• ベストアンサー

藩の火消しについて

地方の藩でも町火消し・藩火消しってあるのですか?

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数1

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

加賀藩では江戸の町火消しができる60年ほど前から金沢で定火消し、町火消しの制度があったようです。 加賀鳶は江戸藩邸にかかえられたいた火消しのようですが。 もちろん、そんな制度などない藩もたくさんありました。

参考URL:
http://web3.incl.ne.jp/matsuura/k_kagatobi01.htm
mersess
質問者

お礼

藩に依りけりですね。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 藩士の数について

    地方の藩で上士が何人くらいいるのか知りたいのですが。いろいろあると思いますので平均的なものでいいです。例えば10万石程度の藩ですと家老、中老、番頭、組頭、町奉行、郡奉行、勘定奉行は何人くらいいるのですか?

  • その時歴史、大岡の火消

    NHKその時歴史が動いた、の大岡越前が町火消を創立した、という回を見逃してしまいました。大岡は自分が創立した町火消が初めは機能しなかったので、その後大胆な改革をしたと、番組ホームページにありましたが、どんな改革をしたのでしょうか。ホームページには武家火消の活動を規制したことが書かれていましたが、町火消そのものには、どんな改革をしたのですか。ごらんになった方教えてください。

  • 寺屋敷の火消し

    江戸時代で寺町の寺屋敷の火事はやはり町火消しが出張ってお助けしてたのですか?それとも寺社奉行配下か大名の侍火消しか何かが出張るのですか?

  • 一橋藩 田安藩

    1・明治元年、一橋家、田安家は立藩しましたが、どこの地方の藩として立藩したんですか?。 2・清水家は最後まで立藩しませんでしたが、もし、立藩していたらどこの地方の藩になったんですか?。

  • 江戸っ子と町火消し

    お江戸の時代: 十手持ちは何かと鼻つまみ。 格好いい江戸っ子って: ”芝で産まれて(まぁ里のおばぁ様の所での里帰り出産)神田で育ち 今じゃ火消しの纏持ち” って言葉がありました。 芝のどの辺だと想像されますか? 神田のどの辺だと想像されますか? 町火消しですから、何組でしょうか? 町火消しの組:http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_03.htm

  • 町火消しと十手持ち

    お江戸だけの事かもしれませんが、 町火消しと十手持ちとはあまり反りが合わなかったという話を聞いたことがあります。 【質問】 1. 事実でしょうか? 2. 理由は何でしょうか? 3. どんな事例があるでしょうか?

  • 町火消しの動画ありませんか?

    江戸時代の町火消しの動画を探してます。 時代劇系のドラマやTV番組の1コーナーなどなど、知っている方、動画を持っている方、ぜひ投稿おねがいします。 映像がほしいので、よろしくおねがいします。

  • 日本の暴力団の起源は火消しからだったと知った。

    日本の暴力団の起源は火消しからだったと知った。 昔は消防署が無くて街の寄り合いが消防団を作っていたが当時の火消しは大変危険で火消しの度に死人が出たので火消しを仕事の生業の専門とする火消しのプロが生まれた。 その火消しの請負人たちが暴力団の起源である。 街はお金を町内で集めて火事になったときに火消し団体にお金を払った。 その火消しの商売は結構な金額が町内会費で集めれるので火消し団体がいくつも出来た。 で、火事になったときに我先へと火消しの為のため樽をどこの火消し団体が取るかで請け負っていた火消し団体よりも先に到着した別の火消し団体が消火に当たって火が鎮火して謝礼を消してくれたいつもの請負火消し団体に支払わなかったのでここから暴力団の縄張り争いが起こるようになった。 だからここは俺の火消しの縄張りだと言って島争いの陣地争いが勃発した。 で、幕府は火消しを政府が行うとして政府が火消し団体の仕事を奪う形で消防団が生まれて消防署が生まれて、火消し団体は稼業を失ったが、昔の島と町内の上納金の仕組みだけは残った。 町内とは顔が効くので消防団に仕事を奪われた暴力団の火消し団体は博打を稼業とするようになった。 お客は町内で博打の胴元を元火消し団体の暴力団が行うようになった。 火消し団体のときは任侠団体と言われ、危険な火に飛び込む勇気がある男たちとして街の人からは尊敬されていたが、博打は胴元が最終的には勝つようになってたし、お客もタチが悪い金払いが悪い客もいたりして殴る蹴る暴力を使うようになって任侠団から暴力団と言われるようになった。 で、さらに時代は進んで賭博が禁止されるようになった。暴力団は火消しの稼業を奪われ、博打の稼業も奪われた。 だから暴力団の始まりは消防隊であり、国に仕事を奪われ、博打の商売を始めたがそれも儲かると分かると国がやると言って暴力団から仕事を奪って今に至る。 暴力団は裏で細々と博打をやっていたが警察が歴史も知らずに摘発を繰り返したことで暴力団は稼業のやる気を失い大麻やアヘンやマリファナや覚せい剤を売る商売を始めたがヒロポンを売ることもすぐに禁止された。 今では隠れて覚せい剤を売っていたり、隠れて賭博を開いたりしている。 合ってますか?

  • 藩という名称について

    江戸時代の地方自治の単位で”藩”という名称があったと思うのですが 江戸時代にはそんな言葉はなく後からつけたものである。と言われました。 確かに神君の時代からあったとは考えにくいですが、中期くらいからでて きてもおかしくないのでは?と思っています。藩と言うものの歴史をかい つまんで教えてはいただけないでしょうか?

  • 江戸時代、2藩にまたがる訴訟。

    例えば、備中国のA村と備後国B村とが何らかの争い事で決着が付かない場合、どのようにして解決したのですか。 それぞれの藩と藩とが交渉して、それでも決着が付かないときは、大坂町奉行所へ訴訟するのですか。 大坂町奉行所から遠く離れた藩での具体例があれば教えてください。 大坂まで出かける日数・費用が大変だと思って質問しました。 よろしくお願いします。