• ベストアンサー

自然は跳躍せず

「自然は跳躍せず」という言葉を使った人は,ライプニッツが最初ですか? どういう意味で,どういう背景があって,このような言葉を使ったんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ki61
  • ベストアンサー率32% (85/263)
回答No.1

同様の意味であると思われる言葉で、 「自然は飛躍せず」というものがあります。 自然は一挙に変化することはなく、徐々に変わっていくものである、 という考えを示す言葉です。 スウェーデンの植物学者リンネの言った言葉です。 ライプニッツが最初に言ったかどうか私は存じませんが、 リンネは1800年代の人ですので、ライプニッツよりも100年ほど後に この言葉を言ったことになります。 参考までにということでお許しください。

aozora2
質問者

お礼

回答をいただき,大変ありがとうございました. 勉強になります. 自然に対する漸進的な見方というのは,キリスト教における自然観とも 関係があるのでしょうか?

その他の回答 (2)

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.3

この世には語りえるものと語りえないものがあります。 語りえないものを語った聖書は生まれた時から化石のようなもので、化石の恐竜が生きて動く事はないのです。しかし、化石からわかることというのは多分にあります。ここで、信仰の薄い聖職者は、化石が、恐竜のすべてだと勘違いするのです。ここに安っぽい独我論が形成されます。化石は化石、恐竜は恐竜なのです。恐竜を見たことがないからといって、想定の恐竜を化石としてはいけないのです。 >それら2つの「真実」が,一人の人間の中でどうやって共存することが出来るのか, 真実とは語りえないものです。表記した時点でそれは現象し、独立し、真実から切り離されます。科学者と、信仰の薄い聖職者の対立は、「ラーメンはスープだ、いや麺だ!」と言い合っているようなものです。お互い、蓮華を持つ者は箸を持たず、箸を持つ者は蓮華を持たないのです。実証科学と、ここでの宗教心との対立は、そのようなことです。 正しいことはどうあっても正しいというのは、ラーメンはラーメンなのです。材料が何と何、レシピが何だ、とかいってもそれはラーメンではないのです。レシピであり、材料達なのです。こういうことから、あるがままというのは正しいのです。そして、あるがままというのは、表記したり、語ったり出来ないのです。「ラーメンはラーメンだ。」これが証拠です。この文はラーメンについての何を語ったといえるのか?  哲学的にいうと、言語ゲームです。これを西洋哲学史で開示した人はウィトゲンシュタインといいます。また、これは、触ってほこりを払うような事です。言語ゲームはもう少し奥が深いので、これはさわりです。彼らの闘争は、ほこりを掃うようにして、簡単に取り除かれます。

aozora2
質問者

お礼

人間の自由な精神活動を否定はしません。 でも、あるがままが「正しい」と思います。

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.2

なんかダーウィンがいいそうなことですね。 キリスト教は、「神は、人は人、サルはサルとしてつくった。」と、聖書に書いてあるので、サルが進化して人になる事はないと言うのです。それぞれの種を種として創ったと。だから、蛇が先祖帰りして、足の生えた蛇が発見されると、困惑するのです。蛇だし。あるテナガザルのDNAは97.5%が人と同じだそうです。進化論を聖書で駆逐しようとする。気持ちはわかりますが、、、。進化論で聖書を駆逐しようとする。これも、何でそんなことしようとしなくても、、って思います。 正しいということはどうあっても正しいのです。進化論と格闘する聖職者達。信仰の薄い人たちといわれても仕方ないです。なぜ、聖書に反せず進化を説明する事が彼らには出来ないのでしょうね。地動説を認めなかった教会のなんて弱弱しいことでしょうか。 しばしばキリスト教は科学と争ってきたらしいですが、それもこれも、聖書の文字に惑わされているからです。 「あなた方は確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。」と、キリストが言っているのに、おかしいですね。キリスト教なのに。

aozora2
質問者

お礼

どうもありがとうございました. 「聖書に反せず進化を説明すること」は本当に出来るんでしょうか. 宗教と科学は違う次元で,語るべきなんでしょうか? 例えば,ダーウィンやドブジャンスキーのように,クリスチャンであり 生物学者(科学者)である人はいます. 神が創られた世界を「説明」しようとして実際に明かされた‘事実’が ‘信じていること’と矛盾すると思われるときがあります. それら2つの「真実」が,一人の人間の中でどうやって共存することが出来るのか, 勉強不足でよく分かりません.

関連するQ&A

  • 「自然は跳躍せず」について

    自然は跳躍(飛躍)せず,誰が最初に言ったのでしょうか? リンネの言葉でしょうか?ライプニッツが最初に言ったのですか? ライエル・・・? 自然の漸進主義的な考え方(漸移観?)は,その根拠はどこからきているのですか?

  • 自然数は、なぜ「自然」? 

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1218082532 を読んだのですが、 いまいち、理解できませんでした。 自然数という言葉の 「自然」…の意味を、あまり詮索してはいけないのでしょうか。 natural ... という英語の直訳?だとのことですが、 では、natural という言葉に含まれる意味はなんなのか…。 しろうとにも、「へえ」納得出来るようなご説明が、もしもあれば助かります。 よろしくお願いいたします。  

  • 大自然の理(り)尊ぶ

    大自然の理(り)尊ぶ とは、どういう意味なんでしょうか? 私の職場の活動理念?人として大事なことを記したものにある文章です。 『大自然の理尊ぶ〔一心 心根〕』 調べてみましたが、天地自然の理(ことわり)という言葉が出てきて、自然の法則に従うのが大事…とか書いてあったんですが、「自然の法則ってなに?」と、結局いまいちよくわかりませんでした。 あと、その後の〔一心 心根〕も、何が関係してるのかわかりません。 誰かわかりやすく教えてもらえないでしょうか? よろしくお願いします。

  • 自然に自然を大切にするのが自然

    「自然に自然を大切にするのが自然」を別の言葉に置き換えるとどうなりますか?

  • 自然的短音階がほとんど使われないと言われるのはなぜ

    こんにちは。 自然的短音階について、ずっと前から疑問に思っていることがあります。 共同音楽出版社の「楽典」(上・下)という本を持っているのですが、旋律の音階固有音を見分ける方法として、 「短音階の第7音は、変化記号が付けられていない時は2度下行します。したがって、2度上行して主音に進むことも、跳躍進行することもないわけです。」 と書かれているんです。 これは旋律的短音階の場合ですよね? 自然的短音階にはこの理屈は当てはまらないはずです。 にもかかわらず、ここでは短音階の第7音はいかなる場合でもこのルールに従うかのように書いてあって、それ以外のケースはありえないかのように扱われているんです。 でも実際には、変化記号の付かない第7音が2度上行したり、自由に跳躍進行したりするケースというのはたくさんあって、つまり自然的短音階の曲は探せばいくらでもあるということは明らかなのに、この本に限らず、世の入門書とか理論書の多くが、自然的短音階はほとんど使われないというようなことを書いているんです。 自然的短音階が和声論にとって都合の悪いものであるからといって、仮にも音楽の指導書や入門書と呼ばれるものが、こんなふうに実際の音楽現象を歪曲して、自然的短音階を徹底的に無視するようなことがまかり通っていてもよいのでしょうか? このことについて何かご存知の方がおられましたら、是非お話をお伺いさせて下さい。 よろしくお願い致します。

  • 「自然」の語源は??

    昔高校の先生から「自然って言葉は【nature】の訳語として作られた言葉」って習ったような、習ってないような、そんな曖昧な記憶が最近頭の中で蘇り、本当のところが知りたくて頭がむずむずしています。「自然」って言葉がなかったら、昔のヒトは自然をなんて呼んでいたのか??誰か知っている方がいらっしゃいましたら教えて下さい。お願いします。

  • 自然対数をとる?とは・・・

    y=x^x 両辺の自然対数をとると logy=xlogx これはどういうことなのかさっぱりです。 ログについては、たとえばlog(小さい2)8 なら2を何乗かしたら8になります ってことは2を3乗すると8だから log(低?が2)8の答えは3だ!  ということなどは分かるのですが、一番上の式の意味と自然対数をとるという意味が分かりません。 「自然対数」とか「常用対数」とか言葉はしっているのですが、内容がいまいち分からなくて・・・ お願いします!!!

  • 自然淘汰って…。

    どこかの県の町長さんだったか? 随分前に『自然淘汰』発言して 反感かった人…いましたよね? 動物の世界では自然淘汰って よくつかわれる言葉なのかは 分かりませんが、 『自然淘汰』という言葉を 人間社会の中で あてはめるとすれば どんな時につかうのでしょうか? 何をもって 『自然淘汰』になるのでしょう?

  • 自然発火と自然着火の言葉の意味の違いを教えて下さい。

    自然発火と自然着火の言葉の意味の違いを教えて下さい。 問題集で自然発火と回答したら、答えが自然着火でしたが、自然発火では駄目なのでしょうか。 ご存知の方、わかりやすく教えて下さい。

  • 西洋での自然観について

    『近代科学を超えて』村上陽一郎著 での一節で気になる記述があります。 (Z会 現国問題集より抜粋) 西洋的発想に立てば、人間も自然の一部(被造物)である以上、人間の営みだけを人為として自然から切り離すことを不自然と受け取るー (中略) ー 日本や東洋に対して、機能としての両者(注1)の本質を、後者(注2)よりも融合的に見なす、というのはパラドキシカルかもしれないが、ー (注1)「両者」は自然と人間を指します。 (注2)「後者」は日本や東洋を指します。 質問なのですが、西欧では本当に人間も自然の一部または自然そのものとして考えられているのでしょうか? 旧約聖書では神は人に対して「地上の全てを人に支配させよう」というようなことを言ったのではなかったでしょうか? ですので人と自然を同一視するはずがないと思えます。 人が自然の範疇内であれば、自然という言葉には勝手に変化する意味合いもあり、それはまるで地球を遠くから眺めた時にあたかも人を微生物のように見るという印象を受けます。つまり人を自然に組み込むと結局は人間不在の考え方になるかと。 被造物すなわち自然、という定義もどうかと思います。 詳しい方のご意見をお待ちしております。