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三角縁神獣鏡について

albracの回答

  • albrac
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回答No.2

三角縁神獣鏡は、畿内説に係わらず、邪馬台国が魏国朝貢にさいして贈られた鏡です。日本国内からしか発見されていません。 当時の東アジアは、政情が非常に複雑でした。高句麗を抑止するために、楽浪郡を置いたのは有名ですよね。でも、朝鮮半島は、馬韓、辰韓、弁韓などの小国は、常に権勢しあっていたと言われています。 また、黒龍江付近の砂金の権力を背景にした、ツングースカ族の軍事的圧力もあったと言われています。 その方面から見れば、やはり邪馬台国のような後進国でも、軍事的パートナーとして、非常に重要でした。 そこで、特別扱いで、特に卑弥呼がシャーマンだったと言う事で、「鏡」が最もふさわしいと考えました。また、当時、青銅の需要を大陸に頼っていた事もあり、青銅鏡が与えられたのです。 魏から贈られた「三角縁神獣鏡」には、魏国文帝の黄初四年、明帝の景初二年のものと、その子、少帝の正始元年、正始五年のものが有ります。 実際には、日本国内で発掘された、魏国産と刻まれている鏡は230枚以上ありますが、上記の年号のものが本物で、その他の物は、邪馬台国周辺の小国家が、魏にあやかって作った、彷製鏡(模造鏡)でわないかと言われています。 なお、特別あつらえでしたが、景初二年に邪馬台国の難斗米が使者として、魏を朝貢しましたが、黄初四年はそれ以前のものですから、当時すでに有った、「三角縁神獣鏡」で間に合わず、追加発注の形で、足りない分は後から楽浪郡へ届けさせたといいます。当時、鏡100枚は、大国魏にしても相当の出費でしたので、生産もまにあず、あった三角縁神獣鏡を全て与えたのではないかと言うかたもいます。 ただ、『魏志』は、写本によって誤字、誤写が多いことで有名で、それが邪馬台国論議を複雑にしています。 また、発見される鏡が「大阪・黄金塚古墳」の三角縁神獣鏡のように、古墳時代になってから、古墳に埋葬者と共に発見されるので、支配階級の特権者が世襲的に保存継承していたとも言います。 ですが、最近は、これらの全ての三角縁神獣鏡が、全て国内で生産された説を有力視する動きもあります。 ごめんなさいね。厳しい質問のし方を要求しました。ですが、様々な見方をする方々がいますので、すこし絞り込んだ質問をお願いしました。 ですが、「三角縁神獣鏡」が今のところ日本でしか発見されていないのは事実です。

hubble
質問者

お礼

ありがとうございました。魏の周辺諸国には邪馬台国以外にはそのような史実は見つかっていないと理解しました。 当時の魏がどのくらい官僚制度が確立されていたかわかりませんが、もしかなり確立されていたら前例の無い事をするのにはそれなりの抵抗があったのではないかと推測します。そのようなことを示唆する文献でもあれば又面白いのですが・・・

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