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感謝をする心の欠落
今年は、日本人の精神性が大きく変化していることを痛感させられた年でした。 昨今、感謝をする心が先天的に欠落しているのではないかとすら思えるような人が増えていると感じます。「先天的」と表現したのは、そういう能力がもともと無いという意味です(差別的な意図は全くありません)。 例えば職場の女性達で三十路の突入しているにもかかわらず、人に何かをしてもらって「ありがとう」と言わない(言えない?)人がとても多いので、驚いてもいます。彼女達の様子を見ていると、「人に何かをしてもらってあたりまえ」というのが身についてしまっているんですね。これは男性にも共通している傾向かもしれません。 特定の個人を中傷するつもりは全くありませんが、このサイトでも何度も話題に上っているように、たった一言のお礼すらタイプしない人が山のように存在します。 日本には「ありがとう」という美しい言葉が存在するのに。 こういう現状に対しての肯定的・否定的なお考え・・・というよりも、どうしてこうなってしまったのか、分析的なご回答をお願い致します。
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こんばんは。 私が今までに感じた周囲の反応で不思議に感じたことを皆様にどう感じるかおたずねしたいと思います。 それは、世の中の闇の事実(弱者的存在や地域)を肯定的に話すと、私が闇の部類の人だと思う人が多数いるということです。 私は差別的なことがキライなので、どのような立場のことでも肯定的にお話をするように心掛けています。 肯定的に話しているだけなのに、「その類の人だ」と疑う人って結構いるんですよね。 私は自分がそうではなくても存在を肯定することができるので、言葉の表面だけを見て判断もしませんし、ましてやその人の前で目付き目の色を変える(蔑視する)ことなんてしませんが、皆様はこの話を聞いてどう感じますか?
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お礼
masatoshi-mさん、ご回答をありがとうございました。 12月29日に、さあ、お礼を差し上げようと思ったらフリーズし、そのままの状態で年を越し、今日1月4日になって、日も昇り、やっと溶け出して来て動き始めた・・・という感じです。(わたしは雪だるまか?) 何はともあれ、本年もよろしくおねがいいたします♪ さて、「食生活の貧困化」と「人間関係の希薄化」は、とてもよくわかります。 食生活の貧困化に関しては、昨今の第○次グルメブーム(?)の中で、美味しい物を求める人々を見ていると、日本の将来はどうなってしまうのだろうか?という事まで考えてしまいます。もちろん誰にとっても不味いものよりは美味しいものの方が良いはずですが、美味しいものに慣れてしまって、美味しいものの有難さがわからず、それが当たり前になってしまって、将来何かがあって美味しいものが食べられなくなったら、一体どうなってしまうのだろうかと考える訳です。 だって、食欲は人間の本能の欲の中のひとつだから、想像以上に辛い生活が待っている事になると思うのです。 だから、食べられる事の有難さを感謝し、日頃から「立ち止まって振り返る」ことを習慣にすべきなのではないかと。 人間関係の希薄化に関しては、戦後、長い時間をかけてジワジワと進んで来たように思えるんですよ。住宅事情や都市機能の一極集中化、物価など、希薄とならざるを得ないようなものを感じるのです。だから、これまた時間をかけて適度な距離の人間関係を社会的に築いて行かなければならないのではないかと。見て見ぬふりはいけないなと思います。 だから、見ず知らずの他人でも、悪い時には忠告し、良い時には賞賛のまなざしを向ける・・・などするようにしているつもりです。 でも、masatoshi-mさんのご回答の中で一番「これだ!」と感じたのは、 >妙に合理的な考え方の、社会への浸透 です。 もともと日本って、人間の感性や情がいろいろな事に大きく影響する傾向があって、欧米のような合理性に欠けていたと思うのです。つまり、合理的な考え方の歴史が浅い訳です。 そういう中で、勘違いする人間が多く、合理性や自己の確立など、しっかりとした考えをもつべき分野において、浅はかな考えで感謝の心を忘れた「自己中」が生まれ、それが蔓延しつつあるように思えるのです。 だから、日本の精神文化は軟弱だなぁ・・・とも感じるのです。 でも、もっと何か別の原因があるのではないかとも思えます。