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家庭での方言教育?について

私のずっと以前からの持論の中に『方言とは地方の大切な文化であり、後世に伝えてゆくべき財産である』というものがあり、子供達にも『正しい大阪弁』を使うように指導してきました。『橋の端で箸をもって走る』の『ハシ』の発音、『柿と牡蠣』、『海と膿』、『雲と蜘蛛』、『赤と垢』の発音が全く違うといった『大阪の発音の常識』や、TVでの誤った大阪弁のマネの禁止、『考えときましょう』などの独特の言い回しの意味の伝授‥さらには、標準語の発音をすると、必ず大阪弁に訂正し、発音練習させるという教育方針を貫いてきました。 標準語は聞いて理解できればよく、また、いずれ必要であれば喋ることも覚えればよいが、文化・生活に根付いた方言は小さい頃から身に付けるべきであるという信念を持っています。 皆さんのご家庭での教育は如何でしょうか?或いは、この考え方へのご意見を求めます。 以上Kawakawaでした

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  • mataza
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回答No.31

方言を大切にしたい。そのお考えには強く同意します。 しかしながら現代のサラリーマン社会にあっては、私のように小さい頃から 親(の仕事)の都合で全国を転々とし、故郷(と感じられる土地)がない者 も少なくないのではないかと思います。 言葉が違うというだけで、強い疎外感を経験したことも一度ならずあります。 小学二、三年生の頃だったでしょうか。言葉があまりにも違ったために奇異 な目で見られ、異邦人のごとき扱いを受けた経験をもつ私には、土地の言葉 に強い嫌悪感を覚えた時期すらありました。 そんな私にとって、テレビ語(=標準語?)は唯一の救いであり、拠り所で もあったような気がします。たとえ、「心がこもっていない」ように思われ ようとも、「文化を伴って」いなくとも、あるいは「上辺だけの記号的言葉」 に聞こえようとも、それは私の喜怒哀楽を綴ってきた言葉であり、私の人生 の記憶とともにあります。 どうしても「上」方意識を強く感じてしまうのは、故郷のない者のひがみと いうものでしょうか。かくいう私も、大阪に住んでいた幼い時代には(宮崎 と岐阜出身の)両親に言わせると、とても親子には見えないほどにバリバリ の大阪弁を話していたといいますが……。

kawakawa
質問者

お礼

おおきに! すぐにお礼を書こうと思っていたのですが、某研究補助金関係の報告書に追われておりまして丸1日遅れてしまいました。 方言というものに固執することについては、総論賛成ではあるが、各論となると問題を含んでいるということですネ。 確かに、matazaさんのご両親のように別の地域の人同士が結婚した場合どうなるのか、また、転勤されたりした場合、どうなるのかといったことが問題として浮かび上がってきますネ。 テレビ語が唯一の救いであり、拠り所であるというケースがあることについては、正直なところ考えつきもしませんでした‥。 けれども、だからといって日本中で方言を捨て去り、標準語を使うべきであるとは考えません。やはり、方言というものは生活風土に基づく大切な文化であると思うからです。他の地方からの方が、別の土地での言葉に馴染めず、また、発音上の問題だけでなく、表現などを含めて使いこなせないというのは、言葉の基本となる文化的な背景が伴わないためでしょう。 それは、文化を理解せずに英語やドイツ語などの外国語を話そうとするのと同じことだと思うのです。 歴史・環境・生活習慣‥こういったものによって作られてきた言葉は文化そのものを示していると考えています。ですから、方言というのは文化の一部であり、文化を代表するものであると考えるのです。 ただし、既に述べていますように、自分の文化である方言を大切にするということは、他の地域の大切な文化である別の地方の方言にも敬意を払い、受け入れるということと同じであると考えています。 使っている言葉が違うことで異邦人のような扱いを受けるというのは、周囲にいた子供達の親や教師の文化教育に大いなる誤りがあったためと言えるでしょう。 各家庭がそれぞれに誇りを持って方言教育(地方文化教育)を行い、また、学校でも地域についての教育と同時に、他の地域も同じように誇りを持っており、それぞれが互いに尊重しあわなければならないということを、しっかりと教育しなければならないと思うのです。そうすれば、matazaさんが経験されたような間違った仕打ちは起こらない筈なのです。 中途半端な標準語教育の押し付けが、他の地方文化を尊敬しないということにも結びついてしまっているのではないかと考えます。

kawakawa
質問者

補足

この質問を立ち上げてから、約3ヶ月が経過しました。 皆様から寄せられた回答から、問題点も浮かび上がり、教育の重要性を改めて認識することとなりました。 時間がかかりましたが、自分の中で、この問題についての進むべき道が漸く形となってくることができました。 補足欄ですが、改めまして、回答していただきました皆様にお礼を述べさせていただきます。 ありがとうございました。

その他の回答 (30)

noname#250565
noname#250565
回答No.30

greenhouseさん、丁寧な説明をありがとうございます。 とってもよくわかりました。 さて、私の書き方が悪かったようです。 「渋谷」と「八王子市」を一緒に考えるくらいの乱暴さを披露してしまい大変申し訳ありません。 #この例えは非常にわかりやすかったです。 その博多の人が「福岡辺りの北九州」と発言した訳ではなかったと思います。 たしか知人は「博多の人が言っててんけど、あの辺りの地域では関西弁って嫌われてるねんて…」と言ったような記憶です。 私自身が北九州という表現を間違って使用しただけです。 私が表現したかったのはご指摘の通り「九州の北部」というか福岡県なんですね。 やはり他の地域のことは大雑把に表現してしまいがち…今後気をつけたいと思います。 ところで最近、納豆は関西でも驚異的に売上げを伸ばしているはず。  どこのスーパーでも売ってますよ。 うちの主人は嫌いですが私と子供達は好きなので、常に冷蔵庫に常備しております。 私も食べず嫌いだったのですが、子供の離乳食用に使ってみて(体にいいと言うので)残り物をもったいないからと言って食べているうちに病みつきになりました。 納豆歴はまだ3年ほどです。(笑)

kawakawa
質問者

お礼

毎度、おおきにぃ! その地域に住んでいないと、別の地域のことはわからないものですよネ。他の地域の人から見ると京阪神、或いは関西というのは一つの地方なのでしょうが、住んでいるものにとっては、まったく異なる文化圏の集合体であすからネ。 食文化の変化は大きなものです。納豆も関西向けに匂いを控えめで小粒の製品を開発した結果、売上が大幅に伸びていますネ。ま、様々な文化、食文化を含めて、良いところは取り入れてゆくというのも大切なことでしょうネ。 伝統文化といわれる歌舞伎や落語で、関東(東京)では、いかにそのままのものを一言一句違わず、同じ形で演じるかを競い、伝えます。けれども、大阪では前の上演と同じ演じ方だと、客から見放されてしまい、その役者や落語家は消えてゆくしかないのです。伝統は伝統であるが、向上させてゆかなければならないというのが関西の伝統文化でもあるのですネ。 よく関西はなんだかわからない文化のごった煮のようなエスニック都市という表現をされたりしますが、それは、他の文化であれ、何であれ、良いものは良い、けれども、そのままではなく関西流にアレンジしたものを自分達の文化に溶け込ませて使っていく。これが関西流文化発達術です。当然、これも大切なところなので、伝えてゆきたいものです。

回答No.29

 こんにちは。#15と#26のgreenhouse@福岡出身です。すみません再々登場するつもりはなかったのですが、#27のpyonkotanさんのご回答に福岡の話題が出たので、つい。(^^;;  さて、まずはpyonkotanさんのご回答中にあった「福岡あたりの北九州」について。察するに、この表現はばくぜんと「九州の北部」を意味しているんですよね。ところが、確かに「西九州:佐賀・長崎」「南九州:鹿児島と熊本宮崎南部」という表現は存在するのですが、なぜかこれらと並列する意味での「北九州」という表現は存在しないのです。  なぜかと言うと、福岡県の北部に「北九州市」という市があります。今は人口はそう多くないのですが発足当初から政令指定都市に指定されています。富国強兵の支えとなるなど歴史的に重要な位置づけにあった八幡製鉄所を中心とする北九州工業地帯(太平洋ベルト地帯の最西端)を擁していたせいで、この地域は特に(明治維新~高度成長期あたりまで?)は全国的に有名な地域でした。この特殊な地域のことを特に「北九州」と呼んでいる関係で「北九州:ばくぜんと九州北部」という表現は、九州には、少なくとも福岡にはありません。また、文献にも辞書にも天気予報にも、私が知るかぎりこうした用例は存在しないので一般用語としても「誤り」であると言って過言ではないと思います。ちなみに「九州北部」が標準的な用法のようです。  さて、他の地域出身の方にはあまり重要でないこうした説明を、なぜくどくどと行ったかというと、 pyonkotanさん: >「福岡辺りの北九州では関西弁を嫌う人が多い」と噂で聞いたことがあります。 >私自身は経験がないのですが、知人が「博多の人がそのように言っていた」と >断言していたので、ちょっと驚きでした。  今、博多の人が断言していいですか。(^^;;  「福岡出身の人が九州北部を『北九州』なんて絶対に絶対に、絶ぇ~っ対に言わない~ッ!!!」  kawakawaさんが「海」「膿」を同じように発音することを受け入れがたくお感じになるのとたぶん同じくらいの勢いで言い切っちゃいます。絶対ありえない。ついでに言うと、#15の回答でふれましたが、 >また、方言は使う人の年代によってずいぶん違っていました。 >また、年代だけでなく細かい地域によっても微妙に違いました。外の人からは同じに聞こえる >のかも知れませんが、学区が限られているはずの私が通っていた県立高校の中でも、使う言葉 >でどの区・どの市・どの郡から通っているかだいたいわかる  ような状況なので「北九州市」と「博多」ほどになると、地元では言葉も文化も全く違う「別の国」とも言うべき関係です。少なくとも福岡出身の人がいっしょくたにしてこの二つの地域を語るということは、よほどの事情がない限りありえません。  この件に関しては、関西や東北や、考えてみれば関東も、日本全国どこも同じ状況ではないでしょうか。例えば「東北地方」は他の地域出身者から見ればひとまとまりでとらえがちですが、東北出身の方はもし「東北」としていっしょくたにされる場合があれば、必死に違いを強調するでしょう。同様に、こうした具体的な発言で「博多」と「北九州」を一緒に考えることは、東京都で例えれば「渋谷」と「八王子市」を一緒に考えるくらいの乱暴さは十分あると思います。 <誰か福岡出身の人応援してくれないかな...(^^;;  で、このことから推察するに、この話はpyonkotanさんに届くまでに若干ニュアンスが変わってしまったおそれがあると思います...はぁ、やっと言いたかったことにたどり着いた。(^^;;  このように、方言は微妙な地域や年代によって、他の地域出身の人には見分けにくい部分での多様性、その地域出身者にとってはおざなりにされると非常に気に障る「違い」「こだわり」が存在することを強く感じます。ご質問者のkawakawaさんが >関西ネイティブにはこれらの微妙な音の高低は非常にハッキリとした違いなんですネ  と#15のお礼で述べられているのも言葉のそうした部分への「こだわり」と解釈し、その意味において共感します。こうした微妙な差異は、形こそ違いはすれ、日本全国どの地域の言葉にも存在し、また方言に限らず標準語にも存在するように思います。このような繊細な多様性は「言葉」の持つ根本的な特徴ではないでしょうか。  さて、ここで先ほどのpyonkotanさんの証言に戻らせて頂きます。 >「福岡辺りの北九州では関西弁を嫌う人が多い」  これを「福岡では関西弁を嫌う人が多い」という意味だと解釈する(私にとっては全っ然違う表現ですが他の地方ご出身の方には「いっしょじゃん!」と言われそうですね)と、確かにそうした面もあるかも知れません。しかし、私が東京で暮らした経験からいうと、これは福岡のみにあてはまる話ではないと思います。福岡よりそうした傾向が強く感じられる地域はかなり多いです。どちらかというと福岡は比較的そうした排他的傾向は弱いように感じます。ただし博多もんは「開けっぴろげ」と評されるその気質のせいで思ったことを口に出してはっきり言う傾向があるため、特にそう思われるのかも知れません。また、東京では「西側」ということで単純に関西と混同されがちなので、そういう状況に対する反発も若干入っているのかも知れませんね。私の経験から具体例を挙げると、納豆が好きだったり、スーパーに納豆が売っているというだけで驚かれたことあり。おいおいそれは関西出身者に対しても失礼だ...  さて、肝心のご指摘の内容について、別の地域の人が「関西弁を嫌う」理由、実はなんとなく分かるような気がします。  先に述べたように、言葉には、地域地域で他地域の人にはわかりにくい「こだわり」とも言うべき微妙な差異があるので、私が知るかぎり、初対面の人にいきなり自分がふだん使っている方言で話しかける風習はあまりないように感じます。意図していないにしろ、いきなり自分の方言で話すことは、相手の方言をないがしろにし、土足でドカドカ相手の家に上がりこむような「無遠慮さ」とも受け取られかねないからです。  ところが、たぶん漫才の影響が大きいのでしょうが、関西ご出身の方は、違う地域でも平然と自分の方言で話しているイメージがあります。その方が親しみやすいという考え方ももちろんあります。しかし地域によってはそうした言動を「マナー違反」「あつかましい」「押しつけがましい」「下品」と受け取る人もいるかも知れません。だからpyonkotanさんが引用された前述の証言の主旨もきっと、関西弁そのものが嫌いなのではなくて、そうしたところに抵抗を感じるという意味だったのではないかと推測します。  以上、長くなりましたが、kawakawaさんの方言教育にこうした観点も取り入れて頂ければと願っています。--a_a

kawakawa
質問者

お礼

毎度、おおきにぃ! やっと、地域文化の細分化のところに言及していただけました。ありがとうございます。今までの私のお礼文の中でも『東北地方』『関東』などといった非常に曖昧な地域表現をしてきたつもりだったのです。ちょうど、私たち日本人が黄色人種、アジア人等の表現で一緒にされてしまうのと同じ位、それぞれの地方・地域が大きくまとめられて扱われることに不快感や不満を持っている人は多いと考えます。京阪神と一くくりにされてしまうことが多いのですが、京都・大阪・神戸でも全く異なる街ですし、奈良や和歌山も全く異なります。このように書くと奈良市の人は高田市とは違うし、吉野郡とも違う‥と反発されるかもしれませんネ。要は、そういったこだわりや思い入れというものも地方文化の根底を形成していることであり、大切なものであると認識しています。 関西弁を嫌う人がいるのは、言葉そのものよりも、関西人の『マナー』の問題であるというご意見は‥耳が痛いものです。赤信号は無視する・ホームでは並ばない・エスカレーターでは立ち止まらない・路上駐車は当り前‥こういった行為の背後には徹底的な合理主義があるのですが、当然、マナーとしては誉められたものではないことを多くの関西人も自覚しています。こういった行為が大阪のイメージを下げ、さらに、連想される言葉までを嫌に思うという結果を招いたことは想像に難くないことですネ。

noname#250565
noname#250565
回答No.28

#27のnakaGさんの回答を拝見して思ったのですが… 『関西圏の文化がまったく考慮されていない標準語というのは、地域文化をまったく否定されているようで、非常に受け入れ難く思ってしまうのです』というkawakawaさんの 発言がそのまま『関西原理主義者』となるのでしょうか? ちょっと疑問に感じます。 人の思考には感情的な部分と理論的な部分が入り混じっているのだと思います。 私はこの発言はkawakawaさんご自身が「受け入れがたい」という感情的な部分を述べているだけだと思うのですが… 違っていたら申し訳ありません。m(__)m 関東に住む方々は普段の言葉を標準語だと思っていらっしゃる方が多いと思います。 でも関西ではその日常語は「関東弁」という扱いでアナウンサーがニュースを読みあげるあの言葉のみを標準語として捉えている人が多いです。 これはどちらが正しいという問題ではなく、その地方によって受け止められ方が違うということを双方が理解すればいいだけのことだと思います。 私は先にも述べましたように他の土地に行くとすぐに影響を受けてしまうタイプなので、周囲に「関西人としての誇りがないんかぁ!」と言われることも多々あります。 関西では特に関東弁を嫌う人が多いのも事実でしょう… しかし全ての関西人がそうではないということも事実です。 「福岡辺りの北九州では関西弁を嫌う人が多い」と噂で聞いたことがあります。 私自身は経験がないのですが、知人が「博多の人がそのように言っていた」と断言していたので、ちょっと驚きでした。 その先入観が自分自身にあるためだとは思いますが、NakaGさんの『ところが大阪弁を含め関西系の人は、仕事上の話でも自分等の方言で通すのです。』という最初の発言にも何がしかの偏見を感じてしまうのです。 ビジネス上で知り合った関西人がたまたま全員そのようなタイプだったのかもしれませんが、これにもNakaGさんの感情面が現れているのではないかと… 違っていたら申し訳ありません。m(__)m 私の知る限りではたとえ関西人ばかりのオフィスであってもビジネス上では標準語を使用していることのほうが多い印象なのですが… (正社員としては3社・派遣では10社以上の会社に行った経験からです。) 特に社外の他の地方の取引先などと電話で話すときに関西弁を押し通す人を身近に感じたことはありません。 イントネーションは関西弁のままでも標準語を使うのがビジネス上ではマナーだと考える人の方が多いと私は思っています。 標準語自体がどこの方言をベースにしたものであったとしても、現在この標準語が確立していることによって、他の地域の人とスムーズに会話が成立しているというメリットがあると私は思います。

kawakawa
質問者

お礼

毎度、おおきにぃ! 標準語というのは生活観のない、日本語だけれども、一種の外国語のような、と言えば大げさですが、そういった感じを受けてしまうのです。その理由を考えていくと、標準語の成り立ちに行き着いてしまったわけです。明治政府はある程度、意図的に関西の言葉を排除したということも、首都を移した(とは言っても、東京を首都とするということを明文化した法律は、私が知る限り存在していませんが)時点での様々な背景から読み取れますから。ですから、標準語が作られたときから、関西圏の人にとって馴染みにくいものであったことは想像するに難くありません。ただ、前回の表現は、その後の展開の布石として考えていたものなので、多くの関西人がそうではないかという感覚で書いたものだったのです。失礼しました。 pyonkotanさんが書かれていますように、会社などで営業部門に在籍している方の多くは仲間内の言葉と仕事上の言葉を上手に使い分けされていますネ。地方支店に赴任された方は、その地方の言葉を多少引きずっておられたりして微笑ましく感じてしまうと同時に、その地方に溶け込もうとした努力が窺い知れますネ。ただ、大阪の会社関係では、『~しはる』という便利な敬語が一般的であったり、『ほかしといて(捨てておいて)』『なおしといて(もとのところに仕舞っておいて)』といった関西人が標準語表現と信じている方言を意識せずに使うことも多いのは事実です。 一方、私のいるような営業とは縁の無い、学問や研究の世界では、結構お国言葉が飛び交っています。最低限の言い回しについては標準語化していますが、基本的には、どの地方の方であってもその地方の方言を当然の如く使っています。学会発表などでは、極力標準語的にはしていても、どの地方の先生なのか直ぐにわかってしまいますネ。 標準語という道具は非常に便利なものではあります。過疎地の農村などで老人達が話されている純粋な方言などは、素朴で素晴らしい趣はあるのですが、意味が半分以上わからないこともあり、フィールド調査などの場面では困ることもありますからネ。

  • nakaG
  • ベストアンサー率25% (42/165)
回答No.27

あれ?kawakawaさんの本音は結局それなんですか?もっとグローバルな方かと思ってましたが・・・・・。 『関西圏の文化がまったく考慮されていない標準語というのは、地域文化をまったく否定されているようで、非常に受け入れ難く思ってしまうのです』てのは、ただ単に『関西原理主義者』なだけでは? 標準語の起源などはどうでも良い事で、以前にも申し上げたように、これは近代化の一選択、或いは一種の道具と考えるべきで、なにも関西の地域文化が否定された訳ではないと思います。それでも『関西圏の文化がまったく考慮されていない標準語というのは、受け入れ難く思ってしまう』のなら、単なる関東圏に対するコンプレックスの裏返しの様に思えます。厳格な標準語で日常生活を送っているのは、全国でも鈴木志郎さん位でしょう。ただ、関東圏、関西圏以外の人は、多少の訛りはあっても、公式の場合は『標準語』で話そうとしているのに、我々は別だと考える一部の関西人にkawakawaさんが含まれるのなら、私も認識を改めなくてはと思います。

kawakawa
質問者

お礼

毎度、おおきにぃ! ヒット!実は誰かが食いついてきてくれないかなっていう布石だったので、黙殺されてしまったら、どこでどうやって展開しようかなって考えてたのですヨ(失礼しました!嫌な性格なのかも‥)。 比較的多くの関西人は、私の周囲にも多いのですが、様々な地方の方言は比較的受け入れるのに対して、標準語には嫌悪を示す人が多いように思われます。関西原理主義というより、地方原理主義とでも言うか、或いは、反中央主義というのが最も的確と思うのですが、そういった感覚があるのですネ。別に東京が、関東がというのではなく、権力に対する反発というのが根底にあるように思われます(とは言っても、権力の座についている国会議員たちは選挙区を念頭に置いているせいか、どういう場面でも方言をおし通しておられますが‥)。 言葉というものは、文化であると同時に、道具としての性質の方が大きいものです。意志を伝えるためにあるものですからネ。意志が伝わらない言葉は言葉とは言えないものですよネ。だから、私もこのサイトでの文章や公式な文章は標準語で書いているのです。また、関西以外での講演会などでは、できる範囲で標準語もどきを使っています。発言の意図を伝えなければ意味がありませんからネ。 世界的に見ると、カナダの言語紛争は国家設立当時から続いていますし、ベルギーの言語紛争も独立問題に発展するほどのひどい対立を生み出していますよネ。この場合は英語とフランス語、フラマン語・ドイツ語とフランス語という対立図式なので、方言という枠を越えてしまっているという指摘があるかもしれませんが、自分達の言葉というものに対しての愛着と誇りとを如実に現していると思います。或いは中国では標準語である『普通語を話そう』運動が強力に展開されているにも関わらず、上海以外ではテレビ放送も地方の言葉で行われるチャンネルもありますし、標準語教育が徹底している上海でも上海語が日常使われ、標準語でも非常に訛りが強くて慣れないと聞き取れない程ですよネ。これも、その気になれば喋れるものを、敢えて喋らないという地方文化への『意地』なのかも知れません。 私の本音は、既に述べたのですが、文化としての方言は伝承すべきであり、道具としての標準語は必要に応じて用いればよいというものです。当然、会話の相手に応じて使い分けをするものであることは、大阪弁であれ、東京弁であれ、同じことであると認識しています。

回答No.26

 こんにちは。#15のgreenhouseです。kawakawaさんのお礼で気になることがあったので舞い戻ってきました。いまさらすみません。(^^;; kawakawaさん: >放っておくと、テレビから流れてくるヘンなイントネーション‥『海』を『膿』の >発音で現し、『赤』を『垢』の発音で現し‥そんなときは厳しく発音を矯正してし >まうんですよネ。牡蠣に鼻を近づけて『膿の香りがする』なんて言われたら、気持ち悪いですから‥  そりゃそうです。でもこれって「方言教育」というよりもっと根本的な問題のような気がします。標準語でも「赤」と「赤」そして「海」と「膿」はアクセント違うと思うのですが...この問題は「方言教育」とは別に論じるべきではないでしょうか???  差しでがましくてすみません。ただ、こうした場合の「方言教育」がこのQ&Aのテーマだとしたら先の回答は少々ピントが外れていたと思いますので撤回させてください。それではまた。(^^)

kawakawa
質問者

お礼

毎度、おおきに~ 標準語の『海』と『膿』、『赤』と『垢』の発音にアクセントの差があることは知りませんでした。不勉強でした。 けれども、標準語での『海の香』は大阪では『膿の香』と聞こえてしまうのです‥標準語の『海』の発音は大阪弁では『膿』に相当し、標準語の『赤』は大阪の『垢』の発音なんですよネ。ですから、テレビのアナウンサーが語る正しい標準語のアクセントというのか、声調というのかわかりませんが、これが非常に気になるのですヨ。質問の方にも書きましたが、『橋の端を箸を持って‥』という『ハシ』の発音は大阪では完全に使い分けをしています。また『箸』と『お箸』の『ハシ』の発音も異なります。『牡蠣』『下記』『柿』も全然違う発音です。おそらく、小さい頃から身につけない限り、大人になってからマスターしようとしても出来ないのではないかと思うのです。他の地域の人には聞き分けも難しいようなのですが、関西ネイティブにはこれらの微妙な音の高低は非常にハッキリとした違いなんですネ。その点で大陸文化が残っているのかもしれませんネ。 標準語は関東方言に東北方言が混ぜられたものであることは先に述べましたが、北関東~東北にかけての言葉には単語中の音の高低に規則性のないものも見受けられます。これらが基礎となっているため、関西地区のような音の微妙な取り入れられるどころか、はじめから考慮されなかったのだと思われます。 関西圏の文化がまったく考慮されていない標準語というのは、地域文化をまったく否定されているようで、非常に受け入れ難く思ってしまうのです。

  • nakaG
  • ベストアンサー率25% (42/165)
回答No.25

 三度参上します。お互いに同じ事を言ってるのに、少しのずれを指摘しあっているような気もします。 『文化の多様性を否定し、一元化しようとするのは、文化度の低いレベルの段階であり、文化の多様性を認め、尊重して共存を図ろうというのが、真の文化的な社会であると考えています』と云うのはある面では真実でありますが、反面人類にとって『一元化』は永遠の願いではないでしょうか? ジョン・レノンの『イマジン』がそうでしょう。  nanasisanさんの回答に対して『オーストラリア人、シンガポール人、フィリピン人、インド人‥同じ英語を公用語の一つとして使っている地域であっても、まったく異なる発音や言い回しがされていますが、これらは文化として確立されていますよネ』と答えられていますが、それらの国でも『標準語』はあると思います。手許の国語辞書で『標準語』を引くと、『一国の国語の規範として認められている言葉』とあり、決して日本だけの話ではないと思います。近代化を選択した国家あるいは民族が共有する一種の文明の利器ではないでしょうか?  この問題は片方が重要だから片方は後回しにと考えるよりもっと弁証法的(最近、長野県知事の康夫チャンがこの言葉を発した時は笑えましたが・・・・)に求めるべきではと思います。しかし伝統の灯は一度消えると、再び点灯させるのは大変ですから、KAWAKAWAさんの気持ちも良く理解できます。そんな人がいないと伝統は残せません。  私の大学時代の話をしましょう。私は東京で学生生活を送りましたが、偶然地元の高校生らと仲良しになり、我々のアパートに遊びに来るようになりました。我々は一浪していましたので、二つか三つの年の差があったりして彼等の兄貴分風になってしまいました。そこで決めたのが我々のアパートに来たら『九州弁』しか使わせないと云う掟でした。彼等も面白がり、これを忠実に守りました。今年、その時の友人が亡くなったときに、その高校生達が25年振りに来福して、昔と同じように九州弁で思い出を語り合いました。  もう一つ、最近のバイリンガルの女の娘、略してバイリンギャルの英語、聞いていておかしく思いませんか? 映画やTVで聞く英語の方が解り易いのは不思議ですね。向井千秋さんの英語は流暢ではないがわかり易いし通じているようです。あれはバイリンギャル達がアメリカの『標準語』を使っている積りでLA弁かNY弁を使っているのではと思います。少し滑稽です。

kawakawa
質問者

お礼

毎度、おおきにぃ! ありがとうございます。おっしゃるとおり、標準オージーイングリッシュ、標準シンガポーリッシュ、標準何々というものがあります。 フィリピン人の場合、言葉に対する姿勢がはっきりしていて興味を感じます。大統領演説なんかを聞くとポリシーが伝わってきておもしろいですよネ。標準的な英語で演説をすると次回は落選するそうです。だからワザとタガログ訛りの英語を使うとか‥けれども海外首脳との会談では見事な英語を話せるんですネ。正しい言葉を完全に話せるが、TPOによって見事に使い分けをする。これが案外真の国際人なのかもしれません。アメリカ大統領なんかでも結構訛ってますしネ。中国の主席達の中国語の訛りは見事としかいいようがないですし‥ nakaGさんの学生時代のエピソードはいいですネ。言葉っていうのは、歌や光景のような力を持っているんですよネ。私は仕事柄、長期間の海外調査などに行くことが多いのです。最近は長くても1ヶ月程度ですが、以前は数ヶ月の間、砂漠や密林などのフィールド調査にでることが多かったのです。そんなとき、その国の都会に戻って数十日ぶりに日本語を、特に関西弁を話す人に会うと、はじめてあった人でも旧友との再会みたいに感じてしまうのですネ。標準語式に話す人の場合はそこまで感じなかったものです。 バイリンギャルのヘンな英語は、丁度、日本にきた外国人の方が大阪弁や名古屋弁を流暢に話せるようになったのと同じようなものと考えていいでしょうネ。だから、訛りや言い回しがシックリこないことが多いのでしょう。あれを聞いたネイティブの方の中には懐かしさを感じる方もおられるでしょうが、おそらく、テレビで流暢な東北弁を喋る外人さんを見る私たちと同じような感覚になるのでしょうネ。 さて、世界は一つということ。たしかに究極の理想でしょう。けれども、現実はナカナカ上手くいきません。アメリカの文化多様性教育が精一杯の努力の結果なのでしょう。人種・民族のルツボであるアメリカは50年ほど前から、それぞれの文化を尊重し認め合っていこうという教育を進めています。そして、互いの誤解をなくそうと。その次の段階が一元化なのでしょうネ。

回答No.24

ダラみたいにでっかいと回答書いたるがいね。 んーな読めんから、だっかのがとおんなじこと書くかもしれんけど、あんた一生懸命子供にゆうて聞かせてもなーんもかわらんちゃ。言葉は生き物やからだんだん変わってくがや。オラこさいつも方言で喋っとるから、うちのアンマも方言覚えとるけど、将来どっかでそれ喋っていいことあるかわるいことあるか、なってみんなんわからんちゃ。 それと、オラんとこの質問にも答えてくれてキノドクナ。

kawakawa
質問者

お礼

おおきに! nanashisanさんは富山、或いは北陸地方の方でしょうか?発音が聞こえてくるようです。 確かに仰られるように、言葉は生き物です。それも、この数百年の間に同一の言葉であるのが信じられない程の変化をしてきたということは知っています。けれども、変化するものだから伝えなくてよいかというと‥ 方言教育をタイトルに挙げていますが、正月や盆などの風習、冠婚葬祭に関する風習などの地方文化も含めてのことを教えています。これらの地域風習というものも時代によって大きく変化はしています。けれども、やはり地域の大切な文化ですから、伝えてゆきたいのですヨ。 祇園祭、天神祭、葵祭、どんたく、どやどや、だんじリ‥沢山の古くからの祭などの風習も同じことですよネ。また、古典芸能である狂言や能なども。こういった文化と言葉の文化とは同じレベルで伝えるべきものではないかと思います。 オーストラリア人、シンガポール人、フィリピン人、インド人‥同じ英語を公用語の一つとして使っている地域であっても、まったく異なる発音や言い回しがされていますが、これらは文化として確立されていますよネ。それはよくて、日本語の方言はよくないということはあり得ないと思うのです。 将来、方言によって得をするか損をするか、それは、確かに予見することはできません。少なくとも私の場合は大阪に住みつづけているためか、損をしたことはありませんネ。でも、大きく得をしたということも‥ 長々と書いてしまいました。

  • nakaG
  • ベストアンサー率25% (42/165)
回答No.23

kawakawaさんの御意見は『家庭での』であれば賛成です。 kawakawaさんもその積りでしょうが、文面より教育者と 思えましたので、学校でもそれを通していらっしゃるのであれば問題かなと思いまして。 kawakawaさんが仰る『標準語』は厳格なアクセントを含めての『語』のようですが、一般人がそこまで厳格である必要はないと思います。今はNHKのアナウンサーでもかなりいいかげんなアクセントでやっていますね。これはアクセントではありませんが、昨日深夜のNHKで、黒部ダムの苦労話の再放送があっていましたが、その中で久保純子がやたらに『ブルドーザー』を『ブルトーザー』と何度も言っていて、大変気になりました。でもそれに気付くのも自分がある程度は話せなくてはと思います。 ビジネスの場では、アナウンサーほど神経質でなくても良いが、より標準アクセントに近い方が望ましいのには変わりがないと思います。 仕事の場で関西人が関西弁を使うのは、関東弁の方と話す時だけで良いのでは? それ以外に使うのは、関東人が関東弁を無神経に使うのと同じだと思います。 やはり昨日、NHK教育TVの英会話の時間で『キングス・イングリッシュ』の話があって、それによると、イギリスの上流社会の家庭では、幼少時は乳母が育てるので意外に『下品な』アクセントらしいが、それは学校教育で徹底的に鍛えられると云う様な話がありました。 私は実は親の仕事の関係、大学時代、就職後とかなり転勤と引越しを繰り返しました。博多生活は12年程ですので伝統的な博多弁ではありません。ですから福岡弁、九州弁と云うのでしょうか。実際、本当の博多弁を聞くことは滅多にありません。これは商人の町の言葉らしく、大阪弁の様な雰囲気があります。アクセントも似ている様です。これらの言葉は古くからの商店街くらいでしか聞けません。kawakawaさんが『家庭での方言教育』と仰る気持ちは良く解ります。家庭で遺そうと思わなければ、これは無理でしょうし、何世代も継承される職業でないと難しいと思います。 kawakawaさんの『自分の方言に愛着と誇りがあればある程、別の方言に対しての敬意も持つべきではない』と云うのは、その通りです。ただ地方の者が、仕事の場合は標準語(もどきであっても)で話すべきと考えて使っているのに、関西人は自分たちは良いのだと思っている様に思えるからなのです。

kawakawa
質問者

お礼

毎度! 再登場していただき、ありがとうございます。文化の多様性を否定し、一元化しようとするのは、文化度の低いレベルの段階であり、文化の多様性を認め、尊重して共存を図ろうというのが、真の文化的な社会であると考えています。 教育者といっても、大学や専門学校で教鞭をとっているだけの身で、おまけに言語学や社会学とは程遠い、医学部と薬学部に身を置くものです。ですから、言語教育を教えるということはしていません。ただ、どうしても近代の医薬品、或いは漢方薬(生薬)の日本におけるルーツは関西にあることから、その背景としての文化については語っていますが‥ 研究室の学生さんなどには地方文化の大切さを語っています。全国各地から集まってこられていますので、それを画一化したものにしたくはないのですヨ。 確かに、仰られるように、関西人はどの地方へ行っても、どういう言葉で話される方に対しても関西弁で押し通す傾向が強いことは事実でしょうネ。マスコミのおかげで、関東方言に次いで、かなりの市民権を得た言葉であるということも理由の一つでしょう。一つ不満を感じるとすれば、関東の人が何処へ行っても東京弁(これは標準語ではなく、立派な方言です)を使っているのに非難されることがなく、他の方言を使うと嫌がられたりすることですネ。逆に『ひ』の発音が出来ずに『し』と言ってしまうことを自慢しているような方もおられますからネ。 いずれにせよ、様々な文化の尊重は大切です。 今回の質問では、日本国内の方言ということを表に出して書いていますが、実は質問の真意として、もっと広いテーマも含めていたのです。というのは、日本国内の方言文化を認めることができない、そして、それを尊重することができない人が、世界の他の文化を尊重できるのだろうか?それが出来ないのならば、真の国際化というのは無理なのではないだろうか?ということなのです。 ですから、各家庭で自分達の文化を伝え、誇りを伝え、他の文化も同じように尊重するということが大切なのではないかと思っているのです。

  • nakaG
  • ベストアンサー率25% (42/165)
回答No.22

kawakawaさんの持論『方言とは地方の大切な文化であり、後世に伝えてゆくべき財産である』は理解できるとしても『標準語は聞いて理解できればよく、また、いずれ必要であれば喋ることも覚えればよい』はいささか論理の飛躍でないかと思います。梅干が身体に良いと言って、三食全部梅干でメシを食っているようなものと思います。 私は福岡に住んでいます。もちろん日常語は博多弁ですが、仕事上では標準語です。それが礼儀だと思っています。ところが大阪弁を含め関西系の人は、仕事上の話でも自分等の方言で通すのです。kawakawaさん的には『地方の大切な文化に誇りを持つ』っているのでしょうが、我々だって自分の方言には愛着もあり、誇りも持っているのです。そんな中で自分だけ方言で通すので、時々殴ってやりたきます。そお、電車の中で辺りを構わず携帯で話してるヤツって感じです。『標準語は聞いて理解できればよく、また、いずれ必要であれば喋ることも覚えればよい』なのでしょうか? 標準語で気持ちを伝えるのも難しいんですよ、ただし、行った先の方言を理解するよりは簡単です。

kawakawa
質問者

お礼

おおきに。 梅干という単体ではなく、料理の基本の味を関西風にするという伝統を守った、嗜好に合った食生活を続けていると考えていただきたいですネ。言葉というのは、生活の基本であると思いますので。 関西系の人だけが、仕事を方言で押し通しているのでしょうか?私は北海道から九州までの大学や官公庁や第3セクターと仕事をする機会が多いのですが、一番、方言を押し通しているのは東京や神奈川などの関東圏、次いで大阪などの近畿圏、そして、地方の非都市部‥と感じています。さらに、『本当の正しい標準語』には、偶然かもしれませんが、一度もお目にかかったことはないのです。 もちろん、言い回しや単語が標準語風であってもイントネーションに方言の色が残っている、『地方的標準語』とでも呼べる『標準語もどき』はごく一般的にどの地方でもつかわれています。おそらく、nakaGさんの仰る、仕事上での標準語というのは、これに相当するのでしょうネ。 勿論、私も地方での講演などではイントネーションは大阪ではあるけれども、言い回しなどは極力、共通語式にした言葉を用いています。また、論文やテキストなどは当然のことながら、標準語です。 標準語で気持ちを伝えることについては、喋るよりも、書くという行為で小さい頃から訓練されてゆくものです。また、方言とは異なる語尾変化や表現については学校教育の中で、或いは、テレビなどの媒体を通じて学ぶことができますネ。ですから、敢えて家庭で教える必要はないと考えているのです。それよりも文化を伝え、誇りを伝える。そして、他の文化圏の方もそれぞれが誇りを持っていることも伝え、互いに尊重し合おうということを伝える。それが、私の言語教育の方針であり、目標なのです。 ですから、仕事上で様々な方言に出会いますが、それに腹立たしく思ったことはありません。逆にどの地方の方言であっても、嬉しく感じます。 繰り返しますが、自分の方言に愛着と誇りがあればある程、別の方言に対しての敬意も持つべきではないかと考えます。それが文化の多様性の基本であると思うからです。そして、本当に正しい標準語を覚える必要があるのであれば、そのときに覚えればよいと考えるのです。本当に正しい標準語が要求されるのは一部のアナウンサーだけとは思いますが‥

  • dragon-2
  • ベストアンサー率48% (117/243)
回答No.21

 Kawakawa教授殿へ  ちょっと突飛な発想をしています。そもそも方言は江戸時代に完成(作られた)のではと。元々、言い回しやイントネーションなどは距離に比例して異なったものとなると思います。(ここでの距離は物理的距離ではなく、人間が相互交流できる距離のことです。山向こうや谷向こうは離れている。道があれば、または船での行き来があれば近いという意味です。)中国では公用語は北京語、最もよく使用されるのが広東語だそうですが、中国は広いですから、いろいろな地方特有のことば(方言)があるのでしょう。  これに比べ日本はかなり狭いのですが、江戸時代の幕藩体制では、藩内以外は外国のようなものであったと考えられます。閉鎖された(農の身分は原則的に移動出来なく、人口も最も多かったでしょう。)空間では特有の言語が発達しても不思議ではありません。さらに、(以下の記述は時代小説みたいのですが)徳川家光代は柳生の「草」、徳川吉宗代は「御庭番」がスパイの役目で、各藩の行政を見張っていたと伝え聞きます。これに対抗するため、各藩では特有のことば(方言)を使うことによって、これらスパイを排除しようとしたのではと思います。薩摩藩では実際にこのことがあったとされています。  私自身は「標準語」=「東京方言」と考え、標準語自体は嫌いなのですが、方言が文化を伝承するといっても高々江戸時代からでしょう。方言特に「関西弁」の独特の言い回し「大阪」の「もうかりまっか」=「こんにちは」、京都の「お茶漬けでもあがって・・」=「さようなら」など風情があって私は好きです。  ところで、時代小説の考証は誰が優れているのでしょうか。切り餅=小判25両などと書く作家は無知です。作法やしきたりも江戸中から後期儒学朱子学からですから。  話は変わりますが、この江戸時代、商人はいろいろなところへ行き来出来たわけですから、どんなことばを喋っていたのでしょうか。  とりとめの無いことを記述してすみません。Kawakawa教授の専門はやはり理科系分野ですか。すごい博識ですね。競合する私は勝てません。活躍願っています。

kawakawa
質問者

お礼

おおきにぃ! 中国は『国』が集まってできたところなので、方言というレベルを超えていますネ。私は普通語(共通語)と広東語は話せますが、上海語や福建語はほとんどさっぱりわかりません。中国本土の人でもそうなんですネ。北京の人と香港の人が2人の共通語である日本語で会話するなんていうことも珍しくないんですヨ。北京語と広東語の違いは、たとえていうとアイヌ語と琉球語くらいの違いと思っていただければいいでしょうか‥ それはともかく、薩摩の方言の細分化、村単位で異なる言葉というのは、本当に面白いですネ。ハッパ(忍び)防止のためというのは事実のようですネ。逆に日本各地を自由に出入りできた越中富山の薬売り(配置薬販売員)に化けたハッパ達は今の富山弁を必死に勉強したのでしょうネ‥ 標準語は東京地方の方言に東北方言を色濃く反映したものであると理解しています。明治維新当時の人口比率を示しているのでしょう。現在でも東京には東北地方からの人がかなり多く住んでおられますから、標準語として要素を取り入れざるを得なかったのでしょう。 最近は大阪でも『もうかりまっか』はあまり使われません。そのかわりに『なんぞ、えぇ話しおませんか?』というのが多いですネ。不景気のせいなのでしょうか‥ 京都の『ぶぶ漬けでもどうどすか』という謎解きのような表現、大阪では『今日は浜、安かったんかいなぁ』とか『今日は砂糖高かったさかいなぁ』とか『ほっとき、あれは夏のハマグリやさかいに』などといった言い回しがあります。意味はわかるでしょうか?答えは‥考えてみてください。 時代小説で思いっきり笑ってしまうのは『目からウロコが落ちた』なんていうキリスト教の表現を武士に言わせたりすることがあることです。所詮はフィクションなんだと思っても、その小説全部が胡散臭くなってしまって、駄目ですネ。やっぱり司馬遼太郎氏のような逸材はもうおられないのでしょうか‥ 商家の言葉、私の大切な大阪弁も江戸時代の人からすると、とてつもなくヘンな言葉なんでしょうネ。もっとも、今のエゲツナイといわれる大阪商人言葉は近江商人が持ち込んだものであるとされていますので、純粋な大阪言葉はそのときに大きな変化を受けたということが想像できます。 理科系が専門分野ですが、専門分野で疑問を感じたことは調べていかないと気がすまないタチで、気がつくと歴史書を読み漁っていたり、法律関係の講義までしていたりで、ようするに雑学屋さんです。あんまり、おだてられると困っちゃいますヨ。こちらこそ、宜しくお願いします。

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