ロシアが使った作戦

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ロシアが使った作戦

昔、ロシア軍が戦争で使用した作戦で
わざと逃げて、敵を自国内に誘い、寒さ・食糧不足で弱った所を叩く作戦があるらしいのですが
ナポレオン戦争や日露戦争にも使われたらしいのですが
詳しいことを教えてください

投稿日時 - 2005-08-12 18:54:50

QNo.1576121

困ってます

質問者が選んだベストアンサー

この作戦は焦土作戦と呼ばれるもので、それが可能な広い国土を有する国でしか出来ない作戦です。

中国では屡々用いられましたが自国民にも被害が及ぶものです。
ロシアはナポレオン戦争時と、独ソ戦の際ソ連、ドイツとも採用しました。

日露戦争では他の回答者のご指摘のようにロシア軍は包囲を避ける為、戦術的撤退は屡々行いましたが焦土作戦はしていません。

ナポレオン戦争ではナポレオンは十分な準備をしたのですが、なにしろ馬車で輸送するので夥しい軍馬が必要でその馬糧も輸送しなければならず、冬季に入ったのと悪路の為輸送が途絶えて戦争継続ができなくなったのです。

独ソ戦ではドイツの鉄道とソ連の鉄道では軌道の幅が異なりドイツ軍は占領地の軌道を敷き直して進まねばならず、自動車道路は未整備で泥濘の中補給は屡々途絶しました。
さらに記録的な寒気で軍馬も停止したまま凍死する程でした。
冬季戦の準備が乏しかったドイツ軍は凍傷者が続出し不凍液の補給がなかったので、戦車、車両は動くことが出来なくなったのです。
フランスから輸送した葡萄酒瓶は寒さで凍結、破裂して使えなかったといいます。
ドイツ軍は屡々包囲されましたが、空中補給で補給救出に成功していたので、スターリングラードでも補給の維持に自信があったのですが、補給量が多量になり、輸送機の損失もひどく戦力を維持できなかったのです。

その後の後退作戦にはドイツ軍が焦土作戦を実施、収穫した作物を焼き、家畜を移動、村落を焼き払い道路鉄道を破壊して後退しました。 これは敵地なので徹底したものでした。

投稿日時 - 2005-08-13 16:39:06

ANo.7

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ベストアンサー以外の回答(6件中 1~5件目)

ANo.6

別に目新しい作戦ではなく、古くから行われてきた作戦です。
(古代中国の軍略書にも色々と出てきてます)それだけに効果的であったということでしょうか。
守る側としては、自軍が損害を受ける前に組織的に(ここが重要)撤退し、
その時に利用できるもの食料・物資などを全て持ち去るなどするわけです。

攻撃側がどんどん敵国に進入していくと、食料など物資の補給路もどんどんのびますね。
当然守る方としても、補給路を攻撃し物資の補給を邪魔するわけですから、
攻撃側としては補給が出来なくなります。そうすると食料や燃料がなくなります。
食料が無ければ当然ですが飢え死にするわけです。
そこで、占領地から奪おうとするわけですが、何もなくなっていれば奪う事すら出来ませんよね。
後は守る方としては、攻撃側の補給部隊を攻撃し、補給が出来なくなるようにして、
攻撃側が自滅していくのをゆっくりと待つだけでいいわけです。

実に効率的な作戦ですが、攻撃側はともかく、やられる住民としてはたまりませんね。

投稿日時 - 2005-08-13 09:06:39

ANo.5

ナポレオン戦争におけるクドーゾフの作戦のことですね。

これは特別なことではなく、部隊が撤退するとき普通に行うことで、利用拒否と言う行動です。焦土作戦とも言いますね。まあ普通は戦術的なものですが、この場合は戦略的に行ったということが言えます。

要するに、敵が利用できるものをすべて破壊して撤退するのです。上記ではモスクワも自ら火の海にしました。そうすると敵はすべて自らの兵站に頼らなければならなくなり、大変不利になります。破壊できない場合は、持ち去ったり、ブービートラップを仕掛けます。

投稿日時 - 2005-08-12 23:14:05

ANo.4

特に独ソ戦の時は地獄であったようです。

第二次大戦中、ドイツはソ連に対して開戦を決意します。

春に作戦は進行され、目標通りの戦果、占領を続け、
秋までには首都攻略目前まで作戦は進行しました。

しかし、首都目前で、強力な戦車軍団と遭遇。体当たりも辞さない航空肉薄攻撃で戦線は一進一退。消耗戦に陥ります。

ミッションを終了出来ないまま冬を迎えます。

大寒波が襲いかかり、兵の疲労も極限に到達します。

吹雪の中を大迂回をしたソ連軍は、敵の後方を占領奪還し、ドイツ軍は孤立してしまいます。

補給路を絶たれ、燃料、食料、武器弾薬が底を付き始めます。

特に、戦車、車両は高濃度の不凍液の補給が受けらず、凍りつき、燃料があっても動けなくなって行きました。

敵の大反攻を受け、戦線は壊滅しました。

投稿日時 - 2005-08-12 19:24:46

ANo.3

ナポレオン戦争の際の事は知りませんが、日露戦争でロシア側は「戦術的撤退」として撤退を何度も行っています。
これは地勢的に不利な場合、兵力で不利な場合に後方へ撤退してそこで迎え撃つ
という作戦です。
戦術的撤退をする事による効果は、自軍兵力を温存すると共に、敵の補給線を延ばし、機を見て反撃するチャンスを見出す事にあります。
日露戦争時にロシア側が行った「戦術的撤退」の殆どは、本来の意味とは違い
兵力で不利であったり、包囲される危険があったために単に「撤退」した物でした。
私の知識の範囲では、本来の「戦術的撤退」戦が行われ、陣地の獲得・放棄が何度も相互に行われたのは
第二次世界大戦時の独ソ戦、ハリコフ争奪戦辺りしか思いつきません。
これは攻撃側が兵力で勝っている場合、防御側は一時的に撤退し、そこで戦力・物資の補給をし、逆に陣地を獲得したばかりの攻撃側の兵站線が延びきって補給が行われない内に、攻撃し返すという物です。

攻撃をして陣地を獲得した側はその分、地理的に突出してしまうわけで
その突出部の側面・裏側を機動力のある突破兵器(独ソ戦の場合は戦車)で突破し
兵站線を切ってしまえば、その突出部は孤立して、包囲されてしまうという危険も
あるわけです。
このように側面を突破され、後方へ回られる危険がある場合に撤退するのも戦術的撤退の一つです。

投稿日時 - 2005-08-12 19:20:50

ANo.2

日露戦争では使わなかったでしょう。
ナポレオン戦争では、名将クトゥーゾフがモスクワを焼いて撤退し、フランス軍の消耗を待って反撃しました。
第二次大戦(このときはソ連)では、スターリングラード(現在のヴォルゴグラード)を包囲したドイツ軍がついに攻略できず、補給路を断たれて逆に包囲され、敗退しましたが、わざと逃げたわけではないでしょう。

投稿日時 - 2005-08-12 19:09:09

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