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人生における流れ

redbeanの回答

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  • redbean
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回答No.2

例えば、コイン投げをやってみて記録を取っていくと、{表、表、表} {裏、裏、裏、裏}などの偏りを多く見ることができます。また、ガラス ビンの中に赤玉と白玉を入れて滅茶苦茶にかき混ぜてみると、どの部分も 均等に混ざるわけではなく、赤や白が固まって島のようになっている部分 をいくつも発見することができるでしょう。 このようなものが運のうねり、ツキの流れの正体だと思われます。つまり、 ランダム現象の「結果」をみるとそういうものがあるように見えるという だけのものです。ですから、運勢はランダム現象に過ぎず、過去のツキは 未来とは関係無いものとして、人生でなにが起ころうと運やツキにとらわれず いつも通りに対処するという考え方には一理あるものと思います。 しかし、人間というものは運勢が上がっているように思えるときは自信を 持ち、下がっているような気がするときには自信を失いがちです。自信を 持ってものごとに当たれば、やる気も起き、注意力も集中し、相手も 気圧されて、結果的にうまく行き易い。自信が持てなければ、行動力も鈍り、 注意力は散漫、他人のペースにはまって失敗を犯す可能性が高くなるで しょう。 そのように考えると、運が向いていると思えばそれに乗り、逆風にいると 感じられれば大人しくしているという考えにも一理あるといえるでしょう。

good_speed
質問者

お礼

#3とまとめさせて頂きます。よろしくお願い致します。

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