謝の気持ちを込めて、 「遅くなり、スミマセンでした。そして、有難う御座います。」

noname#1758
質問者

補足

ウーん、「死刑制度」ですかー。 私が考えるに、「生存権」を含め、様々な諸「権利」「自由」を制限・剥奪する事は、有ってはならない事です。 それ故、「権利」「自由」の制限・剥奪は、社会の「公共利益」と、有ってはならない「権利」「自由」の制限・剥奪を慎重に勘案し、個人の感情・利益などに左右されない第三者機関(裁判所)でのみ判断を許されているものと考えます。 それ故、複数の審理が在るのであり、重大な憲法問題などは、複数の裁判官の多数決判断になるのではないでしょうか。 ですから、「死刑制度」「懲役制度」などの、極端な「権利」「自由」の制限・剥奪は、例外規定と考えます。 「権利が不変というご意見は、上記の例のように違っていると思います。」の、「権利は不変」というのは、不変・普遍にして行かなければならないものと考えます。 色々勉強になりました。 特に、この補足を書くために、曖昧模糊としていた考えを明確化するために、様々な角度から、再確認する事になりました。勉強の良い機会を与えてくださり、大変感謝しています。 なお、返事が遅くなり、恐縮いたします。 簡単なお返事を書く気にならず、時間を取ってしまいました。

回答No.2

僕は聖人でも政治家でもないので、1つの意見として軽い気持ちで読んで下さい。 人は、生まれながらに権利と義務が与えられていると思っています。 ただ、大人や子供、障害者などに同等の義務を課した場合、どうしても果たせるものと果たせないものがいるはずです。 そこで、身体的、精神的、年齢など理由で判断し、免除してくれている。あるいは、保護者などの監督者が代わりに果たしていると思っています。 どういう背景かわかりませんが、義務を果たせと言われたら、その能力があるものは、果たさなければならないと思います。 ただし、権利に対する義務なので、権利に関係のない義務だったら果たす必要はないと思います。 権利に対し義務を果たすのか、義務を果たしたことで権利を得るのかは、どちらが先になるか難しい問題ですね。 大体、義務より先に権利を求める人は、後で義務を果たす気があまりない人が多いような気がします。

noname#1758
質問者

お礼

お礼の返事が遅くなり、実に申し訳御座いません。 此れもひとえに、不勉強のために、皆様のご意見を咀嚼出来ずにいたためです。 「freeman108」様には、「権利・義務」関係の、大人と子どもをバックに置いたアプローチをしていただき、理解の手助けになりました。 「返礼」が遅くなりました事と共に、感謝の気持ちを込めて、「済みませんでした、そして、有難う御座いました。」

noname#1758
質問者

補足

有難う御座います。 「人は、生まれながらに権利と義務が与えられていると思っています。 ただ、大人や子供、障害者などに同等の義務を課した場合、どうしても果たせるものと果たせないものがいるはずです。 そこで、身体的、精神的、年齢など理由で判断し、免除してくれている。あるいは、保護者などの監督者が代わりに果たしていると思っています。」 そうだと思います。 「どういう背景かわかりませんが、義務を果たせと言われたら、その能力があるものは、果たさなければならないと思います。 ただし、権利に対する義務なので、権利に関係のない義務だったら果たす必要はないと思います。」 イエイエ、そんな大それた背景などありません。 今日(1月8日)の新聞投書欄に、(「権利」を主張するならば、「義務」を果たすべきでしょう。)との一文があり、私の理解している「権利」「義務」概念では、これら2つは決してセットで使われるはずの無い概念なので、違和感を覚えたので、長年の疑問を聞いてみただけです。 何にしても、面倒な問いにお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

権利・義務の大体の所は理解されているようなので多くを語る必要はないと思います。一点だけ誤解、勘違い(理解不足かな?)をされている点があります。 権利義務を駆使する社会は暗黙に互恵主義の社会です。あなたが基本的権利だと主張する相手にも同じ権利があります。生きる権利と生きる権利が衝突したらどうしますか。たとえば縄張り争いです。(動物の例が分かりやすい)AもBも同じ地域(場所)で生まれ、そこで生存する権利を持っています。しかし、その場所では二つの生命を維持するだけの食べ物がない場合、どちらかが出て行かなければなりません。AもBも生きる権利があり、自由の権利を持っています。人間は話し合い、知恵を出し(創造力)何とか二つの生命維持を図ろうとします。動物はそれが出来ません。 つまり権利・自由といっても無条件ではありえません。日本国民として権利を主張するのは当然ですが、日本国を形作り、維持しているのは他ならぬ同じ人間ですから、最低の義務を果たさなければ日本国に住む権利を失うことになります。これは家族でもサークルでも、会社でも同じです。社員として権利を主張するには就業規則を守るのが先ずスタート点になるでしょう。

noname#1758
質問者

お礼

色々、ご意見を伺って、大変参考になりました。 「martinbuho」様には、不躾な「返礼・返答」を書かせていただき、お怒りの言葉も無く、黙認していただいたようで、感謝にたえません。 此処に再び、お礼の言葉を書かせていただきます。 心よりの感謝を込めて、「有難う御座います。」

noname#1758
質問者

補足

有難う御座います。 「一点だけ誤解、勘違い(理解不足かな?)をされている点があります。」は「つまり権利・自由といっても無条件ではありえません。日本国民として権利を主張するのは当然ですが、日本国を形作り、維持しているのは他ならぬ同じ人間ですから、最低の義務を果たさなければ日本国に住む権利を失うことになります。」此処に掛かるのかな? 多分、私の誤解でも・勘違いでもないでしょう。 ア!いや、貴方の誤解でも勘違いでもありません。 根本的に理解の仕方が違うのでしょう。 私は、無条件に「権利」「自由」は持つ物であると考えています。 つまり、日本国(限定ですが)で生まれたからには、無条件で「権利」「自由」は保障されるべきもので、どのような事があっても制限されるべきものではないと考えているのです。 確かに、トラブルになった場合、トラブル当事者(個人・団体・組織問わず)同士で、可能な限りの妥協点を見いだす「義務」が生じます。 此れは、制限ではなく「権利」「自由」の具現化と考えます。 つまり、抽象的な「権利」「自由」概念を、具体的に行使する際の、実証化といえるのではないでしょうか? 何にしても、こんな小難しい質問にお答えいただき有難う御座います。

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