• 締切済み

グノーシス主義

starfloraの回答

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.2

    グノーシス主義は、「この世」に悪や悲惨なことがおびただしくあり、またそのような「この世」を、自分の故郷・本来的世界と認めることのできない人が構想する実存的な宇宙観・人間観です。「この世」は悪の世界で、悲惨な世界であり、肉体も魂も、死と共に滅び朽ちてしまいます。このような「この世」は、本来的世界ではない、またこのような人間のあり方は、本来的な「真の人間」のありかたではないという実存的自覚から構成された考えだとも言えます。     なぜ、「この世」や「現に生きる、人間の存在」がこのように悪や悲惨や不幸や、不条理に満ちているのか、その答えとして、グノーシス主義は、「この世」や「人間の存在」が、不完全な、或る意味悪に満ちた「偽の神」あるいは「超霊的存在」によって創造されたからであると答えます。     人間は本来、このような悪と闇と悲惨の世界に生きる、悲惨な死に行く存在ではなく、「本来的人間」は、善の光明に満ちた、永遠の世界で、霊的至福で生きることが可能な存在なのだと考えます。つまり、人間には、「救済」の可能性があるということです。「救済」を語るのは、すべての宗教がそうであり、宗教は人間の救済を説いているとも言えます。グノーシス主義の「救済」が、他の宗教と異なるのは、宗教一般では、世界や人間を創造したとも言える「超越者・神・至高者」への「信仰・帰依」が重要な意味を持つのに対し、グノーシス主義では、自己の内部に存在する「光の霊」と、何故、この世が、このように悪に満ち、悲惨であるのか、人間が惨めな存在であるのかについての真実の「知識(グノーシス)」の認識を重視するということです。真実の「認識(グノーシス)」を得れば、人間は、自己のうちにある「霊」によって、信仰などなくとも救済されるという考えです。     アイオーンとは、ギリシア語で、元々「ある期間・ある時代」などの意味で、「永遠」というような意味も持っていました。グノーシス主義では、この世は、「偽の神」や「低次の霊」が創造した不完全な世界だと考え、この世の「上」というより、「霊的彼方」に、完全にして、光・善の神あるいは超霊的原理が存在する「永遠界」とも呼べる「場」を考えます。これはプラトーンのイデアー界にも似ています。そしてプラトーンのイデアーが、美や真のイデアーと上昇して行き、最終的に「善のイデアー」へと収束するのに似て、グノーシス主義では、完全にして善なる超霊的原理あるいは霊格を考え、これを「アイオーン」と呼んだのです。究極のアイオーンは、「知られざる上の神」とも、「原初の父(プロパトール)」とも、あるいは「ビュトス(深淵)」とも呼ばれましたが、永遠界(グノーシス主義的イデアー界)を構成するのは、このプロパトールだけではなく、グノーシス主義の諸派で色々な神話が構成されていますが、「複数の至高アイオーン」が、プロパトール以外にも、この永遠界に存在すると考えられました。     アイオーンは、本来は、完全で、善なる永遠の原理、あるいは超霊格だとも言えます。複数が考えられていますので、「諸アイオーン」とも呼びます。     人間のうちの「光の霊」とは、この諸アイオーンの「光の霊」と同質なもので、本来、人間の霊は、「永遠界」に住んでいたのであり、あることを契機に、地上あるいはこの世に落下して、惨めな肉体と滅びる魂を持ったのだとされます。人間の救済は、アイオーンの霊の一部が、自分の存在のなかにあるということを「認識(グノーシス)」することで可能となるとされます。     そしてアルコーンは、これはギリシア語で、元々「支配者」という意味で、わたしは、アルコーンは、「低次の堕落したアイオーン」だと考えています。すべてのアルコーンが、そうではないとしても、アルコーンのなかでも力持つ者は、永遠界のアイオーンと、ほとんど同じ超霊的存在・原理だからです。     キリスト教やユダヤ教の「天使」との関係で言えば、アルコーンたちが、天使にも該当すると言えます。ただし、アルコーンは、「堕天使」だということになります。永遠界の諸アイオーンは、神あるいは神的原理ですから天使ではなく、「善の天使」というものをグノーシス主義で考えれば、それは、人間の「救済」のために、永遠界から、霊の姿でこの世に訪れる、救済のアイオーンの「この世での姿」ということになります。キリスト教的グノーシス主義では、キリストが、永遠界からの救済の使者で、キリストは、不完全なこの世の成り立ちや、不完全な人間の起源を教えたとされますから、永遠界=アイオーン界から派遣された、天使だとも言えます。しかし、そのキリストも、永遠界における真実の姿は、超霊的原理である高次アイオーンであって、天使ではありません。     アルコーンは、不完全で愚かで劣悪な霊だとされますが、それは、完全なるアイオーンに比べてそうなのであって、人間にとっては、星の世界に存在する、恐るべき力を持った霊・悪霊・いわば悪魔だとも言えます。(そして、彼らは、人間が、自己の本来的な「光の霊」に目覚め、認識を得て救済されることを妨害するために、奸智をめぐらして宇宙的隠蔽工作や真実の歪曲、更に実力行使で、人間の内なる霊の永遠界への帰還の阻止を行っていると言いますから、ますます悪魔・悪の霊であるということになります)。     この世や、不完全な人間の肉体・魂を創造したのはアルコーンたちで、グノーシスの諸派で色々な意見がありますが、「第一のアルコーン」と呼ばれるアルコーンが、まず最初に生まれ、彼から、多数のアルコーンが生まれた、あるいは創造されたとされます。この第一のアルコーンは、プラトーンの著作から取られた名称として、「デーミウルゴス=造物主」とも呼ばれ、またヤルダバオートとも呼ばれます。キリスト教的グノーシス主義では、旧約聖書の創造神ヤハウェこそが、このデーミウルゴスだと考えられました。この場合、新約聖書でイエスが教えた「愛の神」である「天の父」とは、永遠界のプロパトール(原初の父)であることになり、ヤハウェと、イエスの語った「父なる神」が同一の神であるとする、原始キリスト教にとって、このようなキリスト教的グノーシス主義の教えは脅威であり、それ故、彼らは、グノーシス主義を異端として、これを排斥しようと試みたのです。   

参考URL:
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/term-gn.html

関連するQ&A

  • グノーシス

    「歴史上のキリスト教の諸教派の中から一つを選び、その歴史と思想、代表的人物などについてまとめ、論評せよ。」という課題がでました。 図書館にいくと旧約聖書などの本はありますが どれかにしぼった本がみつかりません。 グノーシスについての本ならみつけたのですが これは「キリスト教の諸教派の中から一つ」にあてはまりますか?

  • グノーシス主義はどのような点が「危険」とされカトリックから異端視されたのでしょうか?

    グノーシス主義はどのような点が「危険」とされカトリックから異端視されたのでしょうか?

  • 初期キリスト教時代

    キリスト教について、独学で学んでいる者です。 イマイチ理解出来ていないので、教えて頂けたらと思います。 初期キリスト教時代のユダヤ教についてなのですが、 (1)メシア主義というのは、どういう人たちのことですか? (2)エッセネ派とマカベア家について詳しく教えてください。 又、初期キリスト教教義の発展についてなのですが、 オリゲネス、アリウス派、グノーシス主義、カルケドン公会議について知っている方がいましたら、説明してもらえないですか? よろしくお願いいたします。

  • グノーシス主義の良さをおしえてください

    勉強しても 腑に落ちないどころか 頭にも入りません。 そもそも二元論などということからして――絶対者が 相反する二者であるという想定からして―― はっきり言えば 意味のないことを考えているとしか思われません。 これまでと同じく斥けようと思いますが 念のために 見落としのないようにとおしえを乞います。 ウィキペディアにかなり詳しい紹介があります。(今週の16日の更新記事) http://www.ja.wikipedia.org/wiki/

  • 道徳教育の「全面主義・徳目主義」について?

    こんばんは 道徳教育の「全面主義」「徳目主義」の意味がわかりません。全面主義というのは、政治の全体主義と同じ意味なのでしょうか?? ネットでも探し方が悪いのか、見つからないので困っています。。よろしくお願いします(*'-'*)

  • 「全体主義」の「全体」とは何を指しますか?

    歴史を学びましたがどうしても「全体主義」の「全体」の意味がわかりません。解説をお願いします!

  • 原理主義は良くないですよね?

    原理主義というとイスラム教が真っ先に思い浮かぶと思いますが、キリスト教でも仏教でも神道でも原理主義はあると思います。 そういう原理主義は良くないですよね? 他の宗教を受け入れられなくなりますから。

  • 全体主義と超国家主義

    超国家主義と全体主義の違いを教えてもらえませんか?できればそれぞれの利点、欠点について詳しく書いていただけるとうれしいです。 ちなみに欧州と日本の超国家主義と全体主義です

  • 全体主義と個人主義

    近代の日本における全体主義と個人主義について詳しく教えてくれませんか? できれば全体主義の方に重点を置いた考え方が知りたいです。 2つの主義の関係性、それに関わる人物等解かることがあれば何でも構いません。 何とか今日、明日中に宜しくお願いします。

  • 社会主義国で全体主義国はあり得ない?

    他のサイトからの引用なのですが、社会主義と全体主義の違いの中で 「全体主義と社会主義は"権威"の置き所が違います。また独裁体制と民主主義はただちに矛盾はしません。社会主義国も概ねは権威を国民に置いた「主権在民」ですので、一党独裁であったり強権政治であっても、民主主義の一形態であるわけです。少なくとも社会主義を名乗るのであれば、国民へのソースの再配分を重視した政策なわけであって、それは歴史上の既存の社会主義では北朝鮮のような例外を除けばその類の形態で、つまり近代国民国家の必須要素である「権威と権力が分化」しているわけです。だから、国民から権威を移植されているのが社会主義の体制ですが、一方の全体主義の体制では、権威は権力が握っています。国民は政府の権威を奉じているわけです。近代において権威と権力が同化している国家を全体主義と呼ぶともいえます。だから「全体主義というのは個人主義の反意語」なんて苦笑もでない無茶苦茶な説明です。(だいたい個人主義国なんて存在するのかよと盛大に論理矛盾しています)」 と言う説明文でした。 つまり、社会主義では権威の向きが基底となる国民から政府へ向いているのに対して、全体主義では政府の権威が国民へ向けられてるのが社会主義国と全体主義国の違いみたいですけど、例え社会主義国の様な権威を国民が持っている主権在民であっても、国民から権威を移植されて政府が権威を持ったら、結局それは全体主義国と呼べないのでしょうか? 特に昔のソ連等は社会主義国ですが全体主義国ではないのでしょうか?