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言文一致について

森鴎外などの明治文語文を読んでいるのですが、そこでよ「言文一致をならしめん。」などの文句が出てきます。「言」=「話し言葉」「文」=「書き言葉」だと思うのですが、どうもあのころの時代状況に疎くて話についていけません。そこで質問なのですが、現代の日本は「言文一致」しているのでしょうか。みなさまよろしくお願いします。

  • s-word
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  • tron-hn3
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回答No.3

随分長くなりますが、辛抱してくださいね。 >書き言葉と話し言葉の歴史について見てきて、途中で言文一致とはどういうことなのか自分で整理がつかなくなったんです。 言文一致とはどういうことか、について考える前に「話し言葉」とは何か、「書き言葉」とは何か、ということについて考える必要がありそうです。 前回のご質問でs-wordさんは「校長先生の祝辞」を「話し言葉」に分類されていました。それに対して私は「話し言葉ではない。書き言葉を読みあげたものだ」とツッコミをいれましたね。 その回答をして以来、私の方にもなにかスッキリしないものが残りまして、いろいろ考えたんですが、私とs-wordさんでは「話し言葉」「書き言葉」に対する認識が違うようだ、ということに思い当たりました。 私のとって話し言葉とは「私的な会話で用いられる言葉」のことです。 改まった場面、公衆の面前などでなにかを話すときの言葉は、どうしても「文章語」の影響を受けるからです。文章語とは何か。つまりあることを伝えるために意識的に取捨選択され、整えられた言語、ということです。それが可能なのは、文字にするからです。ですから、声として発せられた言葉であっても言葉を意識して話すときの言葉は「書き言葉」の範疇です。 地方に住む私にとっては「標準語」というものもやはり書き言葉を声に出して読んでいるようなものです。そして私にとっての「言文一致」は「完全に普段の話し言葉を文章をにする」ことで、これは完全には、無理なんです。 s-wordさんが最初の質問で書いた「言=話し言葉」という仮定の「話し言葉」とは、いかなる場面であっても、音声によって発音された言葉をすべて含むのではないか、と。書き言葉についても同様に、なんであれ、文字に書かれたものは書き言葉であるという認識を持っていらっしゃる。私はそう理解しました。 そう考えると、「話し言葉」と「書き言葉」は、まったく別のものになってしまいますね。で、それを一致させることが言文一致だ、と。 でも、現実はそうではない。読んで覚えた言葉を声に出し、耳に聞いた言葉を書き付ける、だから話し言葉と書き言葉は常にフィードバックしているのです。しかし、「音として発せられる言葉」と「文字として書かれる言葉」は独自の性質を持つ。どうしても文字の方が残りますし、遠くに届けることが出来ますし、ということで別のものとして存在しつつ、影響を与え合う訳ですね。 書き言葉では、大勢に伝達する為には個人個人で好きなように書いていたのでは役に立たないから、 基準というようなものが必要になってきます。 さて、s-wordさんがまとめた所による話し言葉と書き言葉の歴史は平安女流文学からですね。それ以前のことは詳しくないので私も省きます。平安女流文学はもともと「読み物」として書かれたものです。それ以前の時代の公文書の「基準」は漢文ですが、やまとの言葉、宮中の女御達が話している言葉をを文字に書く、ということが成立した。今度はこれが「基準」になる。文字に残って、読まれるからです。紫式部の文章なんかが好んで手本にされたようですね。 だけど、すべての文章がそうだったのかというと、違う。その後に現れる「平家物語」や「太平記」は宮中を出て、庶民の前で語り伝えられていまいた。平家は「源氏物語」の影響が強いのでともかく「太平記」になると文章のリズムが変わってきます。当時の話し言葉も取り入れられていたのではないでしょうか。そのように話し言葉と書き言葉は常に影響し合うのですが、話し言葉の変化の方が早い。話し言葉は、書き留められなければ変化する前の言葉は消えてしまい、わからなくなりますが、文字になってしまえばそれが残り、規範となる。「話し言葉」によって変化した言葉を書いても、それは言葉を知らない人が間違ったことを書いている、と受け取られるのです。 今でもそういうことはよくありますね。 文字、文書を担う為政者、知識階級は何事も先例に習うのが好きですから、文章はなかなか変わりません。 明治時代までは、それで別に困らなかったわけですよね。「正しい文章」を持っているのは一部の人間だけでよかったのですから。江戸の町の識字率は驚くほど高くて、ベストセラーも多く生まれたわけですが、そんなものは下々のくだらない娯楽に過ぎない、正しい言葉ではなくて構わない。だから喋っているそのままに近い言葉が書かれていたりする。そういうのは内容がけしからんからと取り締まっても、言葉遣いが乱れているからという理由で糾弾したりはしない。 国学者は仮名遣いがどうの、ということを言っていたようですが。 さて、ではなぜ、明治に「言文一致」が大運動になったのか。 これは時代の要求、と言ってしまえばそれまでですが、文学者の、より人々に訴えかける表現の形を作り上げるための運動である一方、「国策」とも一致したのではないでしょうか。日本を欧米並の「一流国」にしなければならない。富国強兵です。人民に実学を習わしめて、国のために役立つ人材を多く排出しなければならない。ようするに「下々は勝手にやっておれ、税だけ収めろ」だったのが「 教育して人材として育てよう」ということになった、と。 となったときに「正式な文章語」が一部の知識人にしか通用しないような言葉では困ります。内容より、文章の方を理解するのに時間のかかるような教科書を使っている余裕はない。平易な言葉を用いなければならない。そのためには日常人々が話している言葉に文章語を近づけるのがよかろう。そういうもくろみがあったのではないでしょうか。 さて、「明治期(に限定します)の言文一致の趣旨とは何か」に対する私の見解は、「知識階級でない庶民にも理解できる、平易な文章の基準を作り上げること」です。「漢語を撤廃」することや「助動詞、助詞を撤廃すること」は趣旨ではなく、方法の一部に過ぎません。目的と手段を取り違えると混乱します。そういうものを撤廃すると日本語として機能しなくなるような気すらする。 前島密と言う人は江戸末期の慶安2年、徳川慶喜に「漢字御廃止の儀」という建白書を提出したそうですが、……。 「人々が喋っているような文章を」作ろうと思ったら、結果として「助詞を抜」いたり「聞いただけでは意味が分からない漢語」を使わなくなったりすることはあるでしょうが、それは試行の末見つけだされた方法にすぎません。 二葉亭四迷も「日本語にならぬ漢語は、すべて使はないといふのが自分の規則であった。」と書いていますが、これは漢語を撤廃するという意味ではなく、「國民語の資格を得てゐない漢語は使はない、例へば、行儀作法といふ語は、もとは漢語であったらうが、今は日本語だ、これはいゝ。しかし擧止閑雅といふ語は、まだ日本語の洗禮を受けてゐないから、これはいけない。磊落といふ語も、さっぱりしたといふ意味ならば、日本語だが、石が轉がってゐるといふ意味ならば日本語ではない。」と漢語を分けています。広く使われ、認知されている言葉なら使う、と言うことです。さらに、自分の生理的感覚・言語感覚になじまない言葉は使わないと言うことだと思います。 鴎外先生になってくると、やはりエリートですので、おなじようなことを言っていても、あんまり庶民の言葉が入り込んで、自分が正しいと思っている言葉が崩れてくるのは感覚としてイヤなようです。契沖の仮名遣いを「正仮名遣い」として、あとは徐々に発音にそぐった仮名遣いを許容すればいい、と言うようなことを言っています。一見明解ですがよくよく読むとハギレが悪い。私が読んだのは「假名遣意見」なのですが、言文一致についてもそう言うスタンスだったのではないでしょうか。鴎外先生、「舞姫」を「雅文体」で書いているんですよね……。 で、最初に戻って「現代は言文一致しているのか」の話。確かに明治時代の運動が目指した、そのような文章語はいったんは作り上げられた。現代の私たちは漢文なんか読めなくても暮らしていけるからです。 しかし言葉は刻々と変わるし、文章としても戦後GHQの指導で漢字を減したりなんだり……。国語審議会のやってることにも議論百出。 私の恩師の言葉ですが「文章としての現代口語はまだ完成していません」ということだそうです。 最後に余談ですが、私の言う「話し言葉と書き言葉の曖昧な境界」は、互いにフィードバックして溶け合っている、ということです。 エッセイで「」でくくられたセリフがあるのは臨場感や、文章にアクセントをつけて読者を引きつけるためためのテクニックです。 「その時彼が、その交通事故を目撃したと言った。」(間接話法) というのと、 「その時彼が『僕はその交通事故を目撃したんだ』と言った。」 (直接話法で書かれているが、話の内容は文章語で書かれている) というのと 「その時彼が『僕、その事故、見た』と言った。」(直接話法で書かれていて、話の内容も、より話したそのままの言葉に近い書かれ方) では感じが違うでしょう?推理小説みたいな例文ですが。 この使い分けはその著者の文体とか、こだわりがどこにあるかとか、、その著者の表現力がどれだけ豊かか、そのエッセイの主題は何か、それはどの程度重要なことなのか、……というようなことによって変わってくる類のものだと思うんですが、どうでしょう?

s-word
質問者

お礼

>随分長くなりますが、辛抱してくださいね。 いえいえ、大変興味深かったので、自分でよく考えてうなずきながら、じっくりと読まさせていただきました。tron-hn3さんは歴史にお強いみたいで、明治期の社会状況なども大変参考になりました。 >私とs-wordさんでは「話し言葉」「書き言葉」に対する認識が違うようだ、ということに思い当たりました。 そうですね、わたしもそこがネックになっていました。今回tron-hn3さんのご意見を伺って自分の認識が間違っていたと思いました。口で言う言葉か、紙の上に印刷されてある言葉かで「話し言葉」と「書き言葉」を分類するのは表面的な面しか見えていなかったと思いました。tron-hn3さんの仰る文章語という概念をご説明していただいたおかげで「書き言葉」の本質が見えたような気がします。特に文字として「残る」から「規範」となるということはなるほど、と思いました。 二葉亭四迷の主張は聞いたことがなかったのですが、「漢語」を必ずしも撤廃するというわけではなく自然な日本語に近づけるという趣旨の内容だと聞いて、言文一致の目的が分かりました。 エッセイのカッコもよく考えれば単にレトリックのひとつですね。純粋な話し言葉ではないですね。少し混乱していたようです。 何度もレスしていただいて本当にどうもありがとうございました。おかげさまで悩みが解決しました。今後も国語審議会の動向には要注目ですね(^^)

その他の回答 (2)

  • tron-hn3
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回答No.2

s-wordsさんとしては「言文一致」している、とお考えでしょうか。 私は「厳密な」意味で「言文一致していない」とお答えしました。これは私の見解です。「不可能」という意見は井上ひさしさんだったと思います。 大雑把には「まるで話し言葉をそのまま書き写したような書き言葉」というのは成立している。だから「言文一致」している、と考える方も当然いらっしゃるでしょう。 標準語を基準に考えるということですので、なおさら「話し言葉」と「書き言葉」は違います。「何言ってるかわからないから困るでしょ」というのは「話し言葉風の書き言葉」。 文章としてはお行儀が悪いけど、親しみを感じてもらうために、あえて崩して書いたものです。こういうことを、私たちはさらっとやれる。それは先人が苦心して、あるいは天性の感受性かなにかで、作り上げた「話しているかのような書き言葉」の蓄積があり、それに接しているからだと思います。 >話し言葉にも友人との会話から校長先生の祝辞まで柔らかさがちが牛、書き言葉の方も、エッセイから論文まで幅がありますよね。そのことを考えると頭がパニックになってくるのですが、どう考えればよいのでしょうか。 ということですが、校長先生の祝辞は「話し言葉」ではなくて「書き言葉」を読み上げたものです。 なかには要点や話の運びなどメモした程度でいきなりスピーチを組み立てる話術の天才、のような校長もいらっしゃるでしょうが、祝辞はやはり原稿を読むもののようです。 軽めのエッセイと論文を言文一致の問題でくくるのも無理があると思います。どちらも現在では「現代口語文」で書かれていることは確かですが、目的が違います。論文はあくまで論理的に研究や意見について書かれなくてはなりませんから。エッセイの方は、まず読者に読んで、共感したりしてもらうことが前提です。そのためには「まるで目の前で話しているかのような文体」で書くと効果的な場合もあるし、それがとても巧い人は大勢いらっしゃいます。 現状としては、「書き言葉」と「話し言葉」との間に 「話し言葉に近い書き言葉」「書き言葉に近い話し言葉」があって、それらは確固たる境界をもたず、連続して変化しているのではないでしょうか。 長々と書き連ねましたが、ここでお聞きしたいことが有ります。最初にお聞きしておくべきだったかも知れません。 s-wordさんは鴎外などの文語文を読んで「言文一致をならしめん」という言葉が出てきて、「話についていけない」と感じた、とのことですが、そのことと「現代の日本が言文一致しているかいないか」との間にはとても距離があるような気がするのです。 「話についていけない」のは「その文章がすでに言文一致している」ように感じるからか、それとも「ちっとも話し言葉に近くない」からなのか、あるいは全然別のことなのか。 単純に「言文一致しているかしていないか」だったら、人が話している言葉を録音してたものを書き取ってみたり、話し言葉調のエッセイなどを音読するのをお勧めします。そうすると書き言葉と話し言葉の違いのようなものが見えてきます。 でも、やはり鴎外の話にはついていけないのでは……。 ここまで口出しするのはお節介でしかないのですが、「これから何かをしていこう」という運動(ここでは言文一致ですね)に疑問をもったら、その運動の成果(現代は言文一致しているのか)を問う前にその運動が必要となった状況(それ以前の文章)を知る方が早いのではないでしょうか。

s-word
質問者

お礼

>長々と書き連ねましたが、ここでお聞きしたいことが有ります。最初にお聞きしておくべきだったかも知れません。 s-wordさんは鴎外などの文語文を読んで「言文一致をならしめん」という言葉が出てきて、「話についていけない」と感じた、とのことですが、そのことと「現代の日本が言文一致しているかいないか」との間にはとても距離があるような気がするのです。 tron-hn3さんお返事どうもありがとうございます。わたしが、「話についていけない」と思ったのは、書き言葉と話し言葉の歴史について見てきて、途中で言文一致とはどういうことなのか自分で整理がつかなくなったんです。平安期の女流文学で大和言葉が出てきてから、以後、脈々と江戸時代の学者などが、平安古文を受け継いできて、次第に話し言葉と乖離してきたと習いました。そのなかで、南総里見八犬伝で一部言文一致していたとも聞きました。そして、明治の人々が、外国の言葉を翻訳するのに、漢語を取り入れて、書き下し文となったと習いました。 そこで、言文一致運動の趣旨を再びお聞きしたいのですが、「助動詞、助詞の用法を撤廃すること」がその趣旨なのでしょうか。もしくは、「漢語を撤廃すること」がその趣旨なのでしょうか。何度もすいません、tron-hn3さんに指摘されて、わたしはここがあやふやだったから、いつも、悩んでいたことに気づきました。 >現状としては、「書き言葉」と「話し言葉」との間に 「話し言葉に近い書き言葉」「書き言葉に近い話し言葉」があって、それらは確固たる境界をもたず、連続して変化しているのではないでしょうか。 なるほど、そのように考えればすっきり行く気がします。自分で境界があるものとして考えようと思ったのですが、あまりそう考えると、逆に混乱してきてしまいました。明治期の言文一致運動と違って、社会が複雑化している現代ですから、いろいろな表現方法や文体があるので、それらをひとまとまりにしてくくるのはちょっと無理がありますね。エッセイにもカギカッコつきのセリフがあるとおもうのですが、これも書き言葉と話し言葉のあいまいな境界線なのかもしれませんね。

  • tron-hn3
  • ベストアンサー率66% (2/3)
回答No.1

現代日本語もやはり厳密には「言文一致」していないと 思います。不可能という意見もあるくらいです。 たとえばここで私が普段話しているような岡山弁をそのまま文字にしても「なにようんかわからんけえ困ろうが?」 (何言ってるかわからないから困るでしょ?) ただ言文一致運動が起こるまでの文章は、いわゆる古文の時間にならうような文章で書物を書いていた、と大雑把に理解していただくと、いいのではないでしょうか。 江戸時代のたとえば「東海道中膝栗毛」なんかを読むと地方のなまり、ですとかをなるたけ忠実に書こうとしてあったり、わりと現在喋ってる言葉に近いところもあって、古文としては読みやすいんですけど、もっと難しい本は漢文訓読調でかいてあったりする、と。 「言文一致をならしめん」て、そもそも「ならしめん」なんて、日常話す言葉として鴎外が喋ってたのかどうかはわかりませんが、喋ってる言葉をそのまま書くということは思ってるより難しくて、やはりそれまでならい覚えたことの影響がつよいのではないでしょうか。 勝海舟のお父さんの勝小吉という人の自伝を読むと、「俺は今までも、なんにも文字のむつかしいのはよめぬから、ここに書くにもかなの違いも多くあるから、よくよく考えて読むべし」なんて書いてあって、江戸末期の文章としては、かなり言文一致してると思いますが、これは本人も言うとおり、小吉が文章を書く勉強をしてないからのようです。参考になりましたでしょうか。

s-word
質問者

お礼

>現代日本語もやはり厳密には「言文一致」していないと 思います。不可能という意見もあるくらいです。 たとえばここで私が普段話しているような岡山弁をそのまま文字にしても「なにようんかわからんけえ困ろうが?」 (何言ってるかわからないから困るでしょ?) tron-hn3さんお返事どうもありがとうございます。なるほど、そういうことだったんですね。私は関西ですので友人と話すときは関西弁ですが、ここでは標準語で考えたいと思います。 そこで、「何言ってるかわからないから困るでしょ?」というのは話し言葉だとすると、これは書き言葉と一致しているとはいえないのでしょうか。話し言葉にも友人との会話から校長先生の祝辞まで柔らかさがちが牛、書き言葉の方も、エッセイから論文まで幅がありますよね。そのことを考えると頭がパニックになってくるのですが、どう考えればよいのでしょうか。

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