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紫式部の教養について。

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  • 質問No.153889
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お礼率 100% (2/2)

紫式部は、当時の女性の中では博識のある人だったと聞いています。
彼女がどうして、どうやって知識や教養を得たのかいまいち分かりません。
良い回答がありましたら、どうぞよろしくお願いします。
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回答 (全2件)

  • 回答No.1
レベル8

ベストアンサー率 75% (21/28)

父親の感化とあります。父親に教わったり、父親の蔵書で勉強したりしたそうです。式部・源氏に関する本はたくさんあるので、詳しくは本で。 http://www.iz2.or.jp/essay/7-3.htm ...続きを読む
父親の感化とあります。父親に教わったり、父親の蔵書で勉強したりしたそうです。式部・源氏に関する本はたくさんあるので、詳しくは本で。
http://www.iz2.or.jp/essay/7-3.htm
お礼コメント
kana54

お礼率 100% (2/2)

 ありがとうごさいました。
 海外に住んでいて、本が手に入らず、エッセイのトピックに選んだものの、
 情報が少ないため、筆が進んでいませんでした。
 いくつか気になる文章があったので、是非参考にさせていただきます。
 またなにかありましたら、回答のほうよろしくお願いします。
投稿日時 - 2001-10-19 23:40:40
  • 回答No.2
レベル13

ベストアンサー率 61% (647/1050)

    平安時代の貴族の女性には、色々な意味で教養が求められました。女性には、和歌の教養が必須で、男性は漢文の教養が必須だったとも言えます。     ある天皇(村上天皇だったと思うのですが)の中宮は、子供の頃から、古今和歌集を暗記する勉強をしていて、すべて記憶してしまったと言われます。天皇が本当かどうか確認しようと、古今和歌集のテキストを手にして、それを中宮が見えないようにして、誰の何のと、歌の冒頭 ...続きを読む
 
  平安時代の貴族の女性には、色々な意味で教養が求められました。女性には、和歌の教養が必須で、男性は漢文の教養が必須だったとも言えます。
 
  ある天皇(村上天皇だったと思うのですが)の中宮は、子供の頃から、古今和歌集を暗記する勉強をしていて、すべて記憶してしまったと言われます。天皇が本当かどうか確認しようと、古今和歌集のテキストを手にして、それを中宮が見えないようにして、誰の何のと、歌の冒頭を少し述べると、その続きを完全に答え、幾つも天皇が試したにも拘わらず、すべて正解を答えて、天皇は驚嘆したという逸話があります。中宮になれるのは、高級貴族で、後に摂関家と呼ばれるようになるような、最高レヴェルの家系の貴族の娘か、または内親王乃至それに準ずる王族の娘ですから、中宮が古今和歌集をすべて暗記していたというのは、驚くべきことだとも言えます。
 
  平安時代の貴族の女性には、女御・更衣は無理としても、後宮で、内侍などの女官になって出世する道があり、また女御・更衣に仕える女房としても活躍できたので、様々な教養は、持っているにこしたことはないという実状でした(内侍とか、女房になると、男の世界の政治にも通じている必要があり、そのため、和歌や音楽の教養だけでなく、漢文や仏典にも通じている必要があったということです)。
 
  中宮になれるぐらいの家系の娘でも先に述べたように、高度な教養を持っていた訳で、(清少納言が仕えた中宮定子も、非常に幅広く深い教養を持っていて、清少納言の教養も並大抵のものではありませんでしたが、その清少納言ほどの教養ある女房を相手にして歯ごたえのある会話を楽しんだのですから、相当な博識だったと言えます)、まして下級貴族(受領階級、つまり、国守・従五位ぐらいまでは出世できたクラスの貴族)の娘となると、先に述べたように、女御・更衣付きの女房として宮中で活躍できたのですし、後宮の女官としても活躍の場があり、あるいは、同じ受領階級の男と結婚しても、夫の出世のためには、妻もそれなりの教養を持ち、色々と夫を支援する必要があったと言えます。
 
  平安時代盛期は、無教養な女御・更衣、また女房・女官よりも、教養あるそれらが求められた時代でした。従って、勉強が好きな、学問が好きな貴族の娘には、親たちも、学問などしても無駄だなどとは言わなかった時代だったのです。むしろ、娘の学問好きを奨励したとも言えます。有力な女御のお気に入りの有力な女房などになれば、その親や夫にも、出世のコネができたからです。
 
  平安時代の貴族の女性の教養は、一般にレヴェルが高かったのだと言うことが言えます。才能のある女性は、その才能をどんどん伸ばし、しかるべき場所で発揮して、女性としての出世を実現できたということです。紫式部(藤式部)が学問に秀でていたのは、彼女が学問好きであった為ですが、貴族の女性が学問を身につけていると有利であり、親たちも奨励したという状況があったので、勉強ができたのでしょう。それは、清少納言も同様で、二十歳ほどの年齢で、法華経を全部読んで理解し、なかば暗記していたとされます。

  また、飛鳥・奈良時代から平安時代の貴族の女性は、自分の財産を持っていて、夫に養われていたのではないというのも関係するでしょう。女官として宮廷に仕えれば、国費で給与が出たのですし、女房にも仕える女御・更衣から給与が出ましたし、父親や近親者が死ねば、男の兄弟と共に、女性にも、遺産の分与が行われました。藤式部も清少納言も、ささやかですが、自分の屋敷を所有しており、収入もあったので、夫と別れても、独立して生活できたということもあります。
  
  具体的な答えになっていませんが、一般的な時代状況の話です。(なお、無論、無教養な女房・女官、女御・更衣なども多くいたのですが、逆に、だからこそ、教養ある女性が評価され、知性ある女性は、教養を磨いて自己の価値を高めようと精進したのでしょう。紫式部は才女の名声高く、中宮定子とその一族の追い落としを画策していた藤原道長は、娘彰子付きの女房として、紫式部を是非とも欲しがったと伝わっており、また道長は、藤式部を、かなり政治的に利用しました。『源氏物語』のヴァージョンが最初から三つあるのは、道長が、藤式部とその長編物語を政治的に利用したからです)。
 
お礼コメント
kana54

お礼率 100% (2/2)

ありがとうございました。海外に住んでいるため、なかなか本がてに入らず、
困っていました。
とても参考になる回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2001-10-20 10:56:08
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