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わたしの疑問

jun1038の回答

  • jun1038
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回答No.4

こんばんは。  回答になっていない(多分こんな内容の回答をご期待なさっているのではない)とは思うのですが、少しだけ書かせて頂きます。  私は自然科学系?の人間で、哲学は全く詳しくありません。ただ、物の存在とか認識などについては不確定性原理が関係したような気がしますが・・・。  私自身よくわからない不確定性原理はおいといて、次のように考えました。  例えば、原子番号8、質量数16の酸素原子があったとします。このような酸素原子はそれこそ無数にあります。人類が誕生する遙か前から宇宙には存在していました。当然、酸素原子には脳はありませんから、自分たちが同じものであるということは認識できません。でも、これらの酸素原子は、大きさも重さも他の原子に対する性質も皆同じでした。例えば、皆、水素原子2つと結びついて「水」という性質を持った分子を作るような性質がありました。1つ1つの水分子は融点や沸点など化学的な性質が同じでしたから、自然と同じような場所に集まり、海を形成しました。  その海の中で、生命が誕生し、やがて上陸してついには人類が誕生し、物が「同じ」ということはどういうことなんだろうと悩み始めました。  同じ、という認識は人間のものかも知れませんが、人間が誕生するはるか前から世の中に同じものは存在し、同じ立ち振る舞いを自然界の中でしてきたのではありませんか。

harisun
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 jun1038さんのおっしゃることも普通に考えれば当然だと思います。 でも、屁理屈を言うようですみませんが、 >人間が誕生するはるか前から世の中に同じものは存在し・・・ そのこと自体も人間の認識の範囲内であると思ってしまうのです。 つまり、同じものが人間が誕生する以前から存在していたというのは 今存在している私たちの会話であり、私たちの存在がなかったら 同じであると会話するものがないのではないかと・・・・。 また別の観点からお答えいただきありがとうございました。

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