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starfloraの回答

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  • starflora
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回答No.2

    「規範命題」と「事実命題」という言葉をご存じですか?   貴方が問われているのは、この二つの命題のあいだの関係問題に丁度対応します。この言葉は、英国経験主義のヒュームが最初に云いだしたのだと思いますが、問題としてはそれ以前からあったものです。     また、現代の論理学や倫理学の問題にもなっています。   事実命題というのは、事実についての命題で、例えば、「物質は原子でできている」とか「人間には一般に思考力がある」というような命題です。これに対し、規範命題とは、ゾルレンの形の命題で、「人間は、良い行いをせねばならない」とか、「犯罪を犯した者は、その償いをせねばならない」というような命題です。     ヒュームが問題として定式化したのは、規範命題は、事実命題から導き出せるか、という問題です。例えば、「人間は、殺人を犯すと、時として、強い罪悪感や後悔や恐怖の念に襲われる」というのは、実際にそういうことがあるので、これは事実命題です。しかし、この命題から、「人間は、殺人を犯してはならない」という規範命題が論理的に導かれるかどうか、というのが、ヒュームの提起した問題です。一見、導き出せるように思えるのですが、実は、導き出せません。     「殺人を犯すと強い罪悪感に責めさいなまれる」から、「殺人を犯さなければ、殺人の強い罪悪感には責めさいなまれない」は出てきます。また「殺人の罪悪感に責めさいなまれないようにするには、殺人を犯さなければよい」も出てきます。しかし、端的に、規範命令としての「人は殺人を犯してはならない」は出てこないのです。一応、ヒュームから現代まで、多数の人が、この問題を解こうと、色々研究して来て、事実命題から規範命題を導いたと、主張した人もいましたが、多くの研究者の同意は得られていませんし、妥当であるという保証もありません。     これは、現代の哲学の問題でもあるのです。解けていませんし、解けるという見込みも分かりません。以下のURLに、この問題と関連してのムーアの考察を分析した文書があります。たいへん複雑な議論になっています。     >命題として扱えない因果則の具体例は存在しますか?   >命題として扱える当為則の具体例は存在しますか?     「命題」というものは、その真偽判断ができるか否かに関係なく、構成することができます。「フェルマの大定理」は、数学的命題で、最近、真だという証明が為されましたが、それまで何世紀も、真偽不明でした。「人を殺してはならない」というのは、規範命題で、命題であり、また当為則とも言えます。これは、真偽という判断には馴染まないのです。しかし、事実命題は、真偽判断ができ、もし、この殺人禁止の規範命題が、事実命題から導かれれば、この規範命題の真偽を決めることができるということになります。     そういうことで、先人の研究を参照してください。少なくとも、現時点で、このヒュームの問題は決着が付いていません。規範命題は、事実命題からは導かれないようだ、という見込みを多くの人が持っていますが、なお、答えが出ていません。(検索エンジンで、「事実命題 規範命題」で調べると、色々出てきます)。  

参考URL:
http://www.nice.st/book/3-2-1.htm
noname#2879
質問者

お礼

お礼申し上げます. 大変,勉強になりました. 参考URLは読ませていただきます. ただ2点わからないことがございます. 1点目は 事実命題から規範命題を導くことに関しては否定的な予測がたっているということですが, 数学的命題から事実命題,あるいは,その逆を導くことに関してはどのような見解が得られているのでしょうか? 前者は導けないから実験の意義があるのだと推察いたしますが,それで良いのでしょうか?またその逆である後者は理論物理学などの行為そのものであり,肯定的な予測がたっているといえるのでしょうか? 2点目は 大辞林で「規範」をひくと,それはNormであり事実であると記されています.規範はSollenに近い概念であり,事実はSeinに近い概念だと思います. Normは「存在者」全体の集合の要素である一方で,Sollenとはどのような関係にあるといえるのでしょうか?SollenとSeinの「距離」であるようなイメージは浮かぶようになったのですが…. 申し訳有りませんが,お相手お願いできませんでしょうか.

noname#2879
質問者

補足

本題は一応解決いたしました. starflora様のご親切に感謝いたします. 有難うございました.

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