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月と蛇

 月と蛇は、関係ありますか?  民間伝承、おとぎ話、古代信仰、何かを象徴したもとか。何でもいいです。教えてください。

  • ekubo
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  • ベストアンサー
  • i-junkie
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回答No.5

「女性」を介した関係があると思います。ただし、ひとつの伝承中でそのような関係のあるものは、私は知らないのですが。 仏教の五戒には「邪淫」がありますが、「邪淫の性」といわれるのは女性です。これは仏教を学ぶものが男性に限られたことが背景にあると思います。能の「道成寺」などがそうです。地獄には不邪淫戒を犯した男が落ちる、双頭の女の両頭蛇がいる池もあるとか。(↓最下段) http://www.ai.wakwak.com/~kentaro/travel/kanagi/mandara.txt 蛇が昇華(レベルアップ、神格化)されると、竜の子太郎の母や、青森県田沢湖の「たつ子」のように龍になります。No.3の方が述べていらっしゃるように、道教系のジョカ(↓)が古来よりあり、その呪術を快く思わない仏教徒もしくは儒教徒が、女性と蛇を結びつけて悪としたのが始まりではないかと、私は思います。 http://www.edu.t.soka.ac.jp/~kkubota/goddess/list2/joka.html 邪淫とされるのは、雄の性器が入りこんだら離さない構造になっている部分であるからと言われます。また、蝮のように、子どもが親の体から出るときには親蛇と同じ姿(卵ではないということ)であったり、蛇の脱皮を繰り返す姿が「再生」の象徴であったりするので、子どもを産む(=命を再生産する)性であり、血を流し再生する生理のある女性と結び付けられているようです。ヘルメス、錬金術と関連する2匹の蛇の加えあう姿やらせん状に絡み合う姿は、この「再生」「無限」を象徴しているみたいです。またそこから「豊穣」を象徴もしているようで、もともとの大地の神である場合もあります。 大地、なんですけど、ご存知のように女性の生理は「月経」と呼ばれ、女性とはその性器の名前からもわかるように、陰陽で言えば、「陰」の存在だとされています。これは女性が「月」に大いに影響されると考えられていることと関連しているようです。 キリスト教と仏教において、「龍」およびその発展途上だと考えられる「蛇」の扱いが全く逆なのは、もともとの「地母神」的な存在である龍を二元論的に否定し、男性的に敵対化したキリスト教に対し、アジアではその陰陽を生かし、混沌のまま受け入れたところにあるのではないかと思います。こういったお話に関しては、小説の「創龍伝」(田中直樹)や「竜の柩」(高橋克彦)で脚色されています。 知っていることはそんなところですね。

ekubo
質問者

お礼

 ありがとうございます。  i-junkieさんのお話を拝見して、ピンとくることがありました。「かぐや姫」です。  彼女は、前世で犯した罪が消える日まで地上に落とされていたそうです。この罪がどうやら「邪淫の性」ともいうべきものだった。竹を「蛇と似た生物」と考えれば(#4 obahukuさんのお話より)さらに関係ありと思われます。月からやってきて月へ帰る。母の子宮から生まれ再び子宮へと帰る。富士(不死)山も登場しますし。  月=子宮=再生と復活=不死=蛇  なんとなくつながった気がします。 *ご意見聞かせてください。

その他の回答 (7)

回答No.8

三度失礼します。 やっと ご希望の 月と蛇 について 関係あるとしているものが見つかりました。 i-junkieさんがおっしゃるように【蛇】という本も持っています…ただ太陽と蛇の神話に関しては別の本にも載っていますから。単なる神話関係の本なのですけど… 解説関係以外手元にないので、調べるにも限界が…。 蛇と再生は関連があると考えられていますし、 女性は再生と関連があると考えられていますし。 あとは 蛇と月 ですが 女性を地母神 とし この結びつきを考える説がありました。 今回は「日本の神々」と言う本からです。(今までもなのですが、原文のまま はかけませんので…多少文を変えています。おかげでわかりにくくなってると思います) 土偶は多くが女性の特徴を示している。中には蛇の模様の取ってなどの装飾のあるものもある。そして土偶はこわしやすく作られている。 蛇が冬眠から目覚めることを、よみがえり。脱皮を若返り。毒蛇から死を人に与えるもの(毒にやられた状態を神がかり)と考え、生死をつかさどるものとして神格化し地母神と結びつく。原始時代の女性像の推測として『枯れては芽生え、死んではまた生まれてくる生命を、満ち欠けする永劫不死の月の運行と関連して考え、人たち生き物の生成繁殖を促す呪能を、月なる母性の生殖力に求める思想は後期旧石器時代にはすでに存在していたのではないか』と考えがある。土偶をこわすのも新たなる蘇り(欠けた月の復元)を予想してのものと考えられる(殺される女神の神話は存在する)。 幼児の甕棺葬;土器(大地の土から作られたもの)を母胎と見立て、その中に幼児を入れて葬ることは、児へのいたわりだけではなく、新しい命を生み出すものとしての女性像に願いを込、死んだ幼児の霊魂の再生を願ったものではないか。 と、しています。文の並びを変えたらさらにわかりにくくなりましたね~ この方の説は、再生に関して 太陽 ではなく 月 を持ってきています。 あと、蛇と月 に関して別の本でまた少し見つけましたので… 中国の馬王堆帛画の中に 人身蛇尾の神と共に、龍の背にのり月を支える常義(12の月の母)が描かれているそうです(でも月の中にいるのは蛙♪) キリスト教から 月は 聖母マリアや十字架に欠けられたイエスの人間的な側面を表現するのに用いられている。月をつかさどる天使としてエリミエル ガブリエルなどがあげられる。 天使の中で階級のうち上に位置する 熾天使セラフィム という階級があります。 セラフィムの語源は「燃える」「蛇」 セラフィムの指揮官としては諸説あり 上記の ガブリエル も上げられています。(他の月の天使たちはよくわからないのですけど…)。そして女性とする説もあります。そして大天使が交代で自分の所属する惑星の影響を地上にもたらす、としている説でも ガブリエル は 月 に属しています。 また 墮天する前のサタン もセラフィムの指揮官としてあげられています。 サタンは巨大な竜、年を経た蛇と同格で黙示録にかかれているそうです。 そして サタン と双子 とされる 大天使ミカエル は太陽 に所属しています。 サリエルという天使は邪視・邪眼であったとされています。彼の役目は「人の霊魂を監視する」と「月をコントロールする」とされてます。この本で月に関して「月は創造→成長→衰退→破壊という、命の宿命をあらわす」「人間の霊魂は月に保管されていて、霊魂は、誕生時は月から送り込まれ、死す時は月に帰る」そのことから「地母神信仰」に結びつく ともかかれています。ちょ~とこの本は真面目な本ではないのでどうかと思うのですけど…。 ちなみにサリエルは人間に月の秘密を教えたからと…堕天使にされちゃってます… あと蛇に関して トグロ(渦巻き)巻く形を陰=女性 。姿を 陽=男性 とする思想があります。 で、竹は陽 になるのです。 天照大神ですが…女神…ではないでしょうか… ある本では伊勢に祀られているのは、豊受大神とあわせて曼荼羅の二元論に呼応させ、天照大神は 日天子 にして 陰神 とされているみたいです。 あと別の本でも 日の妻=太陽の妻 であったものが やがて日神としてあがめられるようになった とされています。 それと、記憶からだけなのですが、卑弥呼から伊予への世代交代を 天照が岩戸に篭もり(卑弥呼の死)また出てきたこと(伊予)と関連付けて考える説もあります。 もっともこの手のものは諸説ありますし、だからこそ面白いのだと思いますけど。

ekubo
質問者

お礼

 ありがとうございます。  月と蛇は、その満ち欠けと脱皮の様子が「死・再生・復活=不死」の象徴のようだとわかりました。大収穫です。  アイヌ語では太陽・月ともにチュプ(cup)といい、案外近しいのかもしれません。  miyakoodoriさんをはじめ皆様方、長々とご教示ありがとうございました。

  • i-junkie
  • ベストアンサー率33% (25/75)
回答No.7

「蛇」「竹」「月」を調べてみました。 まず「蛇」ですが、古来日本では、福神として奉られてきてますね。白蛇の神様はポピュラー。お稲荷さんと同様に、神としても崇められ、また憑き物として恐れられた土着の神であるようです。これはアジア共通に言えるようで、中国とベトナムに同系列の民話があります。キリスト教圏ほど劇的ではないにしろ、仏教や儒教によって土着の神が排他的に扱われてきたのではないでしょうか。きっと道教の存在、もしくはそれを存立させる精神風土が、完全な悪化(堕ちた天使化)を押しとどめているのでしょう。そう考えると、むしろ西洋の(元・神であった)妖精の存在に近いのかも。 蛇の婿とサンメイ(中国民話) http://www.wnn.or.jp/wnn-s/world_m/death/hebi.html 神の蛇(ミャオ族の話・ベトナム民話) http://www20.tok2.com/home/vietnam/sub/mukashi/truyen%20myao.html http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7742/774206.htm ↑のサイトでは 、蛇は、「脱皮による生命の更新」「鼠の天敵故に稲の守護神」という理由によって蛇が祖霊として,また福神として古代日本人によって信仰され続けてきたものと推測される、とあるんですが、もう一つあげられた理由が「男性自身に相似の故に,種神としての信仰対象」とあり、「蛇」「女性」つながりには、miyakoodoriさんがおっしゃる通り、?が付きそうです。同サイトでは「竹の異名=蛇祖」、「筍の異名=稚竜・竜孫」という言葉も紹介されているので、「竹」「蛇」つながりは強そうですね。鞍馬山で毎年6月20日に行われる「竹切り会式」と呼ばれるイベントでも、蛇に見立てられているのは「青竹」ですし、「竹」を「蛇」に模すのは、形状上、難しいことではないのでしょう。 http://homepage1.nifty.com/moritaya/hebi.html ↑上記のサイトでは日本の蛇信仰が紹介されています。(miyakoodoriさんは、この本をお持ちかもしれません。)ここで「蛇」は「太陽」の象徴とされており、難しいところですね。「蛇」と「竹」の関係は否定されていませんが。 「竹と月」の関係は↓に詳しくありました。もう少し発展させて調べられると思います。 http://www.asahi-net.or.jp/~wr5t-nmr/pub/ohsumi.html 「竹」と「蛇」をいろいろ見ていてちょっと?だったのは、「蛇」にはあるマイナスイメージが、「竹」にはあまりないことでした。「竹」は、節度、まっすぐな成長、開運・長寿の象徴として、↓のサイト等でも述べられています。 竹はたとえ中が空洞でも強くて柔らか、素直、道徳的、貞節の強い、上品、魔除け http://www.lifeinkorea.com/culture/patterns/patternsj.cfm?Subject=Plants 清浄さ、根強さ、節により苦難に耐え忍ぶ姿、冬も青々とした葉を付け、更に竹林の生命の無限性、旺盛な繁殖力など、そこに強い生命力と神秘性を感じとり、神霊が宿るとさえ信じられていた。 http://www.imamiya-ebisu.net/htm/toukaebisu.html ↑の「強い生命力」と「神秘性」は、確かに「蛇」とも関係しているようなんですけれども。 それから確かに、伏儀の存在を忘れておりました。↓(失礼しました。) http://member.nifty.ne.jp/kyousen/china/3k5t/3k5t_04.html ↓のように陰陽道に基づいた「竹の雄と雌」の話題もありましたから、性別のある「蛇」にも、もしかしたら両極端な意味付けがあるのかもしれません。 http://www.bii.ne.jp/~bamboo/bet/unchiku.html たとえば、雄の蛇が太陽だとしたら、雌の蛇は…というような捉え方。(強引?) そうやって「竹取物語」を読むことも、できなくはないのかもしれませんね。

回答No.6

再度お邪魔します。 もう一つ別の神話の記述を見つけましたので… ギリシア神話 原初の宇宙の表現として蛇オピオンがいて、混沌の中を這いまわっています。 ”何かを求める情熱”が混沌に火をつけ、まず 月の女神 エウリメル が生まれます。 オピオン蛇とエウリメルは 太陽 地球 その他の生物を生み出していく というものです。 再生と言う意味では 太陽 と関連付けられるようです。そういう神話などのは 月 と関連あるものを探すより容易に見つかります。  そして 太陽は再生を意味し、また蛇も関係してきます。 天照大神も蛇神という説もありますから…あとインカ・ヒッタイト・エジプト… あと五行の解説での十二支と限定しますが (ただし動物としての十二支は後世当てはめられたものですけど…) 「巳」(ミ)について この字は「子どもが子宮膜にある形を象ったもの」で、もともとは胎と同じで胎児のこと また 「巳者已也。故體洗去於是、已竟也。三禮義宗云、巳起也。物至此時、皆畢盡而起。」と説明されています。   月 を無視した場合 女性と蛇 の関連について 男性社会から来た偏見的な物ではなさそうなものとして 前述した中国の ジョカ ですが もう1人 人面蛇身 の男神 伏犠 もいますので、女性だけ…ということにはならないです。ただ「蛇」を男女の「性」そのものとしているという考えがあります。 日本でも 男祖神 としての 蛇 はいて、女蛇巫(人) との間に子をなす話は幾つかあるようです。 蛇は脱皮をします。これを生命の再生と考えます。人には脱皮は出来ません。これに代わるものとして 種族の再生 という意味で 出産 があげられてくる。 出産をするのは女性。 故に神話において命を生み出す女神は蛇体をとるものがあり、蛇は脱皮をするため女祖神としての 性格を持つようになる それと蛇に似た生物 とされていますが… 蛇に見立てられるものとして  蒲葵   ほか 藤 竹 梛 黄心樹 松 杉 檜  蔓植物 酸漿  梶 生き物ではないですが、山 などがあります。 でも…竹は…女性としての蛇ではなく男性としての蛇の象徴…だそうです。 以上 長くなりましたが  手元の本からの抜粋でした。

ekubo
質問者

お礼

 ありがとうございます。 >天照大神も蛇神  驚きです。今、私たちがアマテラスと思っている神様ではないような。何だか神格が途中ですりかえられたような感じですね。アマテラス、男のような感じがします。(単なる直感) >竹は女性としての蛇ではなく男性としての蛇の象徴  竹は、中が空洞になっていてちょうど子宮のイメージだなと納得していたんですが。う~ん、何とも残念。

  • obahuku
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.4

月については分からないのですが、蛇についてなら少し知識があります。 世界の神話を調べると必ず蛇とそれに似た生物を人間が剣を用い殺すという話があります。 日本ではヤマトタケルノミコトが草薙の剣を使い“やまたのおろち”を殺す話が有名です。 西洋東洋に共通する蛇殺し、聖剣による蛇殺しは人間の手に入れた鉄、鉄精製技術が自然を凌駕したということの象徴だという解釈があります。 月は人が常に見ることが出来る神秘、そしてすでに脅威ではない蛇 この2つを結びつけて憎悪を持った超越した存在を作る。 それにすべての悪徳を結び付け自分達の責任を逃れようとした。という解釈もあるらしいです。

ekubo
質問者

補足

 >蛇とそれに似た生物を人間が剣を用い殺す  月と蛇の関係を月と蛇に似た生物とに置き換えができるかもしれません。  似た生物とは、どんなものなのでしょう。生物というのですから、動物も植物もありですか?

回答No.3

私もこちらの回答楽しみに見させていただいています。 …少ししかない本を見直してみましたら…少しだけ関連しそうな内容が有りましたので…神様の名前 漢字変換できないものもあったので ひらがなです… 古エジプトの神ホルス 右目を日 左眼を月とし 巨蛇アペプを剄る 日本神話 イザナギ がミソギをし 左の目 から アマテラス  右の目から月読 鼻から スサノオ が生まれた イザナギの「ナギ」蛇を推測させる文字  ミソギは 蛇の 脱皮に重ねあわされる  もっともこれは太陽と蛇と鏡の関係を示している話のようなのです あと宮古島に 月と太陽が人間に長寿を、蛇には死(寿命)を与えようとしたが死者のミスで蛇がスデ水(長寿)を浴びてしまい、このときから蛇は脱皮していくようになった と言う話も本で紹介されていました 中国神話の天地開闢の女神 じょか 人頭蛇身 手に「コンパス」あるいは「月」がある棒を持っている図で描かれることがあるそうです この程度しか見当たりませんでしたが、他の本もまたみて見ます。

ekubo
質問者

お礼

 ありがとうございます。  蛇の脱皮と月の満ち欠け。再生と復活=不死という概念でくくれそうですね。  

  • yusyakun
  • ベストアンサー率27% (58/211)
回答No.2

こんにちは。非常に苦しいこじつけを展開しますね。 古代から中世にかけての錬金術で、月は女性原理のシンボルとされていました。 水銀のシンボリズムでもありました。 さて、同じ錬金術なんですが、 水銀には上記の女性原理に加え、受動性、揮発性を意味するとされています。 これを図像で現すとき、 有翼のサンダルをはいた、ギリシア神ヘルメスをモチーフとします。 その手には「2匹の蛇がからみあう杖」を持たせるのが定番です。 この杖の名は、カドゥケウスといいます。 蛇の杖を持ったヘルメス=水銀=月 なんとか繋がりましたね。ああ、苦しかった ( 笑 ) もっとストレートな回答があるかもしれませんので、 私も楽しみに待っています。

ekubo
質問者

お礼

 ありがとうございます。  月も蛇も女性をあらわすようですね。

  • albrac
  • ベストアンサー率51% (39/76)
回答No.1

こんばんは。 月と蛇の、何らかの関係・・・・非常に難しいですね。 例えばですよ、日本の神話、古事記などからは・・・ 月・・・月読命=夜の支配者、月の神、陰的要素が強い。 蛇・・・祖先の象徴、征服される側の頭目の象徴(例えばやまたのおろち・沼、山の主)どちらかと言うと陰的要素もある。 ただ、仏教伝来、大陸宗教の渡来で、他の解釈もありますが、直接関係を物語るのは、ちょっと解りかねます・・・・勉強不足です・・・、手がかりがありましたら再投稿します。

ekubo
質問者

お礼

 ありがとうがざいます。太陽信仰族にとっては、陰のイメージで共通性があるのですね。  とすると、日本でいう「アマテラス」天孫族とは対称的な存在。  ありがとうございました。  

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    古代エジプトの絵とかによく出てくる「永遠の命の象徴」と言われる、丸の下に十字があるこのモチーフ(マーク?)、これは名前とかあるんですか?? あったら誰か教えてください。

  • 無の悟り、無の境地を説明するとこういう事だ

    やあ皆さん、私がいつも言っている事の最新版への更新だよ。 これは私の行っている哲学研究の一部で、質問と言うより研究として意見が聞きたい。 まあ読みやすいかどうかとか簡単な読書感想文でいいよ。 自らの信仰に到達する事は、おおむねどこの社会でも尊敬され、聖人として尊敬されることで古代インドではそれを仏陀と言っていた。 その中で、釈迦という古代の仏陀は無の悟りとその教えという特異な伝承を残している。 この内訳を考察するにあたって、仏陀と承認されるもっともな特徴が信仰への到達である事が重要である。これは西洋の神学や哲学すらも聖人と認める人類的共通項だ。 釈迦の結論はこうだ。 信仰とはわが心そのものであり、それを他者に語る言葉はない。 すなわち無だ。 神学の創立と文明の勃興の熱気あふれる古代インドで、多くを論じるバラモンを指して、彼らの語る言葉には内容がない。 すなわち無だ。 したがって無が結論である。 これを教える事が彼の人生であり、哲学として無の論理から多くの覚者を産んではいただろう。 それは2500年ほど前、文字もなく人類の文明がまだ幼かったころの話だ。 仏教の経典の最も古い物は2000年ほど前の編纂だ。 その間500年の口伝による伝承が有った。 この間、釈迦の教えはインドの風土で変化し、無の悟りの内訳を理解する事は困難になっていた。 その口伝500年の結論で新たに浮上したのが「空」の言う宗教的概念だ。 もはや源流の途絶えた無の概念は判らなくても、私の心は信仰で潤っている。 これは、そのまま信仰の自覚であり無に代わる仏教における到達点だ。 そのほかに輪廻転生説とは、釈迦の生きた時代以前より脈々と受け継がれるインドの信仰の源流であり、口伝500年を釈迦の教えが伝承されるにあたって、語り継ぐ古代インド人にとって、論理の整合性を保つため、無の教えとインドの伝統とで接点が必要になったため、主に後世で補足されたことであろう。 自らが涅槃に立脚した釈迦自身は、輪廻の伝承と異質の独自の信仰心を持っていた。 生前に何らかを語った事はあったかもしれないが、伝承されるにあたって、釈迦の言葉や行いよりも、語り継ぐ者たちにとってこそ輪廻の教えが必要だった。 そこで伝説化されているのが、 私は涅槃に行き二度と生まれかららない。 君達は何度も生まれては死ぬ。 それは哀れな事だ。 こうした慈悲の行いである。 さて、君たちが賛同するかどうかはともかく、この無の悟りへの独自見解は実に論理的でいままでになかったものだろう。 私はこれをまとめて本にでもするつもりで研究を続けているんだ。 研究ノートはもう本一冊分を超えるほど君達の協力で集まっているが、私はこの時間酒に酔っ払って、君達をオカマバーのホステス扱いして哲学しているんだ。 この姿勢、闇の仏陀黒き明星では、ご存じのとおり面白い読み物にはなっても、喜んで心が潤う良著とはならないだろう。 黒き明星の癖は私にとって深刻でね、気楽で書きやすい文章がアニキなツンデレだ。 まあ、それをぼちぼち改めていこうかと作文の練習だ。 色々と相談に乗ってくれ。

  • 狐や狸が人を化かす動物の代名詞になった歴史的背景

    日本では人を化かす動物として狐狸の類が熟語になるくらいまで浸透していますが、その理由はなんなのでしょうか。 実際のところ狐狸が極端に知能の高い動物というわけでもありませんし、そこには生物学的な裏づけはなさそうです。 狐の場合やはり古代中国の九尾の狐の伝説などの有名な伝承の影響によるものではないかと考えていますが狸の場合はその手の伝承をきいたことがありません。狸に化かされた、という昔話はいくつも知っていますが、その大元になりそうな話は知りません。 狸の場合、擬死などの行動が猟師を化かすという風に変化していったのかな、とも思いましたが特殊な行動によって天敵から逃げる動物はほかにもいろいろいます。 ネコとか蛇なんかが人を化かす昔話もありますが狐や狸ほどメジャーではないですね。 知名度という観点で考えると狐狸は昔はそんなに珍しい動物ではなかったと思うので麒麟や竜のように伝承を膨らませすぎた、なんてことも考えにくいと思います。 狐や狸が人を化かす存在だと広まった歴史的な背景について教えていただけないでしょうか。