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江戸時代の価格表
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江戸時代経済の中心であった大阪地区は銀本位制で、政治の中心であった江戸地区は金本位制でした。 大阪地区は秤量銀貨を目方を量って取引していましたが、江戸地区では計数銀貨といって価格が決まった銀貨を使用していました。 (1朱銀、1分銀など) 金銀銅貨の交換比率は一応定められていました。 従って物価も関西では銀何匁と表記するのがわかりやすく、江戸では銭何百文と表記するのがわかりやすかったのです。
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