解決済みの質問
老中は無役の者がある日突然就任するものではなく、大抵は大阪城代、京都所司代、側用人などの職にあった者が昇任するものなので、いわゆる出世階段の「上がり」として見られていたのではないでしょうか。「老中になりたい」というよりも「幕閣内で出世したい」という欲求の最終目標が「老中」だったわけです。
老中になると官位・官職が従四位下・侍従に昇任し朝見をゆるされる事が慣例で決まっていました。これは殿上人になる事を意味していて、武家の家格としては極めて高いものになるといっても良いものでした。
また幕府も他大名に老中と同じ名乗りを禁止するなど特別の礼遇を与えていたので、その権威は非常に高いものだったようです。
投稿日時 - 2005-12-14 09:42:37
お礼
御回答ありがとうございます。
確か京都所司代を拝命したら従四位下侍従に叙任されるのですよね。
通常、国持ち大名や御家門、譜代では15万石程度の大名でないと四位の侍従にはなれなかった様ですから、中小の譜代大名にとっては権力と共に官位・位階も魅力的だったのでしょうか。
大坂城代と違って老中は役料は出ないし、老中から失脚したら割りの悪い土地に転封させられる事はままあたようですが、それでも奏者番・寺社奉行・大坂城代・京都所司代と累進してきた出世志向の譜代の中小大名にとっては憧れの役職だったのでしょうか…
投稿日時 - 2005-12-14 17:19:36
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